【連載37】ビジネス貢献への意識が重要!プリズマティクス濱野氏が語るキャリアとプロダクト開発ストーリー

こんにちは!TECH Street編集部です。

連載企画「ストリートインタビュー」の第37弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

“今気になるヒト”堺さんからのバトンを受け取ったのは、プリズマティクス代表取締役 濱野幸介さん。早速お話を伺いたいと思います!

 

――ご紹介いただいた堺様より「ご自身がエンジニアであり、エンジニアの組織もずっと見てこられました。私は深く突き詰められないタイプなのですが、濱野さんは経営者でありながらも技術を深く突き詰めたい人です。私と全然タイプが違うので、色々と面白いお話が聞けるのではないかと思っています。」とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、現在の濱野様を形作る原体験をお聞かせください。

濱野:小学生の頃から“今後はパソコンを使う時代が来る”という予感がありました。そして中学生の時に「これからパソコンを使う仕事が絶対に増えてくる」と親を説得してパソコンを買ってもらったのを覚えています。そこからMSXを触り始め、ゲームやプログラミングを通じて新しい世界を知り、ソフトウェアやハードウェアの基本を覚えていきました。

そして大学ではデータモデリング、データの構成や活用方法などを理論的に学びました。なかでも好きだったのはデータを中心としたアプローチ方法です。OSSに貢献して称賛を得るよりも、いかにデータを使いこなして世の中に貢献するかという方に興味を持つようになりました。“プログラミング言語を使って何を作るか”というよりも、“作られたITツールをどう使いこなすか”に意識が向いていたということです。

学生時代のアルバイト経験も、今の私を形作る原点のひとつになっています。当時の私はパソコン出張サポートをしていました。業務の性質上、使ったことがないパソコンも対応しなければならなかったので常に背水の陣で挑んでいました。笑

セットアップやメモリ増設などは手順が決まっていて分かりやすいものですが、トラブルシューティングは原因をすばやく探り当て、それをお客様にわかりやすく説明する必要があるのでとても難しかったです。しかもトラブルシューティングの手法について会社から教わったことは基本的にありませんでした。

とにかく現場で追い詰められながらやっていたという感じですね。当時はインターネットが無かったので、今のように調べることもできず、出来る範囲で試行錯誤していった結果、スキルはどんどん上がっていきました。

アルバイトの他にもマイクロソフト社のインターンに参加する機会があり、大学3年生のときに、「Microsoft Windows NT Server 4.0」と「Windows NT Server 4.0 in the Enterprise」というMCP(Microsoft Certified Professional)資格を取得しました。“資格を取ったからといってどうにかなるものではない”と考えてはいましたが、将来的なことを考えても“自分はこういうことを分かっている”と証明できると考えました。

――幼少の頃から「パソコンを使う時代がくる」と予想されていたり、インターンで資格取得をされていたりとかなり早い段階から自分のキャリアを検討されていたのでしょうか。

濱野:どのような仕事をしたいというイメージはなく、正直言って模索していました。大学卒業後は“どのようにしてデータを使いこなすか”“ビジネスに貢献するか”という意識が強かったので、これまでの専攻分野と全く異なる経済学の研究科がある大学院進学を検討していました。結果は残念ながら不合格。並行して入社試験を受けていたアクセンチュアに入社することになりました。

――アクセンチュアが濱野さんのキャリアスタートだったのですね。

厳密に言うと実はアクセンチュアが最初ではありませんでした。アクセンチュアは入社月を選べたので、他の人が3月や4月から入社する中で私はあえて一番遅いタイミングの7月入社を選びました。社会人になるまでにやれることをやりたいと考えていたからです。

入社までの間は、金融系企業にてフルタイムで働くことにしました。海外旅行という手もありましたが、偶然、バイトの延長線上でフルタイムの仕事を紹介されたのがきっかけです。仕事内容はデリバティブ関連のサイトを作るというものです。当時、Webサイト制作は今ほど簡単ではなかったのですが、大学でプログラミング言語を勉強してきたので、その経験が活きたのと、アルバイトと同様に背水の陣で臨んでいたので、“なんとかしよう”と思って、結果的にできたという感じですね。

7月から予定通りアクセンチュアに入社してインフラエンジニアとしてプロジェクトにアサインされました。大学時代から一貫して“ITをどのように使いこなして貢献するか”を考えていたので、インフラエンジニアとして活動していてもビジネス側の気持ちも理解したいと強く思っていました。“どうしたらお客様が使ってくれるか”“どうしたらビジネスに貢献できるか”ということばかりを考えていたので、技術をつきつめるだけのエンジニアとは少し違うかもしれません。
その後、アクセンチュアではマネージャーなども経験しましたが、IT的な観点から提案してビジネスに貢献するだけに留まらず、もっと事業側の気持ちや考えを知りたいと感じるようになり、2009年にリヴァンプという再生支援会社に転職しました。

