こんにちは!TECH Street編集部です。
前回、TECH Streetメンバーが気になるヒト、BASE株式会社 取締役EVP of Developmentのえふしんこと藤川真一氏にインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第15弾をお届けします。
「ストリートインタビュー」とは
TECH Streetメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。
企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。
“今気になるヒト”藤川氏からのバトンを受け取ったのは、株式会社サイカ執行役員CTO是澤太志氏。
是澤太志 Futoshi Koresawa /株式会社サイカ 執行役員 CTO
2000年に愛媛のITベンチャーで働いたのをきっかけにITエンジニアとなり、株式会社トーセ・株式会社シーエーモバイル・株式会社ALBERT・株式会社Speee・株式会社メルカリなど12社でテックリードやCTO、VPoEというエンジニアキャリアを経て、2020年1月より現職。
※2020年12月15日取材時点の情報です
――ご紹介をいただいた藤川さんから『ご本人のエンジニアとしてのお力もさることながら、組織を作る上でとても勉強になる方だ』と聞いております。どのようなご経験を重ねてきたことで、今の是澤さんがあるでしょうか。
是澤氏:僕は子どもの頃からファミコンが好きで、朝から晩まで熱中している、そんな子ども時代を過ごしていました。
小学校高学年の頃には、“ゲームを作りたい”という夢を抱くようになり、中学生になってからゲームクリエイターになろうとパソコン雑誌を購入して学校のパソコン室でプログラミングをしていましたね。世代の近いエンジニアに多い『マイコンBASICマガジン』を見ながら写経していたタイプの人間でした(笑)。
高校は商業プラス情報が強い学校に進学。目指していたのはあくまでゲームクリエイターであって、決してプログラマーではないのですが、やはりモノを作る上でプログラミングがわからないと話にならないだろうと思ってC言語も独学で学びはじめました。同時にゲームの企画になりそうなネタを集めるために、図書館に通ってネタを集めてノートにまとめたりもしていました。
――そこで是澤さんは、どのようにキャリアを積んでいこうと考えられたのでしょう。
是澤氏:“どうしてもゲーム業界に入って、ゲームを作りたい”という思いがあったのですが、その手段がわかりません。とりあえず“生まれ育った愛媛ではだめだ、東京に行かないと始まらない”と思いました。
東京のゲーム系の専門学校に行けば、多少なりとも何かになるのではないかと考えたのですね。親に学費を出してもらうのは忍びなかったので、新聞奨学生という手段を選びました。朝3時に起きて新聞配達をして学校に行き、夕方15時にはまた夕刊の配達に出るという生活を選んだのです。
当初は、きちんと新聞配達をしながら学んでいたのですが、学校で配られていたテキストを独学で、3カ月程度で終わらせてしまいました。さらに学校のPCより自分でカスタムしたPCのスペックの方が高かったので、学校に行く必要性が感じられなくなり、結果、半年ほどで不登校になってしまったのですね。
それから新聞奨学生の寮にインターネット回線を引かせてもらい、夜はインターネット漬け、そして新聞配達をして、昼間寝るという生活を送るようになりました。
――不登校になってしまってからは、インターネットを活用して、どういったことをされていたのですか。
是澤氏:当時はインターネットで知り合った人たちとチャットをして、インターネットの技術を学び、自分でWebサイトを作ったり、PerlでCGIのプログラムを改造して、皆に見せびらかしていました(笑)。チャットサイトを開設し、常連の人たちとオフ会を開いたりもしていましたね。
そんな事をしているうちに、当初専門学校で学ぶはずだった2年間があっという間に過ぎていったのですが、まともに学校に通っていなかった私が就職できるわけもなく、結果、故郷である愛媛に強制送還されることになりました。
その後、愛媛でIT企業を立ち上げるという人と知り合い、僕の作っていたサイトやコード見せたら評価されたので、社員として入社しエンジニアとしての道がスタートしましたね。2000年の春のことです。
でも、当時は愛媛でITビジネスをしていてもお金にならない仕事ばかりといった感じでした。「インターネットビジネスは若い人たちが楽して儲けている怪しいビジネス」ぐらいに思われていたのかもしれません。
“これからはインターネットが世の中の中心に来るけれどなぁ…”なんて思いながら、東京ではビットバレーと騒がれ、サイバーエージェントやオン・ザ・エッジなどのIT企業が成長を遂げていて、そんな話をきくと“四国に居ても成長できない”という思いが日に日に強くなっていきましたね。
そんな危機感があったので、自宅用にグローバルIPを借りて、自宅サーバを運用してサービスを公開したりしていました。なるべく会社と同じ環境を自宅でも構築して学習に利用して。おかげで給料の手取りの半分はサーバー費用や学習費用に使っていて、給料日前になると白米と味噌汁とふりかけだけで生活していましたね(笑)
――どうしてそこまでしてやろうと思ったのでしょうか?
