【連載31】未知の領域でエンジニアが力を発揮していくために、アイレット後藤氏が語る注力することとは

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第31弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”博野さんからのバトンを受け取ったのは、アイレット株式会社 執行役員 後藤さん。

後藤 和貴/アイレット株式会社 執行役員・エバンジェリスト
cloudpack サービスの設立メンバー。現在はアイレットのパートナーアライアンス、新規事業開発、Rackspace事業などを担当。

 

――ご紹介いただいた博野様より『アイレット社は、AWS や Google Cloud によるクラウド開発・運用を専門とする KDDI グループ企業であり、当社の運航管理システムを構築頂いています。後藤さんは、アイレットが提供しているサービス“cloudpack”のエバンジェリストとして、活躍されている方であり、エンジニアにとって、興味あるお話を頂けると思います』と推薦の御言葉を頂いております。まずは、現在の後藤様を形作る原体験をお聞かせください。

後藤氏:小学校のときに、友人の家にパソコンの原型のようなマイコンがあって、そこでプログラミングの基礎を体験しました。できることが限られていて、プログラミング言語は単純なものが多く、自分のコントロールで動かせることが、楽しすぎてプログラミングにしばらくはまりました。高校では物理部という名前のもとに、パソコンで様々な研究する部に入り、そのまま筑波大学のコンピュータサイエンスに進むことは、本当に自然な流れでした。当時は、パソコンを“極めたい”というより、面白いので“続けたい”という思いが強かったような気がします。

 

――“極めたい”より、“続けたい”と表現された真意は?

後藤氏:子どもだったので、どちらかというと、楽しいからやっていたような感覚でした。そこは今にも通じています。“やらされ感”を覚えると途端に嫌になってしまうタイプ。なので、面白いものだけを選んでいるような、そんな選択をする人間です。

 

――“面白い”から続けていた研究を、当時はどのように社会に適合していこうと考えていたのでしょうか。

後藤氏:社会人のスタートは、日本オラクルでした。しかし大学3年当時の私としては、就職ではなくマスターを目指したいと考えていたのですが、たまたま親友に誘われてオラクルのイベントに行って、その当時の人事担当に促されとんとん拍子で、3次面接まで進んでいまい…これも何かの縁だと思い、入社をしたという経緯があります。もちろんテクノロジーの会社でしたし、しかも外資ということに、もしかしたら憧れもあったかもしれません。

最初に配属されたのは、カスタマーサポートでした。外国で作っているソフトウェアを、日本のお客さまに販売しているので、サポートという仕事は非常に重要な位置づけにありました。確かに一定の面白さはあったんですが、そこで“やっていることの成果がすぐにでないと、飽きてしまうタイプ”だったことに気付かされました。つぎに開発部門に異動してローカライゼーションを担当しましたが、これもすぐに飽きてしまいました。

 

――“飽きてしまう”とは、どのようなニュアンスなのですか?

後藤氏:オラクルに入ったらコードを書きたいと思っていたものの、それはほとんどできませんでした。サポートの仕事はトラブルになって初めて問題の箇所を発見するために見る、調べるという仕事だったのですが、好きでしていたわけでなく、ただ得意だったので、なんとなくわかるといった感覚。だから面白くはなく、飽きてしまったのでしょう。

技術に特化したいなら、他にもチャンスがあるのではないかと転職も考え、他社の内定をもらいましたが、ちょうどその時に、オラクルの国際化部門で人員補充する時期。様々なラッキーが重なり、ビザも取れて完全転籍というかたちで、アメリカでエンジニアとして働かせてもらうことになり転職を思いとどまりました。

アメリカでの生活は刺激的でした。日本とは違って、子供も大人も人種も超えた平等感と言いますか、フラットに話し、行動し、しっかり主張する文化です。「私は、たくさんいる中の一人でしかない。自らやりたいことを獲得していくことは重要そして当たり前」という考え方が身に付きました。

アメリカでの生活は面白かったのですが、一方でオラクルを辞める辺りで、ようやく自分がやりたい方向が分かってきます。それは、テクノロジーの力で身の回りの人の生活を便利にするということでした。そこで、選んだ転職先は、日本のデザイン会社。2000年を超えたあたりから、日本でもインターネットが普通になってきました。そしてホームページなどに力を入れる企業が増えてきて、通販などで商売をされるようになりました。

そこは優秀な人が集まったデザイン会社で、テクノロジーの主部門が必要という話を知り、日本に戻って一般の人が使うホームページやシステムを作りたいと思いました。テクノロジーの力で目の前のお客さまが抱える課題を解決できる、そんな感覚を持てたのですね。そこに入社して技術チームを立ち上げるところから携わらせてもらうことになりました。