リヴァンプは“企業を芯から元気にする”という目標に掲げ、様々なファンドと組んで企業の再生支援に注力していました。私はそこで子会社の社長も任されていました。その子会社は、再生支援の局面でITデューデリジェンスを行ったり、ITシステムの刷新を提案・実行する役割です。社長職は2012年で退任しましたが、働き方を変えて2015年頃まで関わっていました。

2013年からは個人事業主に近い状態で、MUJI passportという無印良品アプリのプロジェクトに参画。企画とコーディング、運用、データ分析に携わりました。

――「MUJI passport」プロジェクトに参画した経緯を教えてください。

濱野:リヴァンプ時代を経て、“どうすればビジネスに貢献できるか”が少しずつ分かるようになっていました。

基本的な考え方は、リヴァンプの先輩方から教わり、スマートフォンの普及とともに、スマートフォンを使ってお客様にメッセージを届ける方法を自分でも考えるようになりました。その頃にプリズマティクスのアドバイザーを勤めてもらっている奥谷さんから相談を受けたのがきっかけです。

当時、ブランドのメンバーズカード制度は珍しくもない時代でしたが、良品計画はまだメンバーズカード制度を設けていませんでした。奥谷さんから相談された時、今からプラスチックカードを発行するのも・・と思い、これからさらにスマートフォンが普及するのであれば、バーコードが出るアプリなどを作ればポイントカードの代わりになるし、プッシュ通知の形でメールの代わりにアプローチができると考え、MUJI passportの企画開発をはじめました。私がプログラマーと設計者の役割を果たし、リリース後の運用やデータ分析などもしているので、データサイエンティストの役割も果たしていましたね。それをきっかけに登壇させていただく機会も増え、その流れでマーケターの方たちとの繋がりも増えていきました。

――そこからどのようにしてプリズマティクスの起業に至ったのでしょうか。

濱野:グローバルで散在するECサイトやブランディングサイトにガバナンスをきかせたいという発想がありました。2016年頃になってくるとモバイルアプリが当たり前の世界になってきていましたが、もちろん同時にWebサイトも存在していました。つまり、ほぼ同じ情報が掲載されている複数サイトを各社が用意している状態ですね。さすがにそれは維持の手間もかかるしナシだよねとなった時に、ガバナンスをきかせたいのであれば、モバイルアプリやweb、メールなどの共通基盤のようなものをAPIで作っていけば良いのではないかと考えました。

それを実現するには事業者という立場ではなく、外から支援するという形を取ったほうが良いだろうということでクラスメソッド社に入社してその中でプリズマティクスを起業したのです。

――それまでの経験から、普及に至るまでの道のりは明確にイメージしていたのですか?

濱野:机上ではありましたが、プランはありました。しかし当時のAPI基盤、今でいうマイクロサービスがどう普及していくかは全然何もわかりませんという状態です。笑
先々そのような技術が必要になるという確信はありましたが、どのような形にするのかは模索が必要だったので、まずはできるものをできる形で提供しようと、APIの基盤そのものを作りました。概念的にも新しいものは、どのように受け入れられるのかがとても難しいものです。走りながら修正を重ねていくのは否めないなと感じました。

プリズマティクスはスマートフォンが普及するという流れがあったので、その中で“このようなプロダクトがあったらどうだろう?”という発想から生まれた提案型に近いものです。作るのに時間がかかることは分かっていたので、賭けの要素が強めだとは思っています。例えば実際にモノがあれば、それを見て「欲しい」と言ってもらえるかもしれませんが、まだモノがなければスマートフォン登場前のように「分からない」あるいは「欲しいかもしれない」と曖昧になってしまいますよね。そうなると、実際にモノができ上がったときに本当に買ってもらえるかどうかが分かりません。なので、どう提案していくのかが重要だと実感しました。

――一歩先の読みが難しい時代ですよね。
そうですね。例えばMUJI passportの頃はまだフィーチャーフォンが多かったので、スマートフォンでバーコードを表示するということがほとんどありませんでした。今でこそ受け入れられて当たり前になりましたが、その時点で受け入れられるかどうかはやってみないと分からないことなので、日々、試行錯誤しながら当て続けるといった感じでした。自分の中の常識を常にアップデートしていなければ、置いて行かれると思っています。

特に2013年からコロナ前までは、スマートフォンやクラウドの普及が進み、それに伴うビジネスモデルの変化が起きた時期だと思います。これから先、メタバースやWeb3の進化はまだまだ先が見えないので、確信が持てないと感じています。

