【連載33】NTT東日本特殊局山口氏が目指す“技術者が好き勝手に失敗できる環境作り“

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第33弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”飯田さんからのバトンを受け取ったのは、東日本電信電話株式会社 ビジネス開発本部 特殊局 局長の山口肇征さん。
早速お話を伺いたいと思います!

――ご紹介いただいた飯田様より「私がフレッツに取り組んだ時の同期で、彼は技術側にいた人です。現在、NTT東日本で“特殊局”という部署を立ち上げ、新しいテレワークの仕組み“シン・テレワークシステム”を作るなど、大変ユニークな活動をされています。エンジニアにとって有意義なお話が聞けると思います。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の山口様を形作る原体験をお聞かせください。

山口氏:大学では土木工学を専攻して水の浄化について研究していました。当時はインターネットの黎明期で、現在のGmailのようなフリーメールもない時代に、助手の方から突然、「研究室内でメールサーバーを立ててほしい」と言われました。何が何だかよく分からなかったのですが、他の研究室の詳しい人に聞きながら、Unixを購入し、何とかメールサーバーを構築し、管理人を設定し、メールアドレスを作り、学内でインターネットを使える環境を作りました。世間的にメールでやり取りしている人などごく一部の存在でしたが、私その時、パソコンで文字を打って世界に発信したり受け取れることを目の当たりにして、通信の面白さを知りました。そこで方向転換をして土木工学ではなく、通信会社のNTTに入社。そこからインフラエンジニアとしてのキャリアがスタートしました。

入社後、配属先の秋田で法人のSEを担当。そこで2年半ほど働きました。当初、技術の習得にはかなり苦労しました。今ではクラウド上に便利なツールがたくさんあり、自由に勉強ができますが、当時はそのようなものは存在しません。もちろん社内研修はありましたし、内容も充実していたのですが、秋田にいるとなかなか参加ができなかったので、自力で頑張るしかありません。実際にモノを触ってモノを作り込んで学ぶ環境を自ら作っていく必要がありました。自分でハードをかき集めて環境を作ったり、余っているサーバーを使わせてもらったり、あるいは払い下げいただいたようなサーバーマシンでwebサーバーを立ち上げたりしながら業務外の時間を使って学んでいきました。

そんな日々を過ごしていたある日、突然に転機は訪れます。本社へ異動となり、サービス開発の部署でフレッツサービスの立ち上げに関わることになりました。たまたま秋田からの異動先になった部署が、その後巨大になるプロジェクトだったという、ガチャのような話です。そこで最初は「IP接続サービス(仮称)」という試験サービスがスタートしました。月額8千円でインターネットが使えるということで「すごいサービスが出た」と大きな反響をいただいたのを覚えています。

当時は正直言いますと“戦場みたいな場所だ”と感じました。私がプロジェクトに参加したのは試験サービス「IP接続サービス(仮称)」を始める数ヶ月前。当時のメンバーは10人ほどしかいなかったのでとにかく忙しく、てんやわんやの状態にありました。しかし、その戦場のような場所でワクワクした気持ちが湧いていました。着任して企画の内容を聞いた時、これは“すごいサービスだ”と思いましたし、定額でインターネットが使えるようになることに驚きました。そして世の中を大きく変えるようなサービスの立ち上げに関わっていることで、テンションが上がっていたのを覚えています。今では多くのユーザーがいるサービスに成長しましたが、立ち上げから20年間、ずっと変わらずこの仕事に従事してきました。

――開発に携わっているサービスが社会を変えるという経験は中々できないことですよね。サービスが急速に普及していく様を一番近い位置から見てこられた山口さんの気付きや感じたことをぜひ聞かせてください。

山口氏:当初は、技術採用でサービス企画の中でも技術参考資料や、インターフェースを開示するための資料を作成していました。そこから数年後、光サービスが世に出るまでに経験したことが印象深いですね。
それまではISDNだったので、ダイヤルアップの延長線上のサービスでした。PPPというプロトコルを使ってましたが、そのプロトコルはOSに実装されているものです。しかし、光サービスの場合、ダイアルアップではないのでどのように接続するのか、プロトコルをどうするのかなどの課題がでてきました。

最終的にPPPoEを採用したのですが、その当時はOSにPPPoEは実装されていないですし、使っている国も少なかったのです。そのような状態から光サービスによってPPPoEが広まっていったわけです。
その時に感じたのは、インターネットの世界においてはデファクトを取ったものがスタンダードなのだということ。語弊があるかもしれませんが、“広まったモノが勝ち”という感覚がありました。

