【連載35】エンジニアの社会的価値向上にとことん貢献―クラスメソッド横田氏がコミュニティ活動を通じて実現するオープン戦略

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第35弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”里見さんからのバトンを受け取ったのは、クラスメソッド株式会社 代表取締役社長の横田 聡さん。
早速お話を伺いたいと思います!

――ご紹介いただいた里見様より「会社を設立してから10年くらいの間、さまざまなご経験と苦労をされてきた方です。その経験話はとても面白いですし、本人もエンジニア出身で、バリバリ、コードを書いていた人です。エンジニアが経営をするという視点でのお話をぜひ聞いてみたいですね。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の横田様を形作る原体験をお聞かせください。

横田:大学時代はバドミントン部に所属していたのですが、就活のため3年生で引退し、急に暇になってしまいました。それまでは学校と部活だけの生活だったので、このタイミングでアルバイトを始めようと思い立ちました。もともと理工学部でパソコンが好きだったのもありますが、人に教えることも好きだったのでその両方が活かせるだろうと東京周辺の家電量販店激戦区でパソコン販売員として働きはじめました。

22年前なので、パソコンブーム真っ只中です。誰もが“インターネットを始めよう”とか、“デジカメで写真を撮って印刷しよう”とか、デジタルに投資するような時代でした。春商戦や冬商戦などのシーズンに合わせて、新商品の特徴を理解して、どのようにお客様に接客して売っていくかをインプットしながら店舗で販売していました。毎週、全国の販売台数ランキングが発表されるのですが、私は話すこともパソコンも好きだったので、新人ながらかなり上位にランクインしていたのです。そこでモノを売ることの楽しさを覚えました。

あまりにも「楽しい、楽しい」と言っていたので、やがて本部から「売る方ではなく、教える方になってほしい」と頼まれるようになりました。アルバイトの立場でしたが教える側にまわり、大学生アルバイトを何百人も集めて集合研修をしたり、ロールプレイングや販売マニュアルの作成も担当しました。土日には実際に店舗を回って、スタッフたちがしっかり販売できているかフォローしたり、スーパーバイザーのようなことをやっていました。

――すごいですね。売れるポイントはどこにあるのでしょうか?

横田:メーカーから届く販売マニュアルには商品の特徴が書いてあるだけで、それをそのままお客様に伝えても、内容が難しすぎて伝わらないことのほうが多かったです。提供者(メーカー)が考えるセールスポイントは、そのままでは決して伝わるものではありません。お客様が本当に欲しいと思っているポイントと、メーカーが伝えたいと思っているポイントの間にギャップがあるということを認識することができました。

「プロダクトアウト」や「マーケットイン」などマーケティングの専門用語がありますが、欲しい人と売りたい人、さらに店員が何を売りたいのか、全部の思惑が異なります。店員であれば手間なく粗利が高いものをたくさん売りたいでしょう。ある商品を見たときに、その周囲にいるステークホルダーはみんなバラバラの考えで、異なる方向を向いて商品が存在しているということがわかったのです。そのことで世の中が少し透けて見えたのが、ものすごく大きな経験でした。

店舗で実際に接客していると、教えてもらったマニュアル通りに説明をしても全く売れません。毎日工夫をしてセールストークを磨いて、どういうことをすれば売れるかを、現場で毎日繰り返していました。そうすると、何らかの法則が見えてきます。例えば当時、メーカーがセールスポイントにしていたのは「パソコンでDVDを再生したり映画が見られます」とか、「プリンターで綺麗な写真を印刷できます」というものです。しかし、実際に買いに来る人は“別にそんなことは毎日やらないよ”と思うわけで、いくら販売員がマニュアルどおりに紹介しても購入に至りません。必要としている機能を個別にヒアリングした上で、適切な商品をご案内すれば購入に至るのだな、ビジネスはそこが面白いなと思いました。

――アルバイトをしていた家電量販店から、正社員としてスカウトもされたのではないですか?