是澤氏:自分が仮説を立てたことを実証していくのが好きなんですよね。僕は頭の中だけで考えているだけじゃ気が済まなくて実証実験して確かめたくなってしまう。数学者と物理学者だとしたら物理学者の性質に近いのかもしれません。
実証実験をして、その結果をみてどうなのか考える、ですので、当時、ITエンジニアという職業は僕にとって相性の良いものだったのかもしれません。仮説を立てて、トライアンドエラーを繰り返して、成功パターンを探して仕組み化するのが、好きだったので。
しかし、このまま独学でしか学べない環境では自らの成長に限界があるし、全然ビジネスもうまくいっている感がないので、四国でやっていても無意味だと思い、思い切ってまた東京に出る決断をしました。幸い、すぐに東京のゲーム会社から内定をもらい、2001年の年末に今度はちゃんとした社会人として東京に戻りました(笑)。
その会社はゲーム業界では老舗な会社のグループ会社で、3年ほどプログラマーとして働きました。入社後すぐに独学で学んでいたことを活かすことができ、若手の中でも評価していただきました。有名なゲームタイトルや僕が好きだったゲーム会社の仕事なども任せてもらうことができ、良い経験を積むことができましたね。
その後、ゲーム業界からIT業界へ戻ることにし、サイバーエージェントグループのシーエー・モバイルというモバイル専門の事業会社に転職しました。そこでは、ITを活用して事業をするとはどういうことか?ということを学ばせていただきました。
僕が入った時には100名もいなかった会社が300名規模まで急成長した時期でもあり、僕自身もマネージャーを初めて経験して、多くの成功と失敗の体験を積ませていただきました。
とくに自分と職種の違う人たちと話をする機会が多かったことが大きな学びとなりましたね。エンジニア以外の、たとえば数字責任を持って事業を作る人たちやマネジメントしている人たちの役割や気持ちを理解できていない自分がいることに気づくことができました。
当時の僕は「IT業界にいるくせに技術のわからない人なんていらない」という考えをもったエッジのきいた人間でしたので、そんな僕に対しても納得するまで対話をしてくれ、チームの一員としてビジネスに巻き込んでくれる人たちがいたことはありがたかった。おそらく相当めんどくさかったと思いますが(笑)。
おかげでエンジニアとしての視点だけでなく、ビジネス視点や会社組織のことを考える人たちと触れ合う事により、マネジメントの一面を垣間見ることができて、自分で理解できないことに対して、なぜこの人はこんなことを考えるか、議論を重ねながらお互いを理解するようになりました。そして、この経験を通じて、僕自身がさらにビジネス、マネジメントを学ばないといけないと強く思うようになったのです。
――共通理解ができると、それはモノづくりの現場、ビジネスの中でどういう効果をもたらすとお考えでしょうか。
是澤氏:これは僕の解釈になりますが、ディスカッションに慣れていないときは、相手を説き伏せようとしたり、自分の正論を伝えることを目的としてしまうので、おそらくいい結果には繋がっていかないんじゃないかと。
そしてその失敗に気づいたとき、はじめて相手のことや背景を深く理解しようとします。そうなると、自分の間違いにも気が付きますよね。そうした時に世界観が広がって、また新たな仮説が生まれて、“さらにこうしてはどうか?”と考えるようになります。
この経験を繰り返すことによって、クリエイティビティとホスピタリティが鍛えられるような気がしています。そして、どこかで合理的に考え、自分自身のコミュニケーションの仕方や考え方をより柔軟に変えていれば、過去の議論は日常的なコミュニケーションの中で解決できていて長時間も議論する必要はなかったかも、などといったことに気が付くんじゃないかなと。
そうやって相手の立場で考えられるようになり、その結果、共通理解が深まる。この共通理解が深まっているほど、チームとしての心理的安全性とアジリティが向上し、チャレンジしやすくより大きな成果を上げやすい状況を生み出します。
