【連載39】“最高の顧客体験実現のために“入社時にJINS松田氏が執行役員CIOとして宣言したコト

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第39弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”久保田さんからのバトンを受け取ったのは、株式会社ジンズホールディングス 執行役員 松田真一郎さん。早速お話を伺いたいと思います!

 

――ご紹介いただいた久保田様より「JINSでCTO/CIOとしてデジタル戦略をけん引している松田真一郎さんをご紹介いたします。とあるイベントでお会いし、プリズマティクスの濱野さんともアクセンチュア時代の同期であり、3人とも同級生ということで意気投合し、定期的に飲みながらお互いを高め合っている存在です。デジタルやテクノロジーはあくまで手段で目的ではないという観点も共通しており、今後の松田さんの行動に注目しています。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の松田様を形作る原体験をお聞かせください。

松田:高校時代には医療系や自然、生物系に興味があり、バイオテクノロジー関連の学部や専攻がある大学に進学したいと考えていました。その思いを叶えるために大学に進学しましたが、真面目に学業に取り組んでいたわけではなく、アメリカンフットボール部に所属し、ジャージ姿で毎日、運動に励む生活を送っていました。

私が通っていた大学は理系の工業大学で、大学院進学率は8割以上。とりあえず大学院に進み、教授の推薦を受けて企業の研究員として就職する流れが一般的でした。私も大学院へと進学して就職を考える時期になり、白衣を着て実験すること自体は嫌いではありませんでしたが、“これを30年や40年続けることが本当に自分にやりたいことなのか?”と考えた時に、“他にも選択肢があるのではないか”と思うようになり、教授に「推薦をもらわずに自分で就職先を探します」と宣言しました。

当時は現在のような就職サイトなどなく、郵送されてくる求人誌のハガキを使って就職活動を行っていました。銀行や商社にも興味がありましたが、中でも初任給が高いという理由からコンサルティング業界に興味を持ち、50音順のア行の中で一番上に位置していたアンダーセンコンサルティング(現在のアクセンチュア)に応募しました。

社会人経験がないため、コンサルの具体的な業務内容のイメージはつかみ切れなかったのですが、面接官の話を聞いて、仕事は大変そうだけれども興味深いと感じました。また、人事担当者からは3年間で普通の会社の10年分の経験を積む機会があると言われ、ITや英語のスキルは他の職業に転じても必要な要素であるため、体力もある若いうちに3年間頑張って経験を積んだ後に新たな道を模索するのが良いと考えました。

そして内定が決まり、「初めてのC言語」という書籍を購入し、プログラミングを始めたことがITとの初めての関わりになりました。当時のアクセンチュアは、コンサルティングの色が強かったものの、新卒で入社したらとりあえずは全員プログラマーからスタートすることが一般的でした。

入社して最初にアサインされたのは、通販サイトを立ち上げるプロジェクトでした。バッチ処理のプログラマーとして参画し、先輩から設計書を受け取り、コーディング、テストして、デプロイするということをひたすら繰り返す日々でした。コンサルティング会社は、“クライアントと議論することに時間を使う”イメージがあったので、システム開発業務は入社前のイメージと異なりましたが、プログラムのコードを書いて、それがきちんと動いて、自分がわからなかったことがわかるようになっていく過程が面白かったです。

その後、稼働後の運用保守を担当しました。そこで自分が書いたプログラムが動き、お客様から注文を受け、倉庫から商品がお客様のもとへ届き、売り上げに反映される一連の流れを一通り見ることができました。単にプログラムという部品を作っているだけではなく、自分が作ったソフトウェアが実際に社会の中で動き、お金や商品がそれに従ってきちんと動いていることが見えたときに、“ただプログラムを書いているのではなく、社会で使われるシステムを作っているんだな”と実感しました。

また、私は周りと比べてプログラミングのスピードが速いほうでしたので、チームのメンバーが困っているときもサポートできていたため、アプリケーションプログラムに関して得意という自負がありました。今思えば、慢心していました、恥ずかしい記憶です。


――他のメンバーに対して松田様がすぐにアドバイスができたのは、どのような力があったからと自己分析されますか。

松田:大学時代から最初に仮説を立て、その仮説をもとに実験をして、その結果を解析し、仮説が合っているのか、合っていないのかを繰り返してきました。当時はあまり意識をしていませんでしたが、そのように教授や助手、研究室の先輩から指導されていたので、そういう感覚が身についていたのです。ですから、会社で仕様書を渡されたときに、簡単なフローチャートを書いて構造化して、プログラムの予想結果を理解してから実際に書くコード落とす習慣がついていました。ITの勉強をきちんとしていたということではなく、基本的な研究のプロセスをきちんと身につけていたということだと思います。

――順調に経験を積まれている印象ですが、今の松田様に繋がるターニングポイントは何だったのでしょうか?