PPPoEを採用した経緯をお伝えすると、光サービスはNTT東日本が保有していたIP網をベースに、そこにワイドLANというイーササービスを付加してIP網につないでフレッツ網に繋ごうという発想から生まれています。ワイドLANのため、この足回りはイーサインターフェースです。当然ISPさんと繋ぐ時に認証をどうするかという話になります。ISP側はRADIUSサーバというもので、PPPを使って認証してきているため、新しいものを作ってほしいと伝えると反発を受けてしまいます。そのため、やっぱりPPPは使えたほうが良いだろうという話をしている途中でイーサインターフェースで使える“PPPoEというプロトコルがあるぞ”と気付きます。ところが調べてみるとそれは世の中に全く普及していないプロトコルだったのですが、これを使うしかない!と踏み切りました。

普及していないものなので、動作する専用のアプリを探してきたり、「今回、こういうものを作るので実装しませんか」とひたすらブロードバンドルーターのメーカーを巡って営業してきました。
そうすると次第に周りが“ビジネスチャンスだ”と賛同してくださるようになってきます。これがデファクトを取るということなのかなと思いました。良い意味での“いい加減”さが普及しやすいのだろうと、そう思いましたね。

――「良い意味で“いい加減”が世の中に広がりやすい。」なるほど。細かく計画を立てすぎず、その時の環境や状況をうまく活用してこられたということですね。その際、どうしても不完全な部分も出てきてしまうと思いますが、トラブルなどは生じなかったのでしょうか。

山口氏:確かに、インターネットのプロトコルにはRFCなどの規定がありますが、表現に揺れが生まれ、メーカーによって実装が異なることもありました。また、方式の解釈が間違っていたりすることもありました。そうなった時はモグラ叩きのように対応するしかありません。不具合があったら、すぐにキャッチして修正することを繰り返してきました。一方的に従わせるような関係では難しく、“相手がこう読むなら、こちらも対応しよう”と、話し合うことが流儀ですね。インターネットはそういう世界だと思います。

――フレッツサービスに関して、他にはどのような業務を経験されてきたのでしょうか。

山口氏:サービス企画部門には10年ほど在籍し、その後、管理職になってから、フレッツ光の運用部門で3~4年ほど経験を積んで、その次はフレッツ光の方式を考える部署に異動しました。立場を変えながら、フレッツに関する様々なポストを経験しています。フレッツの立ち上げ期から大きく変わったのは、インターネットが社会インフラになったという点です。社会インフラなので、「落としたら事件」「止まったら大変」という中で、ルールや手順を作り、それをしっかり守ろうという話になります。社会インフラを守る立場として非常に重要なポジションです。

――立ち上げや普及させる立場から、維持をする立場に変わっていったということですね。後者に関わる技術者として、どのようなことが求められたのでしょうか。

山口氏:誰もが安心して使える“落ちない”ネットワークを作る立場になるので、考え方を大きく変える必要がありました。サービス企画側は“とにかくサービスを広めよう”が優先されますが、運用や方式を考える側は、どうやって安全に運用するか、増設するか、切り替えを失敗しないようにするかを考えるようになります。トラブルを起こせば問題になりますし「インターネットが遅い」と言われると責任を感じてしまいます。とにかく社会インフラとしての重要性を痛感させられる日々でしたね。

その中でサービス企画側から様々な要望が届きます。私はサービス企画も経験してきたので、あがってくる要望に対して理解はできるのですが、すべてが実現できるわけではありません。その点は話し合い、相互の立場を理解しながら、議論をぶつけ合い調整を行ってきました。

――約20年間フレッツに携わってこられた山口さんが、「特殊局」を立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか。

山口氏:私が“日本で5本の指に入る天才”だと思っている登大遊さんと知り合い「若い技術者が面白く仕事をしながら成長するにはどうすればいいか?」という話で意気投合したことがきっかけとなりました。

例えばフレッツサービスは社会インフラという責任あるプロジェクトに携わることができますが、すでに確立されているルールやマニュアルを守って失敗しないように進めなければなりません。ルールやマニュアルを守ることは非常に重要ですが、それだけでは携わっている若い技術者としては面白くありません。私が学生時代に作っていたサーバー環境などは壊しても怒られないので、色々な挑戦をして壊して失敗しながら成長してきたと思っています。