成果とアジリティの視点でいうともう一点、共通理解と同等に重要となるのが基礎となる知識です。当時、検索エンジンを作るプロジェクトを一緒に手掛けた際、東大生のベンチャーとの出会いの中でそれを実感しました。
彼らと一緒に仕事をすることで、彼らの日々の学習や研究から得た知識を活かしたエンジニアリングの凄さを目の当たりにして、“いままでのビジネス上の課題だったことをこれほど短期間で解決できる人たちが世の中にいるのか”と強烈な刺激を受けましたね。そして、“自分の経験だけから得た知識や世界観だけで彼ら以上の成果を残すのは無理だ”と認識しました。
僕は当時、とりあえず経験してみてから考えるといったタイプの人間で、事前に知識をインプットするというタイプではありませんでした。なので、彼らのように、何事もまずは基礎となる知識を学んでからコトに取り組めば、成功確度をあげ、より短期間で成果を残すことができることになることを学びました。
たとえばスポーツをする際にまずはフォームを整えるように、「守破離(しゅはり)」の「守」をしっかりやりましょうということですね。このころから「守破離」という言葉をよく使うようになりました(笑)。
そしてその後、ALBERTという企業に開発責任者としてジョインするのですが、そのときには技術知識だけでなく、ドラッカーを読んでマネジメントを学んだり、コトラーやポーターを読んでマーケティングを学ぶようになっていました。それがあったからこそ、ALBERTでの新規事業の立ち上げや、Speeeでの戦略的な組織マネジメントの実行に繋がったのだと思っています。
2015年にSpeeeでエンジニアのマネジメント責任者となった後の最初の1年は、目に見える成果も出ずに絶望した日々を送りましたが、知識としての学びがあったからこそ、顧問の井原さんを信じながら精神的に耐え抜けたのだと思います。そして1年を超えたところぐらいから良い人が採用できそうな手触りを感じるようになって、心理的にも楽になってきました(笑)。
2年経ったらまったく別のエンジニア組織になっていて、僕のキャリアも大きく変わっていきました。きっかけはSpeeeでの経験を記事としてWEB+DB PRESSという雑誌に寄稿させてもらったことです。マネジメントの体験をアウトプットしはじめたら、各所から反響をいただき、顧問などのお話をいただくことも増えました。
そうして、4年ほど前から会社に所属しながら、副業をしていくというスタイルになり、大きくライフスタイルも変わっていきました。
2018年からはVP of Engineeringとしてメルカリにジョインし、2年間務めさせていただきました。そして2020年の1月からサイカにジョインしてひさびさにCTOをやっています。実はサイカは顧問先の一つで、ジョインまでの約2年の間に社長の平尾さんには厳しいフィードバックなどもする関係でした(笑)。
――サイカにジョインしようという決定打になった理由は、どのようなものでしょう。
是澤氏:Speee顧問の井原さんやメルカリCTOの名村さん達と一緒に仕事をさせていただいて、世界の企業を意識することが増えました。とくにGoogleやFacebookやAmazon、Netflixなどといった海外の企業から学ぶ機会も増えました。
そして学んでいくうちにIT産業のモノづくりは日本のゲーム産業や自動車産業、家電産業などからもっと学んでいくべきではないか、と仮説を持つようになってきたんですよね。その仮説実証のために小さい規模の組織でモノづくり文化と組織づくりをチャレンジしたいという想いが強くなって、2019年の夏ごろに新しいチャレンジをしようという決意をしました。
そのときにはサイカにいくことは全く考えてなかったのですが、その後、平尾さんからお誘いを受け、僕のやりたいプランを伝えたときに「それサイカで全部やりましょう!」とチャレンジを快諾してもらったことが入社の決め手です。
平尾さんをはじめサイカの経営陣はプロダクトに対する拘りと情熱があり、これからのフェイズはモノづくり組織に投資する覚悟を決めていたことも大きかったですね。タイミング的にもサイカはPoCが終わって事業やプロダクトの方向性が見いだせていたので、そういう意思決定になっていたのだと思います。