松田:入社2年目にコールセンターで使用するアプリケーションを作成したときの経験がターニングポイントだったと思います。

コールセンターに納品して実際にアプリケーションを動かすと、自分のローカル環境上では正常に動作していたにも関わらず、データベースへのアクセス遅延でレスポンスが遅い、ネットワーク接続が不安定で利用できないという問題が発生してしまいました。当時の自分にはネットワークやデータベースの知識や経験が不足していたのです。

そんな時、技術基盤チームの先輩は、私が全く知らなかった用語を話し、迅速に問題を解決してくれました。自分はアプリケーションの作成に自信を持っていましたが、実際に社会で使用されるシステム全体を考える能力は持ち合わせていなかったのです。先輩から、「アプリケーションプログラマーだけじゃなくて、システム全体をデザインするテクノロジーアーキテクトとしてキャリアもあるよ」とアドバイスされました。これをきっかけに、技術の知識の幅を広げる必要性を感じるようになりました。

そして先輩の示唆によって技術的な幅が広がると同時に、チームリーダーのポジションを任されるようになりました。以前は自分が早く仕事をこなせるという過信から、手こずっているメンバーの仕事を巻き取るスタイルを取っていました。しかし、ポジションが上がるとチームの人数も増え、従来のやり方では自身の体力が追いつかなくなります。上司からは、個人の体力には限界があるので働き方を変えるべきではないかとアドバイスされました。これを受けて、以前とは異なるアプローチを取ることにしました。それまでは自分のスタイルで仕事を指示することが多かったのですが、個々のメンバーには得意なことや好きなこと、苦手なことなど個性があります。その個性を考慮しながら仕事を適切に振り分けるようにシフトチェンジしたのです。

また、プログラマーからアーキテクトへの転身や、リーダーからマネージャーへの昇進も私にとって大きな転機となりました。これらの変化を通じて、単なる仕事の範囲を超えて、チーム全体の調和やメンバーの成長に対して責任を持つ重要性を実感しました。

――当時はどのようなキャリアプランをお持ちだったのでしょうか。

松田:実は社内でのキャリアプランを考えるのは、途中で面倒くさいと思うようになっていました。笑 なぜなら、5年後にやりたいことを考えて計画していたのですが、その後にいざ思い出そうとしたときに思い出せなかったので、あまり意味がないと思いました。

先輩から「あまり仕事を選り好みしない方がいい。流されない意思は持っておいた方がいいけれど、実際はやってみないとわからない」と言われたことも影響しています。確かに、“戦略系のコンサルってかっこいいな”と思っていたときもありましたが、実際にやってみると“自分に向いていない”と感じました。逆に例えば“このお客様は苦手だな”と思っていても、実際に関わってみると学びがあります。要するに、食わず嫌いではもったいないと思ったのです。やりたいことは人生経験に応じて変わるので、5年先のキャリアプランにこだわるのは“時間の無駄だ”と思いました。

――「食わず嫌いはもったいない」という考えは素敵ですね。その後に松田様はコンサルティング会社から事業会社に転職されていますがどのようなお考えがあったのでしょうか。

松田:コンサルティング会社は居心地も良かったため20年間勤めましたが、実は入社7年目のマネージャーのときに、転職活動をして他社から内定をいただいたことがありました。当時のキャリアカウンセラーに転職を相談したのですが「転職先の会社でやりたいことが、もし現在の会社の中でも携われる可能性があれば、まずは社内で挑戦してみれば?」とアドバイスをもらいました。このアドバイスを受け、自身がやりたいと思うことを上司や関係者に伝え、実際に希望通りのプロジェクトに参加してみましたが、結果として“自分には向いていない、隣の芝が青く見えただけ”といった経験もありました。

コンサルティング会社での最終的なポジションはマネージングディレクターでした。そうなると従業員ではなく、会社経営者という立ち位置になります。組織運営上必要だとは理解していますが、採用・評価・人間関係の調整、組織の予算関連に使う時間が徐々に増えていきます。私自身は技術者としてお客様と対峙する時間を大事にしてきたが、これ以上ポジションが上がると求められる役割が変わってくると実感したときに、果たして本当に自分のやりたいことなのかと改めて考えるようになっていました。そんなタイミングでコロナ堝に見舞われます。

コロナの影響によってプロジェクトが中断した時期に、“異なる分野で新たな挑戦をする”ことを考えるようになっていました。その時点で私は45歳で、将来のことを考えると、50歳になってからよりも、40代で新しい環境に挑戦すべきだろうという考えに至りました。