登さんはそのような若い技術者達が挑戦できる環境を「僕も重要だと思う」と共感してくださり「僕もNTT東日本に入るから、一緒に作りましょう」と言っていただきました。

最初は組織ではなく、登さんには社外副業で入っていただきました。“特殊局員”という肩書の2人チームです。手始めに2人でテレワークシステムを開発したところ、社内だけでなく社外の方からも評判を集めることに。「外に発表したのだから組織にしたらどうか」とアドバイスをいただき、当時の役員の了解を得て、正式に特殊局として発足しました。

――大企業で新しい取り組みや組織を立ち上げるのは難しい印象を受けますが、柔軟に対応されているのですね。

山口氏:NTTは確かに堅いところもありますが、良い意味で緩い部分もあります。会社自体が「地域の課題を解決するソーシャルイノベーション企業になろう」と掲げているので、何か新しいものを生み出そうとする雰囲気は、ここ数年の間で社内に浸透してきました。

私自身も、社内副業のような形で特殊局の局長を務めていますが、登さんを含め8名いるメンバーのうち副業者が3名、社員が私を含め5名という構成です。もちろん社員も全員が他部署と複業で関わっています。

なによりも技術者が楽しく研鑽できることが重要だと思っているので、今は“壊してもいい環境”を構築中です。埼玉・神奈川・東京の3か所に小さなスペースを借りてネットワークを社内で構築していますが、年内にはカタチになりそうです。誰もが自由にいじれるネットワークであり、インフラ基盤で光ファイバーもその拠点間を繋いでいます。

やはり技術者にとって、「これはやっちゃだめ」「あれをやっちゃだめ」と制限ばかりされてしまう環境は良くないですし、本物の技術者であれば“それでは何もできないや”と思ってしまいます。なので、失敗できる環境があると面白いですよね。構想としては、若い技術者をはじめとした社内外の様々な技術者が好き勝手にできるネットワークと環境を作ろうとしています。色んな人が交わって何かが起きるような場所にしたいという想いもあります。

いずれは関東だけでなく、秋田など地方に展開し、多くの若い技術者が楽しみながら学べる環境を拡充させていきたいです。私が若い頃に体験してきたような、ワクワクする経験を若い技術者達にも体験してもらいたいですね。

――昨今社内外の技術者が交流する場所は増えてきていますが、”好き勝手できる””失敗できる”という環境は魅力的ですね。

山口氏:そうですね。コミュニティで繋がって外の人の話を聞く機会がありますが、大きな企業では似たような悩みを抱えている人はいますし、登さんからご紹介いただいた方の中にも危機感を持っている方がいらっしゃいました。中には本当に技術が好きで、社内でできないから一人でこっそりやっている人がいると聞き、“どこも同じ”だと感じました。社内で出来ないなら自分でコソコソやるか、それができる会社に転職してしまうかのどちらかです。

登さんと決めているのは、内外の共創環境を作ること、もっと言うと日本が良くなる仕組みを作りたいと考えています。日本の技術者が育つ環境を作りたいと考えていて、“NTT東日本ができるなら、僕らもそうなれるのでは”と思ってもらえるような存在になっていきたいと思っています。私たちは地域に根差した会社であり、地域経済を支える会社なのだという自負があるので適任だと考えています。

――ありがとうございます。最後にこれからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

山口氏:“自分のスキルは世の中に通用するのか?”と悩んでいる方も多いかと思います。そう言う時は、外に出てみてくださいとお伝えしたいですね。

自分自身、20年間フレッツサービスに携わっていても、“大した技術なんか持ってないんだよな”と思っていたのですが、外に出て登さんと知り合って話をしていると、登さんは私のことを「回線大王」と呼んでくれます。外に出ると「お前が持っている知識は面白いじゃないか」と言ってくれる方がいるので、“なるほど、もう一回がんばろう”という気持ちにもなりました。

社内で同じことをずっとやってきて、突き詰めている人はいると思いますが、その技術はきっと凄いはずです。社内にいると中々「あなたの技術はすごいよ」と言ってくれる機会が少なかったりしますので、ぜひ社外の技術者達と積極的に交流をしてみてください。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

山口:NTT東日本の後輩で、ネクストモードを立ち上げた里見宗律さんをご紹介します。ネクストモードはクラウドで働き方を変えようとする会社で、里見さんもずっとワーケーションをしていて、メディアからも「ワーケーションのプロ」として紹介されていました。とてもユニークなお話が聞けると思います。

 

以上が第33回東日本電信電話株式会社 ビジネス開発本部 特殊局 局長の山口肇征さんのインタビューです。ありがとうございました!

今後のストリートインタビューもお楽しみに。


(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)