【連載18】テクノロジーで業界課題に立ち向かう、山崎大輔氏が語るエンジニアの武器と働き方戦略とは

f:id:pcads_media:20210517153803j:plain

こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、TECH Street会員が気になるヒト、株式会社メルカリ執行役員VP of Backend田中慎司氏にインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第18弾をお届けします。

※本取材はオンラインにて実施しました。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Street会員が“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

f:id:pcads_media:20210517153850p:plain

“今気になるヒト”田中氏からのバトンを受け取ったのは、山崎大輔氏。

f:id:pcads_media:20210517154004j:plain

山崎 大輔 Daisuke Yamazaki
筑波大学卒業、ヤフージャパンを経て広告配信システムを提供するScaleoutを立ち上げ独立。CEO兼CTOとしてDSP/SSP開発を担当。2013年買収に伴いKDDIグループ参画。2015年nanapi, BitCellerと合併しSupership株式会社 取締役に就任、2020年に退任・退職。

 

――ご紹介をいただいた田中様から『インターネット業界の歴戦の勇者で、これまで酸いも甘いも経験されてきた方です。私も様々相談に乗ってもらっています』とご推薦のお言葉をいただいております。今の山崎様を形作る原体験をお聞かせ下さい。

山崎氏:コンピューターやインターネットの進化というか、普及に沿った形で生きてきました。小学生の頃にはじめてパソコンを見て興味を持ち、中高生の頃には友だちが持っていたパソコンをうらやましい気持ちで眺めていました。その頃は、コンピューターでゲームを作りたいという、子どもじみた発想でしかありませんでしたね。

今でこそ1人1台パソコンを持っていますが、当時は1台が40~50万円もしていたので、簡単に手に入るものではありませんでした。そこで、“コンピューターに触りたければ大学に行かなければならない”と思い、筑波大学を選ぶことにしたのです。

当時の僕はコンピューターの勉強をする普通の学生で、とくに野望もありませんでしたが、他の学生と違っていたのは、インターネットに対する“興味の強さ”でした。当時インターネットは存在していましたが、まだWebがない時代でした。大学3年生か4年生の頃に初めてWebサーバーやブラウザが登場してきたようなタイミング。インターネットの波は来ていたのですが、当時は学生の中でも人気のないジャンルのひとつでした。

しかし僕は“絶対にインターネットは来る”と思っていたので、大学でネットワークを研究する研究室を志望しました。僕が研究室に入った後にインターネットが流行し、2年後にその研究室は大人気になりましたね。

 

――どうして“インターネットが来る”と感じたのでしょうか。

f:id:pcads_media:20210517154053j:plain

山崎氏:コンピューターネットワークはもともと通信が土台にあり、インターネットという枠組みではありませんでした。しかし通信は、人と人を繋ぐためのテクノロジーですから、インターネットの価値は電話やFAXのように、接続されているユーザー数の二乗に比例するという「メトカーフの法則」に沿うなと思ったのです

さらにいえば、ネットワークは、距離と時間を0にするテクノロジーですよね。たくさんの可能性があるにもかかわらず、興味を持つ人が少なく、だからこそ当時の僕は直感的にネットワークの価値と可能性を感じていました。

もっといえば、祖父が2人とも商売をしていたことから、昔からビジネスに興味あって、“何かしら商売に絡めたい”と考えて、ビジネスに役立つ研究室を選んだというのもあります。

とはいえ、当時の僕にはこれといった野望がなく、その頃の大多数の学生と同様に、大企業に就職し30年、40年と働いて、退職金と年金で暮らすという人生を思い描いていました。

ちょうど将来のことを考え始めた頃に、大学の先輩がつくば市にあったIntelに入社しました。当時、世間的には無名だったIntelになぜ入社をしたのかという話を聞きました。直接の理由は大学の先生から「Intelは本当に良い会社だから行け」と言われたからだったのですが、実際に入社してみると会社はものすごく儲かっているのに、社内ITを見る人材がおらず「筑波大学でコンピューターを勉強した人にとっては楽勝だから、もし就職するならばそういう会社がいい」とアドバイスをもらいました。Intelは世界で1位の半導体会社だったので僕は世界3位のテキサス・インスツルメンツに入社。そこで社内ITとしてのんびり暮らしていこうと考えていました。