もともと定年までコンサルティング会社に勤めるとは考えていなかったので、転職をするならば、別業界で挑戦したいと考えていました。良くも悪くもコンサルティング会社は最終的に「ここから先やるのはお客様です」「ここから先の決断と責任はお客様がとってください」と契約上、やはりビジネスとして線を引かなければなりません。そうなると、せっかくこれまで一緒に検討して、あとは実行するだけの状態までもっていった企画も、「1年後にどうなりましたか?」と聞くと「決裁がおりませんでした」という残念な結果になってしまうケースも往々にしてありました。成功も失敗も含めて、最後まで自社のサービスに責任を持つ立場にある事業会社での経験は、今後の人生の中で何かに活きるのではないかと感じました。

――事業会社がいくつもある中で、なぜJINS社だったのでしょうか。

松田:本当に偶然です。事業者に転職するのならば、大学院時代の研究経験を活かせるヘルスケアやメディカル、バイオ系のスタートアップを探しはじめ、エージェントにも、そのようにリクエストを出しました。最初にJINSを紹介された際、私はアパレルのカテゴリーに関連付けてしまい、自分の志向とは異なるイメージを持ちました。ただ一度は会ってみようとカジュアル面談に同意し、さすがに会社について何も知らないのは失礼だと情報を整理してみると、「近視のない世界を作りたい」という思いがあることや、レンズが医療機器であるなど、医療企業にも近しい存在であることがわかりました。

さらに私はIT部門や人事担当者とのカジュアルな面談を予想していましたが、実際には田中社長本人が自ら面談してくれたことにも驚きました。田中社長は創業者ということもあり、とてもエネルギーがある方で、社内のデジタル活用について「やりたいことがたくさんあるが、全然進まない。一緒に立て直して欲しい」と言われ、その場で「うちに来ないか?」とオファーをいただきました。大きく心が動いたのですが、転職活動を始めて3日目だったので、「即決はこの場では難しいです」と伝えると「待つから、いいよ」と言ってくださいました。急いで並行で他社の選考を進め、いくつかの会社から内定をもらいましたが、他社と並べてみたときに、“創業社長とダイレクトに働く機会は願ってもなかなか得られるものでもないし、そこが一番面白そうだ”と思いました。また、私自身、暇であることが好きじゃないのです。意思決定が遅くてプロジェクトが進まないとか、手持ち無沙汰な時間があると、何もしない時間に自分が劣化していく感じがします。やることがたくさんある方が燃えるタイプですね。

――実際に入社していかがでしたか。

松田:企業ビジョンとして「Magnify Life(マグニファイ・ライフ)=人々の人生を拡大し豊かにする」と謳っているだけあり、様々な新しい取り組みに積極的に取り組んでいると感じました。一方で、色々改善しなければならない課題も散在していて、新しい取り組みと、“なぜ今、これが残っているのだろう?”と感じる塩漬けのままの仕組みが混在していました。

――どのように改革を進めていったのでしょう。
松田:突然、“執行役員CIOが入りました”という鳴り物入りで入社したのではなく、社長室に所属するIT担当メンバーのスペシャリストとして入社しました。プロジェクトのプロジェクトマネージャーとして現場からのスタートし、実際のプロジェクトの進め方や、パートナーさんとの付き合い方や実力値、相対する事業部門メンバーの推進力、プロジェクトをどのようにコミットして作られるのかを自分の目で確認できてよかったと思っています。

そして、きちんと現場の状況、課題、背景などを理解した上で、あたらしい取り組みをリーダーシップを持って進めるべく、入社して11か月後に執行役員CIOになりました。

――「デジタルの6大テーマ」を重点施策として公言されていますが、これはCIOになった時点で発信されたのですか。

松田:そうです。以前から議論を重ねていたのですが、言語化して対外的に発信してはいませんでした。CEOの田中を含めて、デジタルトランスフォーメーションに対してしっかり取り組んでいこうということは、私が入社する前から決めていました。「デジタルリテラシーの向上に取り組みます」と謳っていますが、まだまだ正直、試行錯誤中ではあります。自分なりに“これだ”というような処方箋はまだ見つかっていないのが現実です。人材の育成は、投資と一緒です。長い目で成果をあげていく忍耐と工夫が必要だと思っています。

私が入社した時に会社に対して宣言したことがあります。

「基本的には自分のキャリアは、5年単位で考えています。1年間の準備期間と残りの4年間です。」
「執行役員として、前半の2年に、短期的にすぐに効果が出せる取り組みを実践し、合わせて時間がかかるところの土台づくりを進めます。一旦そこで任せても大丈夫か判断してください。後半の2年で長期的な取り組みの効果を刈り取りつつ、その後を任せられる人材・組織を育てます」

