【連載32】“1人ですべて作る経験を早く“Sharing Innovations飯田氏のエンジニア教育論

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第32弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”後藤さんからのバトンを受け取ったのは、Sharing Innovations株式会社 代表取締役 飯田さん。

Sharing Innovations株式会社 代表取締役社長 飯田啓之
NTT、エムアウトを経て2007年ムロドー創業。2008年シリコンバレーで開催されたスタートアップのプロダクトコンテスト『TechCrunch50』にて、世界3,000社の中からセミファイナリストに選出。2012年より、日本に加えてベトナム、タイ、ミャンマーなどに海外事業展開。2020年6月にSharing Innovations株式会社に参画、代表就任。2021年3月に東証グロース市場へ上場。

 

――ご紹介いただいた後藤様より「彼は私が以前所属していたデザイン会社時代に知り合った 10年来の友人です。もともとNTTにエンジニアとして入りましたが、今ではIPOまでした会社の代表をしています。エンジニアからマネジメントになる過程など、非常に興味深いキャリアの話が聞けるのではないかと期待しています。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の飯田様を形作る原体験をお聞かせください。

飯田氏:コンピュータに興味を持ったのは大学生の頃です。国際基督教大学(ICU)で経済学を専攻し、大学寮に4年間入っていました。2年生の時、同室となった先輩がコンピュータが好きな方でした。当時はインターネットの黎明期。先輩に教わってコンピューターを触っていたら、だんだんと面白くなってきて、気が付いたらハマっていましたね。

当初は簡単なプログラミングから始めたのですが、自分で全てを作るので“全知全能の神”になったような感覚になります。とにかく“モノを作っている”感覚がとても楽しかったですね。大学寮には留学生も多く、自国に帰った留学生とメールでやり取りができたときには感動を覚えました。今思えば、それが私のエンジニアとしての原点となりました。

最初のキャリアはNTTです。私が卒業した1997年は、NTT最後の一社採用の時代。就職して一年後に分割し、私はNTT東日本に配属となりました。就職で考えていたのは“これから始まる黎明期の産業領域”にいきたいということ。先輩がほぼおらず、自分で試行錯誤して進めていかないといけない“見晴らしの良い場所”を探していたように思います。

実際、多くの同期が“インターネットの仕事をしたい”と思ってNTTに入社していました。私はインターネットを“ファミコンと似ている”と感じていました。私が子供の頃、誰かがファミコンというものを仕掛けていて、ユーザーとしてその仕掛けに乗せられた、そんな構図が思い浮かんだんですよね。“誰かが、インターネットなるものを仕掛けているから、今のタイミングでその領域に入れば自分も仕掛ける側に行ける”と考えました。それがNTTに入社した理由でした。当時、今ほどネットベンチャーは存在しておらず、インターネットの仕事を根幹からするにはNTTが良いんじゃないか、と。“世界中の人が作る新しい秩序”に参加したいという思いが強くありました。

――“仕掛ける側がいい”というご発想が素敵ですね。

飯田氏:その選択は正しかったと感じています。NTTはもともと電話の会社ですが、インターネットが登場したので、何かやらなくてはいけないという状態でした。多くの組織でそうであるように、新しいチャレンジって若いメンバーが牽引したりします。そういった状況で、みんなが伸び伸びと仕事をしていました。私も入社して数年はエンジニアとして大学の電子図書館システムを作ったり、今で言うところのLINE電話のようなものを作って証券会社に提供しました。

――飯田さんは経済学専攻でしたが、文系出身のエンジニアとして活躍されていたのですね。

当時私がいた部署は、「全員まずは技術職に配属する」という方針だったので、文系や理系は関係ありませんでした。研究開発のような、数学的な素養が必要な部署は別として、プログラミングは外国語を覚えるような感覚に近いんです。なので理系や文系という区分はまったく関係ありません。原理を理解しようと思ったら、やはり数学的なセンスが必要になりますが、多くの人は作りたいソフトウェアが作れればいいので、文系でも十分に対応できます。必ずしもエンジニア=理系ではありませんね。私も入社してすぐは肩書がエンジニアだったので、自分はエンジニアだと自覚していましたし、一定以上のクオリティで仕事ができていたと思います。