横田:実際にありましたが、大学院に進学しようと思っていたので、お断りました。当時、私が通っていた理工学系の大学を卒業すると、メーカー系SIerに就職する人が多かったと思います。しかし実際にそうなると仮定すると、そのまま年功序列で“PG5年、SE10年、プロマネ15年…”と、50歳くらいまでの一本道のキャリアがなんとなく見えてしまっていました。私は、そこに少し違和感があって、進学を選んだという経緯があります。人生は1度きりなので、まだまだ可能性を広げたいという思いもありました。私はゲーム世代なので、いろいろな経験をしてから次の街へ行くという感覚で、小さな町で閉じるよりは、様々な扉を開きながら新たな経験をしたいと思っていました。

家電量販店のアルバイトは2年ほど働いて区切りをつけました。大学院の先輩がベンチャー企業を立ち上げて、「お前暇そうだからちょっと手伝って」と言われて巻き込まれてしまったのです(笑)。ベンチャー企業への憧れもありました。“人生で一度くらいはスタートアップで働いてみたい”、“ベンチャー企業での経験は人生において価値になるだろう”と、多くの若者と同じような思いを抱いていました。ちなみにベンチャー企業に就職をして手伝っていたわけではなく、大学院に籍を置いて、ちゃんと授業も受けていました。研究室にも入っていましたが、それ以外の時間は全部ベンチャー企業内で過ごし、週5日くらい働いていました。今ではありえない話ですが、ほぼほぼ会社にいましたね。笑 でもそれが楽しかったのです。

――ベンチャー企業ではどのようなことを担当されていたのですか?

横田:社員ではなかったので私は雑用係でした。アウトバウンドでテレコールもしましたし、面接や教育も経験しました。システム開発っぽいこともやったりもしましたね。いわゆる“スタートアップの創業メンバー”ではなく、アルバイトでしたが貴重な経験となりました。

――大学院卒業後はどうされたのですか?

横田:大学院を卒業するタイミングで、ベンチャー企業でのアルバイトを辞めました。アルバイトの時に繋がった企業の担当者から「うちと契約しないか?」とお声掛けをいただいたのです。大学や大学院でプログラミングなどを学んでいたこともあって、多少は技術知識があったので、接客教育の経験とプログラミング知識のかけ合わせを武器に、企業研修事業の会社に業務委託契約という形でお世話になりました。

就職は考えていませんでした。ベンチャー企業でアルバイトをしていたときに、システム開発会社や大手SIer、ユーザー系の企業など、色々な会社とやり取りする機会があったのですが、そのときに、“企業を外から支援する側に回りたい”そのほうが自分の力を活かせるのではないかと思ったからです。

また、理工系の学校を出てはみたものの、周囲と比較してみると、“自分は優れたソフトウェアを作れるような能力はない”と悟っていました。“スーパーエンジニアにはおそらくなれない”という自己評価をしていたわけです。

しかし、エンジニアの知識を持ちながら店舗でパソコンを売ったり、集合研修で人材を育成することが得意な人はニーズのわりに少ないはずです。自分がどこで勝負するのかと考えたときに、周りが持っていないものを組み合わせて、そこを勝負どころにした方が良いと思いました。

――ご自分の力を活かして、組織ではなくておひとりで仕事を始められたわけですが、その後のお話やターニングポイントについて教えてください。

横田:個人事業主として企業と契約して、新卒研修からミドル研修まで幅広く社員研修を担当していました。1年半ほど経った時点で、業務委託契約をしている企業から、「もっと仕事を振りたいから会社を作ったら?」と、法人化を勧められたのです。その時まで、自分が会社を作るというイメージはほとんどなかったので、本屋に行って、会社設立の本を手に取りました。ちょうどそのころ、株式会社を作るときの資本金や取締役会の制約が緩和され、俗にいう「1円株式会社」ができるようになっていました。自分でも会社を作れることがわかったので、“じゃあ作ろう!”というノリになったわけです。

――法人化をしたことで何か変化はありましたか?