僕が次にやりたいチャレンジは短期的な売上や利益だけを追及するだけではなく、中長期的にプロダクトに投資して、変化に強いチームと将来の大きな成功を手に入れることなんですよね。
Amazonが中長期的にプロダクトに投資しそこで価値を生み出すことに拘り続け、ECだけじゃなくクラウドやコンテンツなどのサービスも立ち上げ事業シナジーを生み出し1兆ドルの価値を超えたりとか。
任天堂が事業やプロダクトへの様々なチャレンジをして見えた成功の中からゲームに集中した結果ゲーム産業をリードする立場となり市場も急拡大、その過程で任天堂内には独自のモノづくり企業文化が定着し、何度も大ヒットを飛ばすプロダクトを生み出しつづけたりとか。
そのような成功はJeff Bezos 氏や山内 溥 氏といった経営者が強い想いと意思が持っていたからできたことなのと、その想いを受けてExecuteしていくパートナーたちがいたからできたことだと考えているんです。
なので、サイカでチャレンジすることはとてもExcitingだと思って、僕の40代の人生をかける想いで参画することにしました。
――是澤さん個人の働き方はいかがでしょうか。今までも柔軟な働き方をされていますが、働き方に対する基本的な考え方をお聞かせください。
是澤氏:20代の僕にとって“しごと”は「仕事」ではなく「私事」でした。“仕える事”ではなく“自分の事”。趣味の延長戦上みたいなものですね。
だから自分のために頑張ろうとなり、そのために好きな事に投資をしてましたし、自分の立場から意見を言って主張もしてきました。ただ自分しか見えてなかったので、色々な人とトラブルもありましたし、たくさん迷惑もおかけしました。
それが30代になり知識を得て経験を重ねてだんだんと、「志事」に変わっていきました。自分の事から志に変わることで、お客様のためになにができるか、組織の人たちのために何ができるか、次の世代のために何ができるかを考えるようになりました。人生あと40~50年生きるか生きられないかだということをリアルに実感してきたので、そう思うようになったのかもしれません(笑)。
そんな考えになってきたので、人を育成するということに対しては拘りがあります。たとえば働き方では「組織の中で成果を残している人ほど、お金と自由を得るべき」だと考えていて、より能力がある人ほど組織の枠を超えて社会に対して貢献しやすくしてあげるべきだと考えています。
そうすることで能力はもっと伸ばせる機会を得られるだろうし、この世界で生きていくことがもっと楽しくなっていくと思うんですよね。
この考え方はサイカのエンジニアの評価制度でも色濃くでていると思います。サイカという社名は「才能開花」から来ていることもあって、このあたりの考え方の親和性があることも、サイカにジョインを決めたことに繋がっているかもですね(笑)。
――では、マネジメントをする上で大切にしていることがあったら教えてください。
是澤氏:一番は成果を出すことに拘りそれに向かってExecutionしていくことですね。チャレンジすることもあるので、期待していた成果は必ずしも出るわけではありませんが、失敗も成果の一つだと思って取り組むようにしています。
常に前進しているかが重要で、制限された状況でシビアな決断が要求されることも多いのがマネージャーという役割だと思っています。だからマネージャーとしては、たとえメンバーに嫌われることがあったとしても意思決定し、前進させ、将来の成果に繋げていくことが重要かなと。
ビジネスをやっている以上、結果主義でドライに感じさせてしまうことはあります。僕の場合、“分かってもらえる人に分かってもらえればよい”という割り切った気持ちがコードを書いていたころからあって、「世界中の人を幸せにできないけど、一人でも多くの人を幸せにできればいい」ぐらいで割り切って行動しています。だから思い切りよくできるのかもしれませんね。
サイカの開発組織はこのマネジメントの考え方に理解してもらっている人たちが集まっている感じなので、Executionとチャレンジの重要性を理解してくれている人が多いです。