仕事ができるという基準ですが、よく陥りがちなのは「言われたままにシステム作ってしまうこと」です。私は“何を作れば良いか”の論点把握が上手かったと思います。今の会社で若い人にも伝えますが、例えばお客様は「お茶しよう」みたいな曖昧な言い方をするときがあります。しかしその「お茶しよう」にはいろいろな意味がありますよね。本当に緑茶が飲みたいのか、ちょっと2人で話がしたいのか、休憩したいのかなど、ケースバイケース。素直にお茶を出す人もいますが、私はそこで「緑茶にしますか?コーヒーですか?それとも話をしますか?」というような感じで確認して、お客様の具体的な要望を明確にしていくのが上手かったのだと思います。

結果的にNTT東日本には8年在籍しました。途中でフレッツの部署に異動し、そこに4年ほどいました。毎日遅くまで働きましたが、とても楽しかったですね。当時、ISDNからADSL、そして光ファイバーになり、ようやくブロードバンドのインフラが整えられるようになりました。NTTに在籍して、全国津々浦々の通信インフラを整えるチャンスというのは、100年続く会社でもそのタイミングでその部署にいた人しか経験できません。私はとてもラッキーだと思っていました。

とはいえ、もともとNTTに入社したときから“いつか辞めて新しいことを始めよう”と考えていたので、退職後は1年ほどインキュベーション会社に在籍、その後、2007年にムロドーという会社を創業しました。

――創業して“何をしよう”と考えていたのでしょうか。

飯田氏:あまり具体的なアイデアはありませんでした。NTTでフレッツという「プロダクト」をやりきった感覚があったので、しばらくの間は「プロダクト」よりは「プロジェクト」ベースの仕事がしたいと考えていました。システム開発やホームページ作成など、何でも幅広く経験しました。経験を重ねていけば、そのうち分野が定まってくるだろうと、そんな気持ちでいましたね。

その翌年、2008年に転機が訪れます。それは「TechCrunch50」への挑戦です。当時は「web2.0」という言葉が出始めた頃でした。「TechCrunch」は世界中のスタートアップが自分たちのプロダクトを持ち寄って、どのプロダクトが優れているかを競う甲子園のようなものです。実は創業1年目のとき、創業メンバーがサンフランシスコまで見に行って“来年は出場しよう”と考えていて、その翌年、実際に参加してみました。

「TechCrunch50」に出したのは、今で言うTwitterクライアントのようなプロダクトです。TwitterやFacebookなどのSNSに一元的に投稿できたり、閲覧できたり、ブックマークできたりするviewerですね。当時は、まだiPhoneもない時代で、ブラウザのエクステンションで作りましたが、あまり一般的ではありませんでした。その後にiPhoneが登場し、私たちが考えたものと同じようなコンセプトのプロダクトが登場し、一気に広がっていきました。ちょっと時代が早かった…という感覚です。その時は、とにかくコンテストに勝つことが目的だったので、トレンドを横目で見ながら“これを出せば受ける”というものを考えました。自分たちがやりたいことを優先というより、流行を逆算して作ったということです。

残念ながら最終プレゼンの手前で負けてしまいましたが、その体験から得たのは、世界中から人が集まってもみんな考えていることはさほど変わらないし、技術の優劣に大きな差もないという感覚でしたね。「TechCrunch50」での評価をメディアが取り上げたのでベンチャーキャピタルからのオファーが多かったですが、しっかりとビジネスプランを考えてはおらず、迷いはしましたが出資の申し出はすべて断りました。

その数か月後にまさかのリーマンショック。ぱったりと仕事が無くなってしまいました。起業2年目で社員も7人に増えていたし、出資も断ったし、というので困り果てながら、食べていくためになりふり構わず何でもやっていましたね。

――ムロドーの創業者であった飯田さんが、Sharing Innovationsの代表になられた経緯を教えてください。

飯田氏:私が創業したムロドーという会社は、日本とベトナムで事業展開していました。そのベトナム子会社をSharing InnovationsにM&Aで譲渡したのですが、そのタイミングで代表になるというお話をいただいて代表就任、10ヶ月後に東証グロースに上場しました。

――飯田さんは、「エンジニア」「ビジネス」「マネジメント」など複数の役割をボーダーレスに行き来しながら対応できる方なのですね?