実際に入ってみると、社内ITは確かに楽勝で、“人生勝ったな”と思っていましたが、入社して3か月後に突然リストラが起きました。当時あったメモリ部門の採算が悪化して、ワールドワイドで3分の1ほどが解雇されたのです。僕は半導体の設計を担当していたのでリストラを免れ、その後に工場勤務になりました。

そこは一般的にはとても良い職場だったのですが、大リストラがあったにもかかわらず、やっぱり楽勝でした。しかし、世間では、インターネットビジネスやITが注目を集めはじめていたので、“こんな状態で40年間もいたらヤバい”と感じるようになり、そこで慌てて転職活動を始めることにしたのです。

転職先として選んだのがヤフーでした。当時は、Yahoo!掲示板やYahoo!メールができたばかりの頃で、まだエンジニアが20名ほどの規模でしたね。

 

――もともとビジネスと通信の可能性を感じていたので、転職先に当時のヤフーを選んだということですね。

f:id:pcads_media:20210517154857j:plain

山崎氏:正直、それほど深くは考えていませんでした(笑)。先ほど、お話ししたように“インターネットは来る”と感じていたので、とりあえずその領域に足を踏み入れておきたいと考え、最初に採用試験に受かったのがヤフーだったということです。

当時はインターネットを扱っている会社自体が少なく、プロバイダも含めて受けようと考えていて、最初に受かったという感じです。

インターネットへの興味と同時に、外資系が良いという意識もありました。日本のメーカーに就職した大学の先輩の話を聞くと、例えば組み込みソフトウェアの1コンポーネントの開発に3年を費やすといいます。日本のメーカーはどこも同じようだと聞き、インターネットの伸びに対して業界のスピードが合っていないと感じました。そういった理由もあり、外資の社内ITを選んでいましたね。

当時のヤフーは、アメリカで構築されたソフトウェアを日本に輸入して展開していたので特別な知識は不要でした。当時は、Yahoo!ショッピングやYahooBBなどができる前で、収益の柱は広告1本でした。その関係で広告システムが落ちて広告が出ないとなると大問題になるので、当時の社長から「お前らが見てるソフトウェアくらい理解しとけ」と指示を受けて、アメリカから来るソフトウェアを解析をしました。

僕は配信システムと集計システムを担当。膨大な数のアクセスがありましたが、それに耐えられるとても優秀なソフトウェアでした。もともとコンピューターサイエンスを勉強していたので、ソフトウェアの意味するところについて学べたのは、とても大きかったと思います。

そこからまた、転職を考えるようになったのは入社8年目の34歳の時。エンジニアを40人ほど率いる立場になっていました。僕自身はマネージャーになっていたので、いわゆる中間管理職的な、ExcelやPowerPointの仕事がほとんどという状態になっていました。そこで残り会社員人生このまま同じ仕事をしていてもいいのか?と思うようになり、特に“次にどうしよう?”という考えやアイデアもないままにヤフーを退職してしまいました。

 

――定期的に将来不安を感じるタイミングが来るのですね(笑)。

山崎氏:そうですね(笑)。その後、ノープランでしばらくプラプラしていましたが、僕は広告システムについて詳しかったので、それを聞きつけたとある会社の社長から呼びだされて「広告システム、いいのができたら持ってきてよ」と言われ、真に受けて半年ほどこもってシステムを作りました。できて持って行ったまではよかったのですが、ちょっと遅かったみたいで、採用されず…。せっかく、良いシステムができたので自力で売ってみようと考えて営業を始めたら、運よく売れたので、それを機に起業することにしました。

当時、広告システムのソフトウェアは、ライセンス販売で年間6000万円もらえる時代でした。しかし僕1人で6000万円をもらう勇気がなかったため(笑)、3000万円を提示したところ、乗ってくれる会社があったのです。1人で年間3000万円もらえれば十分で、最初から黒字スタートの会社が出来上がりました。それが今のSupershipの前身となるScaleoutです。

 

――3000万円の広告システムがすぐに売れたというのは、世の中的にどのような需要があったからと分析されますか。

f:id:pcads_media:20210517154931j:plain

山崎氏:当時の広告は、GoogleやDouble Clickにライセンシングしてもらうものでした。日本のメディアが自前でアドサーバーを作るという話には通常なりません。

しかしある一定規模のWebメディア会社になると、自社の売上の9割9分を担う広告システムを自社で持ちたいと思うのは自然なことです。なので、そのベースとなるシステムをライセンシングしてほしいということでした。