横田:私は法人化したからには自分が最前線でやっていくよりも、組織を作っていくことが大切だと考えていました。実際に法人化したあとは、私自身が担当していたトレーニングの仕事を辞めました。自分が主役で稼げば、もちろん売上は立つけれど、そのままでは結局、ひとり分の成果しか出せません。自分がプレイヤーのままでは、もっと大きな成果を出すには限界があります。しかし、チームとして10人が動けば10倍、100人が動けば100倍になる、そういうイメージがありました。せっかく会社を作ったのだから仲間を集めようと思い、友人に「ちょっと今暇だったら手伝って」と声をかけて、1年で20人ほど集まってくれました。そうやって、クラスメソッドという会社の原型ができ、企業向けのシステム開発などのサービスを中心に据えて歩み始めたのです。

ところが、最初の10年くらいは鳴かず飛ばずで…本当に苦労しました。社会人未経験の、20代前半の若者がたくさん集まって、受注額が1億円を超えるような開発の仕事を毎日夜遅くまでやっていました。リリース直後にバグが出てトラブルになって、お客様に謝罪訪問したり、終わった後に飲みに行って、終電を逃してカラオケ行って、そのまま朝出社…と、まるで大学生の延長線上のような雰囲気でした。

事業収益の点では、ビジネスモデルがしっかりしていなかったので、結局集まったエンジニアの人数分しか売り上げが集まらない。しかも毎月人数分の企業からの依頼があるわけではなく、暇な時期があったり忙しい時期があったりと、波もありました。なかなか収益が蓄積されるような会社ではなかったのですが、仲間たちとお客様から求められてシステムを構築し、信頼関係を作っていくことにやりがいや面白みを感じていました。

苦しくも楽しい10年間でしたが、ビジネスとしては中途半端な状態。当時20代だったメンバーも30代半ばになってくると、さすがに後半の人生を考え始める時期になってきます。“このままこの会社にいても伸びる気がしない”と。仲間たちが続々と抜けてしまったのです。会社の経営も苦しく、“この会社は人も仕事も楽しいけど未来はない”という雰囲気。それが2013年くらいまで続いていました。

このままでは倒産してしまうので、思い切って方向転換しました。企業の支援事業はすべて現場の優秀なマネージャーに任せて、私は新規事業に注力したのです。クラウドを扱うコンサル会社へと舵を切ることにしました。もともとクラウドは2008年頃から自社の開発環境として利用していましたが、この倒産しそうなタイミングで会社の柱にしようと決めたのです。社員たちは引いていましたが、社長の私がひとり部署のようなカタチで、新規事業を進めたのが大きな分岐点となりました。
直感的に、“クラウドの時代が来る”と思っていました。技術的な目利きはあるほうなので、“これはビジネスとして伸びる”ということはなんとなくイメージできました。ただしそれを、どうやって商売として成り立たせるか分かっていませんでした。そうしている間にも会社は潰れそうですし、とにかく経験値を積みながら、技術系のエンジニアコミュニティに参加することにしました。コミュニティの初期メンバーとして参加して、雑用係として運営を手伝ったり情報発信をしていました。「利益はなかなか出ないけど、クラウドの波は来るから、みんなで盛り上げようぜ!」という動きを社内外でしていましたね。

――技術系エンジニアのコミュニティでの活動と会社経営をどのようにリンクさせていったのでしょうか。

横田:実は学生のときに、海外のIT技術に関するコミュニティに参加していました。そこでは大小様々な企業の看板を背負った人たちが、手弁当で集まっていたのです。名刺交換をするようなビジネスライクな雰囲気ではなくて、個人的な趣味の集まりの延長で緩くて熱い勉強会や懇親会などを開催していました。

そこでは宴会を調整する人もいれば、金庫番としてお金を管理している人もいる。司会者として話す人もいれば、ゲストを連れてくる人もいる。みんなが様々な役回りで運営をしていました。会社に入って社内だけで閉じるのではなく、会社を超えてみんなで貢献していく雰囲気が良いなと思ってました。

