【連載38】良品計画久保田氏が語る”社内改革を任されたエンジニアが技術を語る前に心がけるべきこと”

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第38弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”濱野さんからのバトンを受け取ったのは、良品計画 執行役員 久保田竜弥さん。早速お話を伺いたいと思います!

 

――ご紹介いただいた濱野様より「久保田さんは、ZOZOでECを経験しながら、なぜ良品計画のような小売りに転職されたのかという理由も含めてお話をうかがうととても面白いのではないでしょうか。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の久保田様を形作る原体験をお聞かせください。

久保田:中学生の頃に、FM TOWNSというパソコンを買ってもらい、ゲームを作り始めたのがプログラミング体験の原点だと思います。ファミコンなどのゲームを買ってもらえなかったので、“買ってもらえないなら作ればいいや”という発想だったと思います。親にも「パソコンは勉強になる」と説得しました。
インターネットがない時代に何を使って調べていたのかは覚えていませんが、自分でプログラミングを勉強していました。雑誌にサンプルコードが付いていて、それをそのまま打つとシューティングゲームができるというものがあり、それをひたすらやっていた記憶があります。ところが、当時はそれを深掘りすることはなく、その後にハマったのは音楽とファッションでした。笑

きっかけは中学2年生の時、地元の交換留学生制度で選ばれてシアトルに行きました。そこで目にしたファッションに衝撃を受けて、興味を持つようになったのです。また、現地の中学生がみんな、ニルヴァーナのアルバムを聴いていたのですが、日本の歌謡曲しか知らなかった私は再び衝撃を受けました。それから大学を卒業するまで、ひたすら音楽とファッションにのめり込みました。多感な時期にアメリカで文化の違う人たちと触れあい、“世界はこんなに広いのか”と感じたことが、今の自分のセンスや物事の考え方などの原点になっているのは間違いありません。

大学を卒業するまでは真剣にミュージシャンを目指していたので、就職活動は一切していませんでした。自分で音楽を作り出して音楽で人を喜ばせたいと思っていましたし、ファッションの流行の流れを掴むのが得意だったので、時代を読むアンテナの張り方については、その時期に身に付いたものです。

本気で音楽で食べていくつもりだったのですが、彼女から「ちゃんと就職してほしい」と説得されて、大学4年生の秋に慌てて就職活動を開始しました。当時は、「超氷河期」と言われている時代だったので、私が選考していた電気工学系の学生を募集している会社などありません。とにかく就職できるところを探していたら、当時、2000年問題の関係でITエンジニアの需要が高まっていて、採用されやすい状況だったのでエンジニアになろうかと、特に何の考えもなく小さなSIの会社に入社しました。

――そこではどのようなお仕事を?

久保田:大手SIの孫請け会社に就職して、金融系システムを構築していました。とにかく過酷な開発現場で、その状況から抜け出したくてすぐに転職をすることに。笑
今度は銀行のシステム開発に従事しましたが、そこも同じように過酷な環境にありました。ちょうど銀行の合併が相次いでいた時期で、現場は大混乱。そこで様々なことを身につけました。

例えば、周りに嫌な人しかいなくて、つらい思いをしたときに、“どんなに嫌な人でも、1つくらいは自分より優れていたり、尊敬できる部分があるだろう”と思い、その人の良いところだけを見るようにしました。嫌な部分は一切見ずに、その人の良いところだけを見て付き合うようにしたら、だいぶ救われました。今でも人の良いところを見つけるのがとても得意です。
人をマネジメントするときには、みんな悩むと思います。欠点を指摘するマネジメントをやりがちですが、私は褒めることに徹底しています。絶対に良いところがあるので、その良さを引き上げてあげます。もちろん改善したほうが良いところを放置するのではなく、まず褒めて、その上で他の足りない部分を指摘するというやり方をしています。当時は何も思っていませんでしたが、自分がマネジメントをする側になってから、それができる人が少ないことに気付きました。

その後、金融系の古い技術スタックから離れて別の環境を経験しようと思い別のSIerに転職をしたのですが、現場や技術スタックは変わっても業務環境はほとんど変わりませんでした。さらにその次に転職したのはWeb系の会社でしたが、根本的な状況は変わらずで事業会社への転職を視野に入れるようになったのです。

――なぜ事業会社への転職を検討されたのでしょうか。
久保田:はい。3社目のWeb系企業で法人営業を担当していた時に経験したことがきっかけです。ちなみに、その会社で営業をすることになった理由はエンジニア経験を持つ社員の中では営業的な会話ができるからだったと思います。
営業先は事業会社だったので、営業活動を通して“事業会社はシステム関係の知識が乏しく必要とされている”と実感したこと。そして私の人生を大きく変えたZOZOとの出会いが大きなきっかけだったと思います。