実際に売れた先はITmediaですが、初年度から3000万円売り上げられたことで人を雇うことができ、これが原型となり売り上げを伸ばしていきました。その当時、このシステムを構築して売ろうと考えていたのは、おそらく日本では僕だけだったと思います。

とはいえ、例によって僕には大きな野望はありません(笑)。年間3000万円もらえれば上がりだと思っていました。エリック・シンクの『革新的ソフトウェア企業の作り方』という本があります。そこには、大きなビジネスを仕掛けずに、4~5人が食べていくのに十分な額を稼ぐことに特化させて、自分のソフトウェアを磨き上げてニッチを狙うといったことが書いてあります。

ソフトウェアは、ライセンシングモデルならばずっとお金をもらえますよね。そしてもらったお金をソフトウェアのブラッシュアップに回すというサイクルを作れば、ストック型のビジネスになります。当時の僕は、家族や周りの人間が食べていければ十分だと考えていたので、ビジネスを拡大しようとせず「人生は良い感じに持てばいい」と思っていました。

その後7年ほど、ずっと黒字で手元資金も積み上がり、のんびりやっていましたが、スマートフォンの流れもあり、広告サーバーを売るサービスがどんどん出てきて、VCからお金を入れて戦うプレイヤーが参入してきました。“ここで戦わなければ潰されてしまう”と思ったので、僕らもVCからお金を入れて、その後はKDDIに買収されて一緒に仕事をすることになりました。大きな会社と一緒にならなければ戦えないと思ったので、当時候補の中でも一番大きかったKDDIと組んだのですね。

 

――大きなところと組むメリットは、資金面だけではなさそうですね。

山崎氏:そうですね。広告システムなどの巨大なソフトウェアは、大きなプレイヤーが乗っかって使ってもらえるほど輝きを増します。なぜなら、大きな会社は利用者も多く、ビジネスも大きいからです。僕たちが用意するのはソフトウェアですが、それは大きなテコのようなものです。大きなプレイヤーが乗れば乗るほど、パワーを増します。

 

――そういった山崎さんの哲学や知見は、どこから得てきたのでしょうか。

山崎氏:学生時代に勉強したこともありますが、最初に入社した会社の工場勤務での研修が一番効いているかもしれません。そこで『7つの習慣 人格主義の回復』と『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か』という本を教えてもらいました。外資系の会社はとても実践的です。

例えば何かトラブルが起きたときに、根性ではなく仕組みでどうにかするという基本的な考え方があり、それを叩きこまれました。また、若者が少ない会社だったので、周囲の大先輩からたくさんのことを教えてもらったことも大きいと思います。

 

――山崎さんは物事の考え方というか、組み立て方が論理的で、かなりしっかりとしている印象があります。ご自身をどのようなエンジニアだと捉えていらっしゃいますか。

山崎氏:商売人の感覚があると思います。自分自身を単なるエンジニアだと捉えてしまうと、エンジニアリング以外はやらなくてもいいとなってしまいます。

また、僕は「自分を自分のスポンサーにする」という考え方が好きで、たくさん儲ける必要はありませんが、金銭的な余裕がないといろいろなものができないと考えています。ですから稼ぐための仕組みに興味があるのです。

 

――KDDIと一緒になってから、今に至るまでの経緯をご説明いただけますか。

f:id:pcads_media:20210517155003j:plain

山崎氏:ガラケー時代はキャリアごとにユーザが必ずアクセスするポータルページがありました。ドコモはdメニュー、ソフトバンクはヤフーといった具合です。しかしスマートフォン時代になり、ポータルという考え方が無くなりました。スマートフォンにゲームチェンジしたときに、KDDIグループの中でも広告事業を担うmedibaという会社に買収されて、当初はKDDIの中でモバイル広告事業の立て直しを行っていました。そしてSupershipという会社になるのですが、僕はテクノロジーにも一定の理解があるし、CEOもやっていたので、SupershipのCTOになりました。

2013年に買収されてから7年ほど携わりました。僕には世の中の広告ビジネスをなんとかしたいという思いがありましたが、その役目はある程度果たせたかなと思っています。またコロナもあり、自分で思うところがあったので、退職をして今に至るという流れです。

 

――「広告ビジネスをなんとかしたかった」というのは、どういったイメージでしょう?