飯田氏:NTT時代には同期が2500人いて、当然のことながら仕事がめちゃくちゃできる人がいます。大学の電子図書館プロジェクトにはスタンフォード大学卒業の同期と東大卒業の同期がいました。その2人はやはりすごくて、“何年たっても追いつかない”と感じたので、エンジニアを究めるのは諦めました。フレッツの部署では技術側というよりは事業側にいたのですが、技術チームと対等にやり合えるのは私を含めて数人で重宝されました。営業と技術が衝突するのはITの会社によくあることですが、技術側が「できない」というのをひとつひとつ反論していました。技術的にできないことと、リソースの問題でできないことは別です。私が技術のこともある程度わかるので、技術チームの人ともだんだん仲良くなっていきました。

エンジニアには、モノづくりの職人としてずっと作っていきたいタイプ、プロジェクトマネージャーになっていくタイプ、組織のマネージャーになっていくタイプ、自分の技術をもとにプロダクトやサービスを作るクリエイタータイプと大きく4つあると思います。自分がどのタイプでキャリアを積んでいきたいかを考え続けることは、大切だと思いますね。

 

(次ページにつづく)

 


――現在、Sharing Innovationsでは、どのようなビジネスを展開しているのでしょうか。

飯田氏:一言でいえば、お客様のDXを支援している会社です。大きく2つの事業があり、ひとつはクラウドインテグレーション事業で、SalesforceとTableauの導入支援をしています。もうひとつはシステムソリューション事業で、基幹系システムやWeb系システム、スマホアプリなどの開発です。

前者はムロドーの時代に長いお付き合いがあった企業から、すでに導入しているSalesforceと他システムの連携部分の開発を依頼されたことからスタートしました。そこでSalesforceの知見を一通り得ました。当時はSalesforceが伸び始めた時期で、他システムと連携させてトータルでマネジメントできる会社は数少なく、一定以上のプレゼンスは得られたと思っています。

Sharing Innovationsとしては、SalesforceとTableauの導入支援においてはここ数年で急速に名前も知られてきましたし、一定以上の信頼を得られていると感じています。昨年6月にSalesforceから「Agile Integration Partner of the Year」という賞をいただきました。Salesforce公式の日本のパートナーは500社ほどありますが、その中で優れたパートナーに与えられる賞です。

Salesforceの導入支援は我々のようなベンダーが行いますが、導入後にSalesforceがお客様に導入プロジェクトに対してのアンケートを取っています。そのアンケートで、私たちは1年を通して5点満点中4.7点でした。お客様からの評価を得られたというのが受賞に結びついたと考えています。当社のエンジニアチームが丁寧に一生懸命やっている結果がお客様からの評価につながったと思っており、非常にうれしい受賞でした。

SalesforceやTableauのエンジニアは、ここ2年で100名以上増やしています。質の高いエンジニアを確保するのはどの会社も苦労していますが、私たちの場合はSalesforceとTableauに特化しているのでエンジニアの教育を含めたいろんなノウハウを蓄積しており、日々試行錯誤しながらエンジニアを育成しています。

――飯田さんの“最適なポジションを見つける力”が、本当に素晴らしいですね。

飯田氏:私自身は根がズボラといいますか、あまり競争をしたくないので、ホワイトスペースを見つけてそこで勝負したいという傾向があるように思います。“ここならナンバー1になれるんじゃないか”という場所を探して、見つけたら一気にやるといいますか。

――順調に社員数を増やしていますが、社員(エンジニア)の教育について『ITエンジニアの教育・育成』をビジョンに掲げているSharing Innovations社としての方針をお聞かせください。

飯田氏:日本はITエンジニアが不足しているので、良いエンジニアを数多く育てていきたいという考えがベースにあります。企業秘密なので公開はできませんが、当社のHR部門が編み出したエンジニア教育プランは自信があります。SalesforceにはTrailheadというeラーニングの仕組みがあり、それらも活用しています。

エンジニア教育における私個人の持論としては、“エンジニアはパーツの仕事をしてはいけません”というものがあります。大企業にいると大きなプロジェクトを担当することが多いですが、大きなプロジェクトの場合、自分が担当するのは、例えばデータベースのチューニングなど、あくまでプロジェクトの一部のパーツです。もちろんパーツを担当することは大切なことですが、プロジェクトの全体像やシステム全体のアーキテクチャを掴むためにも、“1人で全てを作る”という経験を早い時期に持つことも大切です。

なので私は、プロジェクトのアサインにおいて、数人で一つのプロジェクトを担当するという経験を早くから取り入れるように意識しています。有名な会社の大きなプロジェクトに行きたいと思うこともあるかもしれませんが、そのためにはもっと経験を積む必要があります。若い段階で、適切なサイズのプロジェクト、例えば2ヶ月間で3人で仕上げるような、そんな規模感のプロジェクトをトラブルなくきちんとやり切る経験が重要です。どんなプロジェクトも実際にはそう簡単ではありません。一連の流れを通して色々なことを覚えていきます。