なので、僕は、その人たちがチャレンジして成果あげ、個々人の理想の生き方に近づけるようなキャリアを歩める仕組みづくりにコミットしています。サイカだけでのキャリアではなく、その人の今後の生き方やキャリアも踏まえて、今ここで何が得られるかを明確にした形でチャレンジしていける組織づくりをしています。
特に、個人から見て組織に所属するメリットがあるのかということを意識して制度設計などをしていますね。たとえば評価の上でのキャリアラダーの設計の中で大事にしているのは、グレードが高ければ高いほどお金と自由を得られるというコンセプトで、グレードが高い人がいつどこで何をしていようが、期待値にあった成果をあげていれば問題ないという風に考えています。
そういった自由を組織から与えられれば、自由という権利を活かして組織の限界を超えたチャレンジをして、より成長し、組織や社会によりよい成果と影響をもたらしてくれる存在となるでしょうし。
――そこの指針があると、コロナ禍でリモートワークが中心になったとしても繋がっていられるというか、今までと遜色なくマネジメントができるという感覚ですね。
是澤氏:そうですね。昨年の3月時点でこのような考え方でマネジメントをしていたので、コロナ禍だからと言って、あまり大きな変化は感じていないかもしれません。
基本的には組織の中でグレードの高い人というのは、世の中や組織に対して非常にポジティブな影響を与える人だと思います。そのような方々に対して、会社がやってはいけない事は、その人の影響力を組織内だけにとどめることです。
世界を変えるかもしれない人たちの可能性を制限してしまうことは、社会にとって最も良くないことですよね。だからこそ、そういった人たちのパワーを外に対して向けられる仕組みが重要です。逆にそこをとどめるようなルールはいらないと思います。
個人も社会も発展する可能性を狭めることになりますからね。組織内にも社会にも成果を残し続けるハイパフォーマーを生み出す仕組みをつくることはサイカの掲げる才能開花というビジョンにも繋がりますし、そういうことに対して企業が投資すると、結果としてビジネスもさらにうまくいくんじゃないですかね。
――是澤さん個人にお伺いしますが、今後どういう活動をされて行きたいのか、今後の自分のイメージがあればお聞かせください。
是澤氏:これからの世の中は、距離の概念が無くなると思っています。下手すると時間すら飛び越えるようなことも起こると思っています。20年前にIT産業が盛り上がってきたような、そういう大きな変化に繋がっていく予感がしています。
かつコロナ禍という背景もあり、自身の未来に対して自分で責任をとれる生き方が非常に大事になると思っていて、組織に所属しているから安心するのではなく、自分なりに考えてチャレンジしたり、リスクヘッジをしたり個人がより自身のキャリアづくりに責任を持たないといけなくなってくる時代になると感じています。そしてそのために必要なものを社会や企業が与えていかなければならない、そういう世界観になってくると思いはじめています。
先ほどお話ししたように、世の中をよりよくできる人が、社会に対して影響力を発せられるような制度を組織の中に作る必要があると思っています。
組織は個人よりも資金力があり、個人に比べ社会に対しての影響力も出しやすいので、組織の中で優秀な人材を留めるのではなく、社会のため、次の世代のためにより能力を発揮できるような環境を用意して、チャレンジするように仕向けるべきかなと。そうでなければ、僕たち人類は終末へ向かってしまうのではないかと思う時があります。
「企業は社会の公器である」というドラッカー氏の言葉を体現し、成長した個人が組織を通じて社会の成果に貢献できるような仕組みづくりに尽力していくことが僕の今後の活動のイメージですかね。
――それを実行するには、さまざまなハードルがありそうです。働く側の意識も変えていく必要がありますね。
是澤氏:そうですね。でも世の中的にはその流れが来ていると思っています。SustainabilityやSDGsといった取り組みも話題になってきていますよね。
