【連載43】LIXILの岩﨑氏が語る「学生ベンチャーから始まったエンジニア人生」(前編)

LIXIL前編記事FV

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第43弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”成田さんからのバトンを受け取ったのは、LIXIL 常務役員 岩﨑 磨さん。

ご紹介いただいた成田様より「現LIXIL常務役員の岩崎磨さんにお願いいたしました。もともとは楽天、リクルート、DMMなどWeb系企業でキャリアを積み、現在はLIXILに転身してIT分野を強力に牽引している方です。私自身、自分のキャリアを考える上で、岩崎さんの各所での活躍は非常に大きな刺激になっています。」とご推薦のお言葉をいただいております。

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岩﨑 磨 さん

LIXIL 常務役員 システム開発運用統括部リーダー 

複数のベンチャーを経験後、楽天、リクルートなどで情報システム部長やインフラエンジニアを務める。2018年にLIXIL入社。21年から現職

岩﨑さんの原体験とは

ーーまずは、現在の岩﨑さんを形作る原体験をお聞かせください。

学生時代に、ベンチャー企業を学生4人で共同で立ち上げたのがキャリアの原点です。事業内容は、アカデミー向けのインターネットサービスプロバイダーを作ろうと考えました。
いわゆるISDNの回線を使ったダイヤルアップのプロバイダーなのですが、アメリカからインターネット周辺機器を購入し、サーバー系は大学のおさがりをいただいて作りました。当時、大学の先輩の下宿先で作業していたのですが、部屋の半分はインターネット設備で埋まってしまう状況でした。

 

ーーなぜ、学生時代にベンチャー企業を立ち上げようと思われたのですか?

私を含めた他のメンバーは、皆インターネットが大好きで、UNIXの知識もあり、サーバーを作るのも大好きでした。
その様子をみて、当時の大学教授に「学生起業支援金という制度もあるし、そんなにインターネットが好きなら、君たちで会社を作ってみたらどうか?」「君たちの好きなことをビジネスにした方がいい」と言われたのがきっかけです。そうして、ベンチャー企業を立ち上げたのですが、この起業でその後、多くの失敗を経験することになります

学生ベンチャーの失敗から得た教訓とは

ーー例えばどのような失敗を経験されたのでしょうか?

LIXILの岩﨑氏が語る「学生ベンチャーから始まったエンジニア人生」画像2

学生ベンチャーだったこともあり、初めは大学の繋がりで、なんとかお客様を見つけることができました。
しかし、その後は、お客様を見つけられず、ビジネスに結びつけることもできませんでした。また、エンジニア 4 人が集まって会社を作ったので、「お金勘定」「ビジネス戦略」「マーケティング戦略」などが十分にできず、自転車操業状態になってしまいます。そして、しばらくした後、会社を清算しました。
この経験を通して「会社を作るのは簡単ですが、収益をあげて会社を維持して、成長させることがいかに難しいか」ということを深く学びました。売り上げも利益も出ないと社員に給料も渡せないし、電気代も払えないですからね。この時の失敗の経験は今でも生きています。

 

ーー共同起業した会社を清算したあと、次のステップはどうされたのですか?

第三セクターの地方自治体がやっているケーブルテレビ事業の会社に入りました。そこでは「これからケーブルインターネット事業を始めるスタートのメンバー」として入社したのです。
その会社に入った経緯としては、まず学生ベンチャーをやっていた時に、地方自治体からエンジニアとして認知してもらえていたことがきっかけです。その自治体からエンジニアがいなくて困っているという話を聞いて、「それなら私でもできるのではないか」と思ったのです。
はじめは、ケーブルテレビ事業周辺の技術的な仕組みは、全く分かりませんでした。けれど、インターネットに関するベースの知識は学生ベンチャー時代に得ていたので、外注企業さんや、親会社からのきた社員の支援も借りつつ、一通りのシステムを作ることができました。「サーバー」や「データベース」など基幹系のシステムはすべて作りましたね。
その後、この会社を第三セクターの資本が入らない形でスピンアウトさせて、データセンタービジネスやシステムコンサルタントなどの事業もできるように拡大させました。

 

ーー自分ができる能力の枠を超えて、どんどんスキルアップしていっているように思いますが、なぜそれができたのでしょうか?

LIXILの岩﨑氏が語る「学生ベンチャーから始まったエンジニア人生」画像3

それは学生ベンチャーで起業した経験が大きいと思います。例えば、私の場合「帳簿ってなに?」「決算ってどうする?」という状況に直面したりしていたので(笑)
今できなくても、解決しないといけない状況が常に発生したので、自分ができる能力の枠を超えてできるようになる必要がありました。その姿勢が自然に染みついてきたからこそ結果的に今があるのだと思っています。

リーマンショックがターニングポイントとなり、東京へ

ーーエンジニアとして働いていく中で、ターニングポイントとなった出来事はありますか?