なので、起業してからも自分でコミュニティを作ったりしましたし、“クラウド”に関しても仲間内でコミュニティを作ろうという話になって、「手伝います」と手を挙げました。当時はクラウドについて詳しくもなかったのですが、そのコミュニティを盛り上げるために懇親会の調整をしたり、会場のセットアップをしたり、一応名刺の肩書は社長ですが、社長らしいことは一切せずに、ひたすら雑用を楽しくやっていました。

この一見するとビジネスには直結しなさそうな活動は、ビジネスでもうまくいくような気がしていました。家電量販店のアルバイト経験から、ただ店頭で「買ってください」と言っても、相手は興味なく去ってしまうことはわかっています。相手に必要な情報を提供し続け、関係性を構築することが重要です。“この商品を売らなくてはいけない”ではなくて、お客様にどんな悩みがあって、それを解決するためにどのような商品が合っているのかヒアリングをしてマッチングすることが大切です。そのようにしてお客様が自分を指名して「あなたから買いますよ」といってくれるという貴重な経験を経てきたので、それがコミュニティでも同じように動くと思っていました。

ビジネスのコミュニティではあるけれど、ビジネス色はほぼ出さずに、“来てくれた人たちにどれだけ有益な情報や体験を提供し続けられるか”という姿勢が重要で、そこから長期的な信頼関係が生まれます。そのベースがあるからこそ、“じゃあ、この店であなたから買います”となるわけです。おそらくこれはIT業界だけではなく、すべてのビジネスで共通していえることではないでしょうか。

――コミュニティ活動に積極参加されている横田さんですが、2023年1月からクラスメソッド社のコミュニティ「デベキャン(DevelopersIO BASECAMP)」を開始されるとうかがっています。立ち上げの背景や、構想などをお聞かせください。

横田:クラウドが世の中に広まったことで、パソコンやスマートフォンの登場と同じくらいのインパクトを社会に与えるようになったと思っています。たまたま当社は最初の波、そのさらに先端に乗ることができました。その結果、当社のビジネスモデルも変わり、最初の10年とその後の10年では、数字の伸びや規模が全く異なるほぼ違う会社として生まれ変わることができました。

会社が成長したことで、お客様からいただく相談の数が毎月5~10社の規模ではなく、1,00~1,000社の単位になり、クラスメソッドだけでは、解決できない数や規模になってきました。そこで社内で人材を育成することで、裏から支えるような仕組みができたら、もっと多くのお客様の課題解決に貢献できるのではないかと考えました。

昔であれば、転職をしなければ一緒に働けない世の中だったと思いますが、今は兼業や副業、フリーランスなど多様な働き方があります。さらにコロナ禍の影響でリモートワークが浸透したことで、働く時間や場所が異なることに抵抗がなくなり、世の中全体がコミュニティになってきていると思っています。ですから私たちが今やろうとしていることは、時代に合ってるのではないでしょうか。多くの人たちがトレーニングを受けて、各企業で活躍するような状況を作りたいと考えています。

――コミュニティを形成し、ビジネスに興味がある人やこれから始めたい人を育成する。それが間接的に、支援に繋がっていくということですね。

横田:はいそうです。もちろんビジネスの側面もありますが、個人から受講料を取らない方針です。すぐに黒字化を考えているかというと、決してそんなことはありません。この活動で大きな売上をたてるというよりも、企業で活躍するエンジニアやそれを必要とする企業にとことん貢献することを念頭においています。この活動を続けて広めることで「デベキャン(DevelopersIO BASECAMP)で学びました。困ったときに助けてくれました。」とクラスメソッドに興味を持っていただく機会は増えていくと思っています。もしかしたら「じゃあ、自分もクラスメソッドに相談してみようか」という話になるかもしれません。

ビジネスでの基本的な戦い方は弱者の戦略です。テレビCMなど大きなプロモーションを行わず、最初から多くの講師がいるわけでも、大きなトレーニングルームをたくさん抱えているわけでもない。大企業と比較すれば、弱いものです。だからこそニッチなやり方で自社の得意な部分を組み合わせて進めていくべきではないかと思っています。