 

――デザインの仕事は今までやってきた業務上で蓄積してきた技術が、生かせる領域だったのでしょうか

後藤氏:いや、全然ないです。盛り上がっているビジネスということで、とても興味がありましたが、今と比べるとビジネスに対して理解度は低かったと思います。一応アメリカで、スタートアップなどを手伝っていたり、タイムマシーン経営と言いますか、流行っていたことや、これから日本で受けられることがなんとなくあったので、テクノロジー側の人間としてジョインしようと考えました。しかも社内では完全にテクノロジー関連の人間は私が初めてぐらいでしたから、何もわからなかったですし、教われる環境でもありませんでした。お客さまを相手に直接話す仕事も初めてですし、何を話したらいいのかもわからない。服装などもわかりませんでした。

 

――未知の領域で力を発揮していくために、どのような点に注力されたのですか。

後藤氏:私の能力が合っているか合っていないか、その会社で価値が発揮できるかどうか分からず入社したので、まずは貢献できるところを探すところからはじめました。その当時、システムを作るのはお金を出せる超大手企業。特にデザイナーの人たちは、コンピューターテクノロジーの最前線の人たちと話しても“一言も分からない”ような状態でしたので、その間に入り翻訳して伝える役割として動きました。クリエイター側が考えてることを実現するために、このようにして欲しいと通訳する形ですね。そこから見様見真似で画面仕様のようなものを書く手伝いをしたり、タスク管理を始め、プロジェクトマネジメントを勉強しました。

オラクルで、大規模なプロジェクトのタスク管理などを見ていたので、その経験が活きました。まだ20人規模の少人数でスタートした企業で前例もないので、この会社にとってプロジェクトマネジメントは価値があるとわかりました。最初は技術者よりプロジェクト・マネジャー職から始めて、お客さまとのやりとりの中からコミュニケーションスキルを身に付けることができました。価値を理解していたので営業もやりましたし、同時に技術チームの立ち上げも担当しました。退職するまでの9年間で、経験できなかったのはデザインだけでした。

とにかく、全くフィールドが違う会社に入ったため、そこでの自分の価値がどれくらいなのかが全くわからず、積極的に仕事を獲得しに行って、しっかり自分の価値を説明しながら、追っかけで埋め合わせをしていった感覚です。

プロジェクトマネジャーとして積極的に外へ出て行ってお客さまに対峙していたので、相手がどのような提案をすると価値を感じて喜んでくれるか、そして対価を払ってくれるという価値換算ができるようになりました。エンジニアでありながら、そのような職も並行していたおかげで、「誰に価値を感じてもらうか」を説明し「こういう要件だよ」と翻訳してあげると、社内の人が理解して動きやすくなり、感謝されるような構造ができあがります。

さらに単純に自己満足的に“会社に貢献している”という感覚値ではなくて、それを明確にして、数字に置き換えたり、誰もがわかりやすいかたちにすると、皆さん納得するし、自分も納得できる、そんな習慣を身に付けていました。

例えば商業的にも能力あるデザイナーは、たまに自分のエゴが出ますが、それがお客さまに刺さらないとか、刺さるという経験をします。その時に、ロジカルに説明できると、両方とも喜んでもらえることがありますので、私が間に入ることで、そういう人の成果もわかりやすく伝わります。そんな役割を自覚し、自ら発信しながら社内のポジションを確立。最終的には執行役員になるまでに至りました。

9年間、その会社に勤務していたのですが、ふと“技術で食べていきたい”と思うようになり、もう一度、原点に戻ろうと考えました。そこはデザイナーが集まって作った会社なので、どうしてもクリエイティブが優先されがちです。自分が任されていた技術的なチームや人の価値を、これ以上向上させるのは難しいと感じ始めた時期でもありました。

 

――それでアイレット社にジョインされたのですね。どのようなきっかけがあったのでしょうか。

後藤氏:自分の技術を売って食べていこうとフリーランスになり、短期雇用でプロジェクトマネジャーのような役割に従事していた時期があります。自分の価値を発揮し、お客さまにも認められていましたが、このままでは疲弊してしまうと思うようになりました。他の人にはない自分だけの武器が欲しいと思い、半年以上ずっと探し続けた結果、見つかったのがクラウドでした。

当時はホームページ作り、ECサイトやブログを立ち上げる仕事をしていましたが、共通の課題となっていたのが“置く場所”でした。その後、AWS を知るようになりましたが、当時は概念が難しく、日本の非エンジニアのお客さまに説明するにしても、導入してもらうにしても、周辺をサポートする優しいサービスがないと使えないと思いました。