――まさに久保田さんのターニングポイントだったのですね!ぜひその時のことを教えてください。

実は当時の営業先のひとつがZOZOでした。企業研究を進めるなかで、「世界平和」という企業理念がダントツに面白いと感じました。
それまで仕事は生活のためと考えていましたが、当時の社長だった前澤さんが「働くのは世界平和のため」と言っている記事を読み、“もしかしたら働くことは尊いことなのかもしれない”と考えるようになりました。ちょうど自分も子どもが生まれたタイミングで、将来、子供に「なぜ働くのか?」と聞かれたときに、今のままでは何も答えられない、「世界平和のため」と答えられたらカッコイイと素直に思いました。

その後、ZOZOTOWNの開発エンジニアとして入社して仕事に対する意識がガラッと変わりました。先ほどもお話しましたが、ZOZOは世界平和を企業理念に掲げていて、社員のみなさんがピュアな心を持って、“世界平和を実現するために目の前の人を笑顔にしよう”“目の前の人の役にたとう”という意識で仕事をしていたので衝撃的でした。私はそれまで自分しか見ていなかったので、完全にベクトルが外に向いている人たちを見て驚いたのです。また、今までとは違い、周りが私のことを下請けではなく、ちゃんとした人間として扱ってくれたので、私もどっぷりとZOZOの考えに染まっていきました。

ZOZOでは「WEAR」というサービスを立ち上げ、1000万人が利用するサービスにまで成長させる経験だけでなく、最終的にZOZOの子会社である、ZOZOテクノロジーズの社長を務め、社員数を100人強の状態から400人まで拡大し、会社経営という経験もさせていただきました。前澤さんと色々お話する機会もできたので“世の中にはこんな世界がある”と見せていただいたことも強く印象に残っています。

――ZOZO社でエンジニア組織のマネジメントはどのように行っていたのでしょうか。

久保田:そうですね。人の幸せを考えた瞬間に行動も変わります。もし自分のことしか考えていなければ、部下の成果を横取りしようと考えるし、自分が褒められたいので人に仕事を振れなくなります。もちろんそれは良くないことなので、部下と接するときも部下が幸せになるように考えています。部下に良い成果を出してもらいたい思いますし、部下が成果を出せば一緒に喜びます。

また、エンジニアに大事なのはクリエーション(創造力)だと思われていますが、私はイマジネーション(想像力)が重要だと思います。自分が作ったプロダクトを使っている人の生活や、使う人の業務がどう効率化されるかまで解像度高くイメージできなければ、良いサービスは作れません。想像力が欠如したまま言われた通りに作ったシステムや自分が作りたいという想いだけのシステムは世の中に受け入れられにくいと思います。人を幸せにしたい、人の生活を変えたいということを本気で思っているかどうかが重要です。

私は日本のエンジニアの課題は「想像力が足りない」ことだと思っています。みんなテクニカルに寄っていて、どのようにして綺麗なシステムを作るかということに意識を集中しているように思いますが、例えばアメリカなどは事業にどう貢献するかという視点で業務に取り組んでいます。もちろん全員ではないですが、日本は言われた通りに作って納めるだけでお金をもらえて評価されるので、どうしてもテクニカル重視のエンジニアが多くなってしまうのだと思います。

――その後どのような経緯で良品計画に転職されたのでしょうか。

久保田:「人や世の中の役に立ちたい」と考え、それを突き詰めていくとファッションだけではないと考えるようになりました。ファッションを通してできることもたくさんありますが、世の中にはファッションすら楽しめずにもっと根本的な部分で悩んでいる人がたくさんいますし、困っている方もたくさんいます。解決すべき課題がたくさんあると思うようになりました。例えば、2011年の東日本大震災で私の地元の岩手県が大きな被害にあい、過疎化が進んで大変な状態となっています。そんな状況を見て“いつか地元に恩返しがしたい”と思っていました。

「いつか」と思っていた矢先、42歳で大病を患ったこともあり、“人はいつ死ぬかわからないので、いつかやろうと思ったことはすぐにやらなければ”と痛感したのです。
そして体調が落ち着いた頃にひとまず転職エージェントに登録して、いろいろな会社の情報を集めることにしました。エージェントに自分の想いややりたい事を伝えると、どのエージェントの方からも良品計画を紹介されました。

そして良品計画の企業理念“「人と自然とモノの望ましい関係と心豊かな人間社会」を考えた商品、サービス、店舗、活動を通じて「感じ良い暮らしと社会」の実現に貢献する。“を見て、“これが実現できたら私が解決したい地方の課題にも通じていて良い世の中になる”と感じましたし、もともとZOZOで目指していた世界平和も叶えられるかもしれないと思いました。

良品計画はこれまでと全く異なる業界でしたが、今から別の業界に行ったとしても、社会人をスタートしてから45歳までのおよそ20年間で社長にまでなれるのだとしたら、65歳までの20年間で極められるのではないかとポジティブに考えることにしました。笑

――企業理念などをしっかりと調べて理解して、自分の理想に合致するかどうかで会社を選んでいるのですね。
久保田:そうですね。もちろん理念以外にも決めた理由はあります。笑
今後SDGsにしっかり取り組んでいこうとすると、モノを作り出すところから意識をしなければなりません。なので小売りではなく、モノづくりをしている会社に行く必要があると考えました。
また、交換留学をした時から「海外で何かしたい」という夢があり、ZOZOにいるときも2回ほど海外進出に挑戦しましたが、どちらも失敗に終わった経験があります。良品計画はMUJIブランドが海外で浸透しつつある環境のため、自分の夢と想いにフィットすると感じました。