山崎氏:インターネット広告が今、どのような状況にあるのかというと、昔は主にヤフーとGoogleしかありませんでした。大企業がインターネットに広告を出すとなったときは、代理店に依頼をして、代理店がヤフーとGoogleに設定すれば終わりでした。しかし今は、FacebookやTwitterなどが増えてきて、およそ20の設定が必要になります。予算も増えていますが、1つのクライアントが出す金額はあまり変更がなく、手間だけが増えています。

それに対して広告代理店のビジネスは、テクノロジーでがんばるのではなく、相変わらず営業の人的なパワーと根性でがんばっていて、ExcelやPowerPointの世界のままです。それがだんだんと無理が利かなくなってきていると思っています。

僕はインターネットの初期から携わっているので、ある意味いい思いをさせてもらいました。しかし実際にプレイヤーとしてやってみると、そういった問題があることに気づきました。広告代理店は営業が起点となっているので、テクノロジーに投資しようという発想が薄いのです。Supershipは大手代理店からも出資してもらっていますが、KDDIは広告主でもあり、代理店との付き合いもあるので、テクノロジーがあれば、そういった業界が抱える課題を解決できるのはないかと思ってやってきました。

大手代理店は、テレビやラジオ、新聞からの文化が強いので、クライアントさんの希望は無理してでもやってしまうということが常態化しています。一方のインターネットの広告はクリック数など数字で表れるので、誤魔化しがききません。

従って、広告主の希望を無理でも通すという文化のままでは、ひたすら疲弊する方向にしか進まないのです。なので、広告主の考え方を変えるところからスタートすべきです。要するに、SupershipはKDDIが親会社で、最大の広告主です。なのでまずはKDDIから変えていき、それが上手くいけば横展開できるという意識でやっていたのですね。

現在広告業界は年を追うごとに複雑になっていっています。カオスマップは業界が複雑かつ辛くなっていくことの表れです。インターネットは懐が深い業界なので、ちょっと気の利いたプレイヤーであれば食べていけるくらいの余地があります。なのでそれを逆利用して、無理やりカオスマップの中に入ってくる人もいます。その人たちが安売りなどの手段で入ってきてしまうと、業界がどんどん苦しくなってきます。こんなことをずっと許していると、僕がお世話になったインターネット広告業界がおかしくなってしまうと思いました。

基本的には「人生楽に生きたい」タイプなのですが、なぜこういった業界課題に立ち向かっているかというと、「人生楽に生きたい」と考えるならば自分が所属する業界が楽しい業界でないと単純に困るし、居心地が悪いからです。私は広告業界にとてもお世話になっていて割と楽しくいい思いをさせてもらったのですが、業界として誰かの犠牲のもとに全体が成り立っているのはとても不健全と考えるので、それを何とかしたいと思っています。

>>次のページへ


――今はIT業界も混沌としていて、勝ち筋が見つかりづらい状況のように思えます。その中で生きていくために、どのような考え方であればいいと思いますか。

f:id:pcads_media:20210517155027j:plain

山崎氏:コンピューターの力を借りてレバレッジを効かせるのがいいと考えています。僕は「時間を味方につけて複利で勝つ」という言葉が好きで、それに沿った戦略がいいと思います。

例えば業界平均に合わせて年率10%で成長しなければならないとします。単純に自分の能力を年率10%上げ続けなければならないということは10年経つ頃には自分の能力が2倍になっていないといけませんが、それは無理だと思います。

自分の能力を伸ばすことは難しいですが、自分を楽にして実質的に能力を伸ばすことはできます。それは、コンピューターの力を借りること、テクノロジーの力を借りることによって可能になります。他のプレイヤーたちは能力を伸ばすにあたって根性で埋めるケースが多いです。ただ根性で埋めていると、根性が続かなくなった時点で0になってしまいます。

僕たちはエンジニアなので、コンピューターの力を借りることができます。ソフトウェアは正しく設計することで、頑張りが積み重なっていき、どんどん業務を楽にしていけます。エンジニアはその武器を持っているはずなので、努力が未来に積み重なるようにするのが正しいと言えます。