カンファレンスのようなイベントに参加しながらサービスを探しました。それなりに面白いものは見つかったのですが、そもそも日本のお客さまはクラウドを理解していないので、そういうサービスを必要としていない状況は変わらずです。

そこで考えたのが、例えばテレビ放送やキャンペーンなどアクセスが集中するタイミングで、サーバーを増強する際にとても良いサービスがありますと、クラウドをパッケージにしたサービスでした。

クラウドを活用すれば、アクセスが集中する期間を乗り切り、キャンペーン終了後にアクセスが下がってきたら、コストも下げていくことができます。ぱっと見はレンタルサーバーのように見えますが、実は機能的にはすごいのだとわかりやすく伝えながら販売したら面白いのではないかと考えました。最初に手がけたのが、大手電機メーカーの欧州向けブランディングサイトの立ち上げです。そのプロジェクトの中で、初めてアイレットと組むことになりました。

半年間ほどかけて、この計画を練り上げていたものの、なかなか技術的な価値をわかってもらえず悶々としていました。そんな中、共感を持って受け入れてくれたのがアイレットのメンバーでした。友人の紹介で知った当時は在籍人数は10数名、Web の開発しか行っていないような小さな会社でしたが、全員センスが良く、まだ有名ではないながらも力強い会社だなと思っていました。話を持ち込んでみると創業社長と CTO は既に AWS を知っていて、「かたちを変えたら売れるのではないか」という話になりました。そして、2~3ヶ月かけてブランドを決め、提供形態を考え、なるべく事例を多くしていこうと作戦を練り、満を持して始まったのがこの「cloudpack」というパッケージビジネスです。そのタイミングで私もアイレットにジョインしました。

 

――その「cloudpack」が軌道に乗ったのですね?

後藤氏:最初の数年は、全く売れませんでした。誰もクラウドを知らないですし、イベントに出展しても、「Kindle はどこにありますか」と尋ねてくるご年配の方しかいなかったですし、Amazon のビジネスなのかどうかという状況が3~4年続きました。その助走の段階で弾込めはしていました。

最初の頃は、海外企業やゲームなどピーク性がある事業会社からの依頼が中心でした。今では日本企業の多くがシステムをクラウドに移行するという風潮になり、手応えを感じ始めたのもこの3年くらいかと思います。

 

――現在は、どのようなクラウドビジネスを展開しているのでしょうか。

後藤氏:もっともシンプルなクラウド関連のビジネスは3種類。ひとつは、どの会社もできるのですが「再販」です。「我々を通じて買ってください」というものですが、これでは付加価値がないので差がつきません。もうひとつは、「運用保守」で、稼働しているシステムをきちんと見て、何かトラブルがあったら対応するビジネスです。そしてもうひとつが、「作る」です。クラウドだけをやっている会社と比較すると、システム開発、アプリもできる、インフラもできる、全てできるということで、ネット上で何かビジネスをやりたいという声がかかりやすいビジネス構造ができ上がっていました。

さらにデザインチームを作りました。ビジネスをやりたい人たちはもちろん、社内システムも従業員向けに UX が重要だと考える人もいるので、その入口から作り、最終的にはクラウドのインフラに乗せて運用するところまで、ワンストップで対応できるのがアイレットの強みであり差別化ポイントでもあります。とにかくお客さまのビジネスを止めないために全部やる、かつ、その品質も高く維持し続けるというスタンスです。

 

――エバンジェリストの役割をどのようにご自覚されていますか。

後藤氏:ひとことでいえば、クラウドを適切に浸透させること。これは社内限定ではなく、視野を広げてしっかり理解できる人を増やしていく役割だと自覚しています。当初は、地方のイベント登壇や勉強会を主催し「クラウド」と言い続け、まだ日本では関係ないと思っている人たちに、なるべく事例をわかりやすく説明する、いわば布教活動に注力してきました。

今では、少し役割が変わってきて、なるべく独自の立ち位置や観点からお話をするようになりました。例えば今であれば、「マルチクラウドをやっています」「お客さまのプロジェクトに入り込んで推進しています」などと、弊社がただ単に受託の会社でないということ、そして最先端のテクノロジーとサービスの中から、お客さまの問題解決に最適なものを選定しもっとも良い環境で提供し続ける会社であること、そして納品して完了ではなく、きちんと作り込み、運用をしていくところまで責任をもって対応するという点を伝えています。

また最近では、採用にも携わってきました。さらに男性の育休制度など、従業員向けの仕組みをなるべく充実させていこうとしています。参加当初は20人ほどから始まった会社ですが、今では700人程になってきており、入社される方の個性も様々です。社員が自己成長、自己実現ができるような制度や評価を構築するなどやらなくてはいけないことは山ほどあります。私自身はずっと、すべて企業成長のフェーズにおいて、いつもドキドキしながら楽しんでいる感じではあります。

 

――その“楽しさ”とは、どういったものでしょうか?