――良品計画からはどのような期待が寄せられ、それに対して今、どのような取り組みを進めているのでしょうか。

久保田:背景からお話すると良品計画はユニクロ、ニトリ、カインズなど小売系とよく比べられますが、彼らは2015年頃からテクノロジー内製化に取り組んでいて、5年以上が経過している状況だと思います。そして結果を出してきています。対して良品計画は遅れをとっている状態です。

そもそも無印は商品づくりや思想でモノを売っている会社で、商品づくりに本当に真摯に取り組んでいて、良い商品を作ればお客様に届くと考えていました。つまりマーケティングやテクノロジーを十分に活用するところまで至っていなかったのです。

しかしこの時代になり、商品づくりだけでは届きにくくなりますし、そもそも良品計画は“感じ良い暮らしと社会を実現する”ことを掲げているので、その思想に共感する人をどんどん増やしていく必要があります。そして増やすためにはテクノロジーの力を使いマーケティングに近いこともやっていかなければならないと考えています。

――このように歴史もあって規模も大きな会社をテックカンパニーへと変えていく上で、どのようなご苦労がありましたか。心がけていることなどもお聞かせください。

久保田:とにかくこれまでの道を作ってきた人や考え方へのリスペクトが重要ですね。私はそもそも良品計画の思想に共感して入社したので、誰よりも良品計画の思想を理解したいと思っています。その思想を作ってきたのはこれまで40年間、商品を作ってきた人たちです。なので、まずはその理解が重要だと思いました。そしてその理解を自分なりに解釈し、戦略に落とし込んでいきます。

思想をきちんと理解していない人がいきなり「テックカンパニーにするぞ」と言っても反感をかってしまいます。きちんと理解した人が会社をより良くするために、会社としてテクノロジーを使える組織に変えてくれるという信頼関係がとても大切だと思っています。

個人的な考えですが、社内改革を任されてうまくいかないパターンというのは、もともとの会社の文化や思想など大事にしてきたものを理解せずに、いきなり自分のやり方でアクセルを全開にするからうまくいかないのだと思います。私はひたすら文化や思想を理解することから始めました。

――深く理解をするために久保田さんが意識しているのはどのようなことでしょう?

久保田:意識せず自然にやっているのだと思いますが、SIer時代に培った“人の良いところを見つける能力”が役に立っているかもしれませんね。否定はしないようにしています。例えばエンジニアは既存のシステムに対して「なぜこんな作り方をしているのか」と指摘することがありますが、そこには“いろいろと継ぎはぎしながら作らなければならなかった”歴史があります。当時はそれがベストだと思って作っているので、その背景を知らずに指摘をしてしまうと反感を買ってしまいます。疑問に思うやり方がでてきても、理由や歴史が必ずあるので、その理由を聞いた後で判断をしなくてはなりません。中には特に理由がないこともあるので、そういう時はバッサリとやめたりもします。

改革する役割として入社した割に“進みが遅い”と思われるかもしれませんが、それらを丁寧にやっていくのが自分なりのやり方ですね。大きな会社だからこそ、そこに時間をかけなければその後の進みが遅くなります。私は急がば回れだと思い、時間をかけてコミュニケーションを取ってきたつもりです。

入社初日の自己紹介で「良品計画をテックカンパニーにする」と言ったときは、おそらく引かれたと思いますが、今では理解を得ていると感じています。

――ありがとうございます。最後に読者に向けて、これからの時代にエンジニアとしてどのように立ち回れば良いのかなど、メッセージをいただけますか。

久保田:私はエンジニアなど何かを作れる人はすごいと思っています。結局、作れなければ絵に描いた餅で終わってしまうので、モノづくりをしている人を尊敬しています。これからもエンジニアがどんどん世の中の違和感や課題を解決したり、誰かの幸せを考えたり、人の役に立ってほしいと考えています。そして課題解決能力を高めたり、利他的な考え方をするエンジニアが増えていくと世の中も良くなりますし、当然、日本も良くなると信じています。

キャリアに関しては、転職する際に働く環境や評価制度、給料など、いかに自分の価値を上げられるかという観点で会社を選ぶ人が多いですが、そういう人達にやりたいことを聞いても答えが返ってこないことがあります。なんのために働くのか、働く目的や仕事を通して成し遂げたいことなどを意識して働く人が増えるといいですね。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

久保田:JINSでCTO/CIOとしてデジタル戦略をけん引している松田真一郎さんをご紹介いたします。とあるイベントでお会いし、プリズマティクスの濱野さんともアクセンチュア時代の同期であり、3人とも同級生ということで意気投合し、定期的に飲みながらお互いを高め合っている存在です。デジタルやテクノロジーはあくまで手段で目的ではないという観点も共通しており、今後の松田さんの行動に注目しています。


以上が第38回良品計画 久保田竜弥さんのインタビューです。
ありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)

 

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