このように宣言しました。

個人的な意見ですが、私は適切な新陳代謝がある組織のほうが良いと思っています。一人の人が長くグリップし続けていると、過去にその人がチャレンジして駄目だったことが、変えられないこととしてタブー視されていたり、「この人に聞かないとわからない」というブラックボックスが次々に増えていきます。ですから、適切に新陳代謝したほうが淀みません。私自身も今の役割は、どこかのタイミングできちんと引き継ぎたいと思っています。
前職でも、すべての仕事がプロジェクトベースで、きちんと目的があり、期限があり、それをしっかり次に渡していく働き方に慣れています。まずは5年間やるべきことをしっかりやりきった上で、次の5年間の過ごし方を考えるつもりです。そのタイミングでご縁があり、他の会社でやりたいことが強ければ転職も選択肢の一つだし、もちろんジンズで新しい役割で働き続けることもあり得ます。固定観念を持たずに柔軟にキャリアを描いていきたいと思っています。

――松田様は、自分の働き方や役割をしっかり自分で言語化して宣言してこられたのですね。

松田:宣言した方が、結果に至る道のりが明確になります。宣言することで、具体的なアドバイスをもらえます。ポジション的に、会社のメンバーと1on1でいろいろな話をしますが、私はメンバーに、「私はプロのカウンセラーでも、精神科医でもエスパーでもない。なので、 あなたの心を読むことはできない。だから自分のやる気スイッチがどこにあり、やる気を出すために僕にとって欲しい行動は何かを、自らが言葉にしてほしい。」と伝えています。「こんな点を認められるとやる気がでる。改善点を指摘する場合はこのような言い方をしてくれた方が受け止めやすい」と言葉にしてもらえば対応可能です。ですから、自分がやりたいこと、自分のやる気スイッチの場所、取り扱いのポイントなど、きちんと言語化して明言した方が働きやすいし、チームの成果も上がると思っています。

――今後、JINS社としてどのような技術的チャレンジをしていきたいと思っていますか。

松田:最高の顧客体験をどのように実現していくのか、そして製造小売業ですので、商品をしっかり作っていくことに貢献していきたいと思っています。デジタルを活用してサポートできるところは当然ありますが、特に顧客の価値を最大化するためにデジタル活用を進めることが目下の最大の優先事項です。

「ふつうのあたりまえ」を実現することはもちろん大事ですが、我々が実現したい「あたらしいあたりまえ」は、「J!NS」ロゴに入っているビックリマークが示すように、ワクワク、驚きをお客様に与えることができるかが重要です。小売業はやはり人とのコミュニケーションが最終的には大事だと思っているので、デジタル活用を前面に押し出すのではなく、人と機械・AIがうまく共生していけるような取り組みを今、模索しているところです。

店舗では特にスタッフが採用しづらくなっていくことが予想されるので、ChatGPTなどのジェネレーティブAIを活用していくことも検討しています。店舗のスタッフにも、お客様と同じように幸せになってもらいたいと思っています。

CEOの田中は常々、「常に3つのことをしっかりと考えて、それが満たされているならば何をやってもいい」と言っています。その3つとは、まず「お客様に価値をあたえること」、「従業員のためになること」、そして「その結果として当然、会社の利益になること」、これらを満たしているならNOと言うわけがないといっています。

とはいえ、新しいことにチャレンジしようとしても、手がかかるレガシーシステムがあると足かせになってしまうので、技術的な負債をしっかりと一掃する必要があります。地味な取り組みではありますが、幸いにもその重要性を社外取締役を含めた役員の皆さんが理解しているので、しっかりと技術的負債を一掃して新しいチャレンジができる基盤の整備を進めたいですね。

――ありがとうございます。最後に読者に向けて、これからの時代にエンジニアとしてどのように立ち回れば良いのかなど、メッセージをいただけますか。

松田:私が自分の中で大事にしている言葉は、「有言実行」です。エンジニアの方に伝えたいのは、人生長いようで短いのでグダグダと悩む暇があったら、“サクッと行動あるのみ”ということです。クラウドの発展でアプリケーションエンジニアがインフラエンジニアの仕事もカバーしやすくなったのと同様に、ChatGPTに代表される新しい技術の登場により、うわべだけのエンジニアは存在意義を問われるようになります。“ChatGPTは使ったことないけどどんな技術なんだろう?”、“自分の仕事は今後どうなるんだろう”と悩む暇があるならば脳みそと手を動かすべきだということです。考えることと、悩むことは大きく違います。自分の思いを言語化し、宣言して、実際にやってみる。副業やボランティアでも機会はいくらでも作れるので、チャレンジすることが大事だと思います。


――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

松田:紹介者は、化粧品会社コーセーの進藤広輔さんです。彼は前職のアクセンチュア時代に顧客側のIT担当でした。当時、ベンダーとクライアントという関係を越えて、とても良い関係性を築くことができました。事業会社からその後、AWSに移り、現在のコーセーでも同じくユーザー企業側として、DXを積極的に推進されている方です。色々なお話が聞けると思います。


以上が第39回株式会社ジンズホールディングス 松田 真一郎さんのインタビューです。
ありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)

 

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