僕は今49歳で、ぱっと見は人生の3分の2が終わったようなイメージですが、僕たちの年代の人はおそらく、70歳~75歳くらいまで働かなければなりませんよね。そう考えると、49歳というのは、実はまだ働き始めてから半分くらいしか経っていません。だとすると単純に自分のパワーアップをひたすらしていくよりも、そういう仕組みづくりをしていった方がいいです。仕組みづくりをせず「ここ3年頑張れば明るい未来が待っている」ということを10年くらい言い続けていて、根性で埋め続けて結果力尽きて倒れていくというプレイヤーを何人も見てきました。なので、時間を味方につけるべきです。

 

――仕事量を減らすことができたら、浮いた時間をどのように活用すれば良いのでしょうか。

山崎氏:浮いた時間をすぐに新しい仕事に割り振り直すのはあまりうまい方法ではないと思います。そんな事をしているとできる仕事量は増えてもちっとも楽にならず、大変なままだからです。もし業務量を半分に減らすことができたとしたら、その半分、すなわち全体の25%は会社に渡すけれども、残りの25%は自分の時間にすると交渉してください。それを勉強時間や家族サービスに充てたり自分を楽にするために使うのがいいと思います。

また日本の良くない慣習として、家族を犠牲にして仕事に邁進する人が多いです。僕は家族が大好きなので、絶対に犠牲にしないようにしてきました。これはもちろん起業初期はそううまくはいかずにとてもきつかったです。しかし反対に、家族が絶対に大事ということを前提に置いて、それでも儲かるような仕組みを築くことができれば、年月が経ったときにそれが逆にものすごい武器になります。

僕はインターネット業界で長い間戦っているプレイヤーの1人です。しかし自分や家族を犠牲にしながら戦い続けても、いつかはおかしくなってしまうと思うのですね。であれば、自分が戦える範囲を決めて、それを伸ばしていく方が賢いですね。

その考え方は、エンジニア組織を作る際にも生かされています。多くのエンジニア企業ではひたすら頑張る方法が推奨されますが、それでは死屍累々なので、倒れていく人がいます。

そうならないために僕は、エンジニアの自由をかなり認めました。インターネット業界に限りませんが、例えば子供が生まれると、最初の5年は大変ですよね。ですから、出社時間にゆとりを持たせるなど、帳尻合わせをしてくれればいいと伝えました。その数時間のちょっとした自由が、非常に大きなパワーを生むことが分かりましたね。

Googleも似たような戦略を取っていて、だいぶ参考にしました。彼らはエンジニアを最上級に置いて、エンジニアがシステムを作るのをサポートするといったピラミッド構造になっています。

エンジニアはマネジメントが得意ではないので、彼らの能力を最大限に引き出すためにはどうすればいいのかを考えていました。僕はエンジニアとして能力がとても高いわけではないので、彼らのサーバントリーダーとして頑張ることにしました。彼らの能力を引き出すために何をすればいいのかという視点に立ち、例えば時間の都合をつけてあげたり、彼らがネックになりそうな事務処理を引き取ってあげたりしましたね。

 

――山崎さんの良さは、自分にも相手にも根性論を押し付けないところですね。自分の大切なものは家族だと言い切れたり、自分の生き方や働き方をコントロールしながら生きていらっしゃるのが素敵です。

山崎氏:結婚するまでの僕はハードワーカーで、結構根性論でやっていました。しかしそれを周囲の人に押しつけてしまうのはいけません。実際周りでも頑張りすぎたがゆえに途中で力尽きて、会社から去ってしまうひとが結構いました。ScaleoutとSupershipではそういった頑張りすぎて倒れてしまうひとが出てしまうと困ると思ったので、そうならないような組織づくりを意識しましたね。

 

――田中さんがおっしゃったように、この時代の酸いも甘いもご理解されていて、だからこそ今の山崎さんがある、と納得しました。最後に、次回の取材対象者をご指定ください。

山崎氏:ダイヤモンド社CTOの清水巌さんを推薦します。清水さんは私よりさらに昔からこの業界にいてかなり初期のソフトバンクグループで活躍して、ITmediaの初代CTOなどを歴任された方になります。

以上が第18回インタビューです。山崎さん、ありがとうございました!

f:id:pcads_media:20210517170524j:plain

次回は清水巌氏にバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいた株式会社メルカリ執行役員VP of Backend田中慎司さんの記事はこちら
f:id:pcads_media:20210422185148j:plain
【連載17】テクノロジーを軸にやれることを増やす、メルカリVP of Backend田中氏のキャリア戦略

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)