――御社は今後どのようなことにチャレンジしていくのでしょう。会社としての目標を教えてください。

横田:やりたいことは創業時から変わってはいません。困っている企業を支援したいです。社会の急激な変化に対応し続けるために、新しいテクノロジーを駆使して、企業として生き残っていくための武器やノウハウを提供し続けています。この事業活動を通じて間接的に社会への貢献を広げていきたいと思っています。その過程でクラスメソッドで働いている社員が「ここで働いていて良かった」と思えるような会社にしていきたいと思います。
今後の事業目標ですが、現在契約中のクライアント企業が3,000社ほどいらっしゃいます。これを数年以内に1万社まで伸ばしたいと思っています。その1万社のクライアント企業に満足していただけるサービスを作るために、もっと多くのビジネスやエンジニアリングに関わる仲間が必要です。

創業時は私を含めて4人の社員がいました。現在、20年目にしてまだ全員一緒に働いています。創業時からのカルチャーを変えず、それ以外は全て変えると思って経営をしてきました。会社の成長に伴って、組織体制も事業内容も変わってきましたし、今後も変えていくべきことが多数あると思っていますので、そこは柔軟に変化を楽しんでいこうと思っています。

昔が良かったという社員もゼロではないですが「同じ会社で同じことずっとやってても面白くないよ」と話しています。「同じ会社だけど、やることがどんどん変わっていくのも面白いでしょう」と伝えています。私自身は飽きっぽい所があるので、同じ会社を20年経営するなんてまったく思っていませんでした。社名は同じでも、10回くらい会社が変わっているようなイメージで働いた方が楽しいと感じています。

また、私は学生のときに、海外の企業に憧れていました。日本だけではなく広い世界で、様々な国の人と働きたいと思っていたのです。結局、海外の企業に就職することはなく、起業して海外の企業と取引を始め、クラスメソッド内にも海外国籍や海外在住の社員がどんどん増えています。最近は10か国くらいの人と働いていると思います。海外法人も6つありますし、様々な国の人たちが、お互いの様々な文化を尊重して一緒に働いているので、多様性のある会社になったと感じています。

今後も日本で働いていていいのか?という危機感を持っている人も多いかと思いますが。私からの回答例としては、日本企業だとしても、世界中の仲間と一緒に働ける職場であればより良いのではないかと思っています。

――ありがとうございます。最後に読者に向けて、これからの時代エンジニアとしてどのように立ち回れば良いのかなど、メッセージをいただけますか。

横田:私はトップエンジニアではなかったので、現場でコードを書くエンジニアとして生きていくことを早々に諦めて起業と経営の道を選びました。若手エンジニアの方が、これからエンジニアとしてずっとコードを書いていきたいのであれば、ネット上の情報などに左右されずに、とことん我が道を突き進んでいただくのがいいかと思います。そんなにスキルや経験や覚悟がないと思うのであれば、思い切って違う道を選んだり、自分の強みを組み合わせて局所No1を目指すという生存戦略もあるかもしれません。もともと持っているITのスキルを活かしつつ、他の業界や業務の知識や経験と組み合わせた仕事というのは、社会にとても求めらています。“営業なんかやりたくないな”とか、この業務や業界は興味ないとか思わずに、まずは良い機会だと思って面白がってやってみると、案外フィットして良い成果が出るかもしれませんし、巡り巡って、もともとやりたかったエンジニアリングの仕事に繋がっていくかもしれません。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。
チームラボ株式会社の取締役 堺 大輔さんです。
子供から大人まで大人気のデジタルアート作品を様々な施設で展開しているチームラボは、僕らテクノロジー界隈においても昔から有名で、誰もが知っているアプリなどのフロントから基幹システム連携などのバックエンドまで一気通貫で作れる開発力を持っている稀有な会社です。そんな華やかさと泥臭さを併せ持った開発組織やクライアント企業との間で触媒として活躍する堺さんは、まさにボーダーレスな組織文化を体現されているユニークな存在だと思っていますのでご紹介させてもらいました。

以上が第35回クラスメソッド株式会社 代表取締役社長の横田聡さんのインタビューです。ありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション)/ 編集:TECH Street編集部)

 

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