企業としての事業活動だけでなく、社会に対しての貢献も重視されはじめてきていますし、社会の公器であることがより優秀な人材を集めることに繋がることになるのではないでしょうか。
自分たちだけで利権を確保するのではなく、社会や業界のために何をするか、組織内の人材や資産をどう社会のために活用するかを考えるのは、とても重要なことになってくると思います。
――是澤さんは個人的にそういうことを後押しするような存在になっていくのでしょうか。
是澤氏:僕の場合、まず今のサイカの中で頑張ってくれている人たちが大きな成果を残し、組織としても個人としても社会に貢献できる企業にすることをやり遂げたいですね。
そのうえで、もしサイカ以外でも貢献できる場所があれば積極的に支援するような活動はしていきたいと思います。そうやっていろんなところで人の育成や組織づくりの支援をし、その中で育った人たちが次代を作り上げていき、新たな世の中の主役になっていくようなことに貢献したいですね。江戸時代末期に、次代を築いた人物たちを育成した吉田松陰のような存在になれると本望かなと(笑)。
――最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたらよいのか、ご提言いただけますか。
是澤氏:エンジニアという枠からもう少し出ると言いますか、エンジニアリングという武器があるので、それをどう使っていくかという目線をもつとよいかなと思います。
三國志の時代に、なぜ魏が三国を統一できたかというと、魏の曹操がより優れた武器や手段を用意しそれらを有効活用した事が大きいと思うんですよね。つまりテクノロジーを最新化していき活用したと。
たとえば優秀な名馬をつくることができると優秀な武将の活動範囲を広げたり、情報の伝達を速めることができます。優秀な人材があらゆる戦地に出現し活躍できたり、情報収集範囲が広がることで戦略の質が上がり、伝達手段も早くなり戦術の実行精度が上がる、結果として戦の勝率が上がることになります。これは今の時代のエンジニアリングでも同様の活用ができそうですよね。
最近でいうとDX(Digital transformation)もトレンドになってきていて、アナログとデジタルをどう融合し活用していくか、という領域についてもエンジニアが貢献できるところになってきています。
企業の中には複数の組織や事業があると思うので、それらの業務フローや課題などを日ごろから把握できるような人間関係づくりやコミュニケーションも意識していくとよいですね。そして日常的にコラボレーションを生み出せる環境構築をしていくことがエンジニアとしての活躍の幅を広げるんじゃないかなと思います。
――ありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。
是澤氏:Makuakeの取締役CTOを務める生内さんを推薦します。彼は、いままで僕が出会ってきたCTOの中でも最もビジネスとプロダクトづくりに幅広いテクノロジーを活用できる方だと思います。
そして様々な苦労を乗り越えてきた経験もしてきていて、時代の変化に併せて成長してきたタイプの方です。そこから培った商売人的な思考とモノづくりに対して独自の視点は多くの方に学びを与えてくれると思いますし、プライベートでも様々なことにチャレンジしているので、面白い話が聞けるのではないでしょうか。
以上が第15回のストリートインタビューです。
是澤さん、ありがとうございました!
最後は恒例のバトンショットをどうぞ!(きゃーいい笑顔!!)
次回は株式会社マクアケ取締役CTO生内洋平さんにバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。
▼ご紹介いただいたBASE株式会社 取締役EVP of Developmentのえふしん氏の記事はこちら
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(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)