後藤氏:そうですね。今は会社の運営や経営に直結するぐらいに自分がやってる頑張りが発揮されるというか、それが目に見えてわかるという面白さです。もちろんこれまでに比べると、時間がかかったり、内部の調整が必要だったりと大人っぽくなってきましたが。今のアイレットのメンバーが持っているポテンシャルを活かしていくことに注力しています。

今はIT、クラウドなどが主戦場になっていますが、これまでもずっと私は顧客側の価値にフォーカスしようとしてきました。お客さまのビジネスを見ないで、単に儲けるために AWSを提供するだけの人もいますが、私はなるべく困ったところや痛みを感じているところを取り払うために、幅広い選択肢を提案し続ける、そんなスタンスです。アイレットはクラウド領域において、圧倒的なノウハウを持っているはずなので、それを使い、お客さま側のビジネスや経営改善に貢献することが一番わかりやすい価値だと思っています。

 

――はたらく場所を選んでいくときの、ポイントとこだわりを教えてください。

後藤氏:私自身、振り返ってみれば、かなり強気で選択していたかと思います。自分が興味のあるゾーンは、まさにこれからスタートする業界のように思っていたので、合うか合わないかの問題ではなく、もうそこに行くしかないという感覚でした。

今は、勉強会やブログ、Twitterなどを通じて多くの情報を得ることができます。そういう意味では、昔よりは水が合うか、カルチャーが合うかもある程度わかるようになりました。各社それぞれに特徴がありますよね。例えば、アイレットの場合、エンジニアファーストのような考え方が根付いています。

もちろん最初に、この会社で自分のやりたいことができるかどうかというフィルターはあると思いますが、それは調べれば大体知ることができます。誰とどのように働けるか、誰から影響を受けることができるのか、お客さまとの距離感はどうか?それらは会社ごとに違うと思うので、実際に中にいる人たちと話しながら、体感していくべきでしょう。

私はデザイン会社に在籍していたときはもちろん、アイレットでも重要だと思っているのは、お客さまとの距離感。プロジェクトが終わったら、共に戦った仲間のような感覚になります。パートナーと言うか、同じ課題を一緒に解決するというスタンスの会社で良かったと、そんな軸で選んでいたように思えます。プロとしてノウハウを提供する以上は、やはり距離感は重要で、昔ながらの SIer っぽい考え方も駄目ですし、コンサルだけを期待していても駄目だと思うのですよ。

 

――これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

後藤氏:やはり頑張っている人、優秀な人たちは、皆、勉強をしています。やはり勉強ができる環境で働くことが何よりも重要です。業務としてテクノロジーを勉強していても、いずれ辛くなると思います。まさに息を吸うように勉強をすべきでしょう。私は、ワークライフ・バランスという言葉は、あまり好きではありません。役員の立場としては言うべきことではないかもしれませんが、ワークライフ・インテグレーションのような感覚が好きです。“楽しいからやっている”という感覚を体現するような人になっていったら良いと思います。まあ、「一生、勉強です」という話もあるくらいですから、まず技術的に成長していくスキルをつけていくことが必要です。

もう一つは、貢献できる相手のことをよく知ることも重要です。デザイン会社に在籍していた時に、とある和菓子メーカーのサイトを手掛けていたことがあったのですが、メーカーのことを知りたいと思ったら、500年の歴史があると言われて、歴史の本を読み返しました。お菓子の撮影をする時に聞いたのですが、お菓子も高価ですが、そのお菓子をのせている器が何千万円と知り、なんだか歴史やブランドの面白みを感じましたし、そういったこだわりを持たれているとわかると、それに対してエンジニアとして何ができるのか?自分事として解決しようと考えるようになります。もちろん解決手段はそれぞれ変わると思うのですが、誰か対象がいて、その人を楽にするとか、課題を解決するなど、その思いの原点をぶれずに持ち続けるためにも、その対象に興味を持つことが重要です。

 

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

後藤氏:株式会社Sharing Innovationsで代表取締役社長を務める飯田啓之さんを推薦します。彼は私が以前所属していたデザイン会社時代に知り合った10年来の友人です。最近になってクラウドビジネスの文脈でコラボレーションする機会があり、また仲良くさせてもらっている呑み友達でもあります。

もともとNTTにエンジニアとして入りましたが今ではIPOまでした会社の代表をしています。エンジニアからマネジメントになる過程など、非常に興味深いキャリアの話が聞けるのではないかと期待しています。

 

以上が第31回アイレット株式会社後藤さんのインタビューです。後藤さんありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)