ある分野に特化した専門家を作らないということではありません。専門家になるまでに全体を経験しなければならないと思っていますし、経験しなければ“ここが好き”というものも見つからないと思います。5年経てば、自ずと好き嫌いが出てくると思うので、専門性を極めるのはその後でも良いと考えています。

――この会社で育った若手が、いずれ日本のエンジニア不足をカバーできると良いですね。

飯田氏:そうですね。本当に、一人でも多く育てば良いですね。同時に、お客様の発想をモダンにしなければいけないとも感じています。私が若い頃、FAXを受信したことをメールで通知するシステムを依頼されたことがあります。しかし、メールがあるのであれば、FAXの内容自体をメールで添付すれば良いわけで、そこをシステム化するのはナンセンスです。今いたるところで“DX”と叫ばれていますが、“それは本当に必要なのかな?”と思えるようなシステムも多いのではないでしょうか。

生産性を向上させるという意味では、お客様が本当に必要なシステムかどうかを把握する必要がありますし、受けるエンジニア側も「本当に必要なのか」を確認しなければなりません。そうすると作るものが減るので、お互いにとって幸せ。エンジニアに必要なのは、必ずしも技術力だけではありません。「お客様が本当に必要なシステム」を具体化していけるエンジニアもきっちり育てたいと思います。

――貴社の今後の展開を教えてください。

飯田氏:まずはSalesforceとTableauの導入支援事業を中心に、しっかりと伸ばしていきたいと思っています。今、「DX」という言葉が流行っていますが、「DXとは何か?」と答えられる人はそれほど多くはありません。私たちはDXの前の段階として、「お客様の会社に点在するデータをマネジメントするお手伝い」をしっかりとやりたいと考えています。企業の中でのデータという資産をしっかりと扱うこと。データを扱うというのは、「データを取る」「取ったデータを貯める」「貯めたデータを分析する」「分析したデータを可視化する」の4つです。営業部門であろうが財務部門であろうが、これはあらゆる企業活動において必要なサイクルなので、それをシンプルにできるようなお手伝いをしていきたいということです。

――ありがとうございます。これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

飯田氏:エンジニアという仕事は、常に新しい技術やガジェット、ビジネスが次々と出てきます。フロンティアが常にあるという、珍しくて恵まれた仕事だと思います。私が若いとき「iモードでアプリが作れたら食べていける」と言われていた時期があります。しかしiPhoneが出てきた途端、iモードが無くなり、iPhoneでアプリを作る技術を学ぶ必要が出てきました。今はiPhone絶頂期ですが、将来は分かりません。そうなったときに“せっかくiPhoneの技術を学んだのに…”と考えるのではなく、“新しい技術を学ぶチャンスができて嬉しい!”と思える人の方が強いです。

私は採用メディアなどでも「明るく素直なチャレンジャーを求む」と言いますが、新しいものが出てきたときに億劫にならずに、“また新しいものを勉強できる!”“新しいチャレンジができる!”“とりあえずやってみよう”と考えて実行できるのが、ITエンジニアの良い点だと思います。

そして第一人者になってしまえば、年代関係なく“できる人が偉い”という世界です。それも魅力のひとつで、とても楽しい仕事です。

――どうすれば、第一人者になれるのでしょう。

飯田氏:ITエンジニアのユニークで良いところは、コミュニティ文化ではないでしょうか。会社を越えた勉強会がこんなに頻繁に行われている業界って他にはありませんよね。自分が何かに興味を持ったとき、他にも数人は同じように興味を持っているはずです。1人で第一人者になる必要はないと思うんですよね。同じ分野に興味を持つ仲間と一緒に、その分野自体を切り拓いていく。そんなスタンスが大切だと思いますし、なにより、そのプロセス自体が楽しいですよね。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

飯田氏:NTT東日本の山口肇征さんをご紹介します。私がフレッツ事業に取り組んだ時の同期で、彼は技術側にいた人です。現在、NTT東日本で「特殊局」という部署を作ったり、「シン・テレワーク」という、新しいテレワークの仕組みを作るなど、大変ユニークな活動をされています。エンジニアにとって有意義なお話が聞けると思います。

以上が第32回Sharing Innovations株式会社飯田さんのインタビューです。飯田さんありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)