ターニングポイントになったのはリーマンショックです。
2社目の第三セクターの会社を離れた後は、数社のベンチャー企業を渡り歩きました。リーマンショックの直前に働いていた会社は、自社サービスを開発できるくらいの力はあったのですが、社員のほとんどがSESとして外部に出て働いていました。
そんな中、リーマンショックが起こると、外部に出て働いていたSESの社員は、仕事がなくなり全員戻ってきてしまったのです。そして、戻ってきた社員全員を食べさせるためのビジネスが自社で育っていなかったので、結局その会社は倒産してしまいました。
この時感じたのは、「経済がガクッと沈んでしまった時に、関西に残ったままでは仕事を見つけるのは更に難しくなる」ということです。そうして、心機一転、エンジニアとして東京に出ると決めました。

楽天へ入社し、テクノロジーリードとしてチームを引っ張る

LIXILの岩﨑氏が語る「学生ベンチャーから始まったエンジニア人生」画像4

東京に出て、今後は純粋にネットワークエンジニアとしてキャリアを築いていこうと思い、転職活動を行いました。それまでは紹介を通して、転職してきたので、人生で初めて就職活動をしました。そして、ネットワークエンジニアとして楽天に就職したのです。
楽天にいて良かったことは、日本の中でも最先端で戦えるエンジニアとたくさん出会えたことです。彼らから、たくさんの刺激をもらいました。

 

ーー楽天ではどのような役割を担っていたのですか?

テクノロジーリードとして仮想基盤の新規アーキテクチャの提言や、楽天市場の当時のネットワークや仮想サーバ基盤全て移行するプロジェクトの旗振りなどをして、チームを引っ張り結果を出しました。

 

ーーそれまでは、ベンチャー企業で働くことが多かったと思いますが、楽天に入社して働き方は変わりましたか?

ベンチャー企業のときは全部自分が主体で進めてきましたが、楽天の規模感ではそうはいきません。基盤を作るとなると、自分の専門外の人も巻き込まなければならず調整は大変でした。
また、周りのメンバーが皆優秀なエンジニアだからこそ、コンフリクトが起こることもあります。そうした時には、「価値を最大化するために自分はどう立ち回るべきか」を常に考えて動いていました。

 

ーー岩﨑さんは当時、どのようにキャリアを重ねていこうと考えていたのでしょうか。

LIXILの岩﨑氏が語る「学生ベンチャーから始まったエンジニア人生」画像5

 最初は「会社を経営して、その会社を大きくして、ビッグになってやろう」と考えていました。「30歳までにフェラーリを買う!」という目標を掲げたほどです。(笑)
しかし、学生ベンチャーで起業してみて、「エンジニアとしては戦えるけど、経営者には向いていないな」と感じたんです。 結果的にベンチャーで立ち上げた会社は清算させてしまいましたが、この時、私に残ったのは「エンジニア力」だったと思います。

「エンジニア力」が付いた理由は「仕事を進める上で分からないことは調べ尽くしていた」からです。
当時、日本のインターネットの黎明期においては、欲しい情報にすぐアクセスすることはできませんでした。欲しい情報に行き着くまでにたくさんの寄り道が必要で、その寄り道の中で、たくさんの知識を得ることができたのです。そのようにしてエンジニアリングの知見が広がったこともあり、自分はエンジニアとして突き詰めた方がいいと思いました。

ITを武器として使いながら、会社の価値を最大化すること

ーー「経営は向いていない」とご自身で感じた理由はございますか?

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私の自己認識ですが、「自分の能力を最大化させられるのはおそらく、大きなビジョンを持っている人に自分の専門であるITの力を駆使してレバレッジをかけること」だと思っています。
自分が先頭に立って経営をすることも可能だと思いますが、もっと他に上手くできる人がいると思っているのです。

私が目指していることは、ITを武器として使いながら、会社の価値を最大化することです。その役割が、おそらく一番向いていると思っています。それが私の一番のバリューポイントです。

楽天からリクルートへ 、その後DMMへ転職

楽天で色々な仕事を担当してきましたが、「もっとレスポンシビリティを持って、自分が戦略を立ててコントロールしながら仕事をしたい」と思っていました。そんな時に、リクルートがインフラのリードを出来る人を探しており、その上インフラ全体を見ることができると聞いて、リクルートに転職しました。
リクルートの後は、DMMの亀山会長から直接お声がけをいただきDMMに入社しました。DMMでは、インフラ面の課題についてヒアリングし、まずは現状把握から入って、一番最適な方法についてご提案しました。

 

ーー転職を決める際の判断軸はありますか?また、声をかけられて、求められる人になる要因などはありますか?

転職の際に重要なことは、「自分がどれだけのリーダーシップをその会社で発揮できるか」だと思っています。 転職した際の一番のリスクは、やりたいことが出来なくなることですからね。
それと、私はインフラ屋なので、運用やオペレーションという泥臭いところが大好きなんです。けれど、この部分をやりたがる人は少ないかもしれません。インフラという土台に課題があったときに私が一番にそれを直したいですし、良くしたいという思いがあります。

私はみんなが困っているところで、興味を持ちにくいところに真っ先に飛びつき、課題解決に対して早く動きます。それが結果的に痒い所に手が届く、ユーティリティープレーヤーになっていて、私のバリューポイントになっているのかもしれません。

 

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)

 

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