ただし、先が読めないからといって博打をしなければならないかというとそうではないと思っています。
概念として今は存在していなくても後から受け入れられるように、インタビューや小さなテストを繰り返していくやり方もあります。花火を成功させたいなら、コストの低い花火をまずは打ち上げてみる。そのようなリスクコントロールをしながら成功・失敗の基準を設ければ良いのではないかと思っています。最終的にはそこに自分の想いをどれだけ乗せるか、そしてアクセルを踏むかどうかで決まると思います。


――プリズマティクスというプロダクト開発に関して、当時の課題や開発エピソードを教えてください。

濱野:2016年はまだマイクロサービスという言葉が出始めの頃でしたが、API基盤を作るならマイクロサービス的なアプローチが良いだろうとクラスメソッドとのディスカッションでもあがっていました。当時の技術状況から、RESTfulなAPIを備えたものを作ろうと考えました。RESTfulというのは、webでフォームを送信したときに投稿(POST)したり、データを取るときに受信(GET)したり、httpというプロトコルの作法としていくつか決められているものがありますが、それらを組み合わせた形でAPIを定義することにしました。例えば更新するときであればPUT、初期作成するならばPOSTなどで、その中でも後ろのパラメーターの構成もRESTfulの基準に準じたものというのが基礎設計としてありました。

また、APIの認証まわりの課題もありましたが、当時からクラスメソッドの中にはOIDCやOAuth 2.0に準拠した認証認可の基盤があったので、それを使ってユーザーそのものの認証認可、およびAPIのアクセス機構といったものを備えることにしました。
特にECではフロントからキーワード検索をしたり、カテゴリー商品の一覧を求められることがあると思いますが、条件が複雑だったり、検索に該当したものが各カテゴリーに何件あるかといった検索もする必要が出てくるので、その頃、普及しはじめていたElasticsearchという検索エンジンを組み合わせる形でシステムを構成しました。それをマイクロサービスという形のアプローチでAWSのクラウド基盤上に乗せて作ったというのが、今のプリズマティクスになっています。

――基礎設計は濱野さんが検討されたのですか?

濱野:そうですね。私は要件定義〜基本設計の要件を出していたイメージです。プリズマティクスを設立したときにクラスメソッド側のエンジニアが数人集まってくれて、その中のメンバーにアーキテクチャを主導してもらいました。なので、私がアーキテクチャなどの要望を強く出していたわけではなく、どちらかというと外部仕様をお願いしていたというイメージです。

やり方としては上意下達系の組織か、サポーティブな形で、みんなで走ってもらうかなどマネジメントの形はいくつかあると思いますが、今回はサポーティブな形で進めました。私自身は基本的に、仕様以上のことは言いません。プリズマティクスにおける私の役割は船頭だと自覚しています。

――サポーティブな形で進めた理由は、どのようなものだったのでしょう。

濱野:集まってくれたメンバーを見て、“どうしたらみんなが嬉しいのか”を考えました。要望だけを聞いていてもダメだと思いますが、今回は、私が方向性を示してあとは自主的に動いてもらう方が望ましいと判断しました。メンバーとよく話し合った結果ですね。

メンバーとプロダクトに対する想いを共有することは難しいですね。“こうしてほしい”という要望があまりにも強すぎるとアソビが無くなってしまいます。要望やマネジメントが細かすぎると言われたものを作るだけになってしまいますが、エンジニアは機械ではないので、“自分だったらこうしたい”という思いを持っています。モダンな開発をしたいという人がExcelの仕様書を見ただけでも萎えてしまったりしますからね。その気持ちをどう汲み取るのかというのが、今の時代はとくに難しいと感じています。私も答えは見つけていませんが、“どうすればみんなの気持ちが乗ってくるのか”を考えます。しかし、それだけではただ気持ち良くなるだけなので、そこに“こうしたい”という気持ちを巻き込んでいくバランスが大切だと思っています。

このバランスは自分やPO(プロダクトオーナー)のスタイル、PM(プロジェクトマネジャー/プロダクトマネジャー)のスタイルなどの間で決まるものだと思うので、正解はないですね。例えば、強いリーダーがいるとメンバー的には四苦八苦することになりとても大変ですが、ビジネス的には上手くいくかもしれません。マネジメント的にはその方が良いとなるかもしれませんが本当に難しいです。

「ビジネスに対して自分がどれだけ貢献しているか」を知っていると、エンジニアのスキルとしても、転職をする際に重宝されると思っています。しかし自分の主義志向がそちらにはないというエンジニアもいるので、強制はできません。しかしビジネス貢献を意識していくほうが、コミュニケーションなども含め円滑になるだろうとは思っています。昔に比べてもこの辺りは難しいですね。最近は心理的安全性といったキーワードも話題に上がることが多いですが、それを“私に優しくしてほしい”と曲解されている人もいるので、その空気感を感じながらもマネジメントをするというのが本当に難しいと思いますね。

“いかにみんなが働きたいと思うか”を常に考えて、1on1を会社としてはしっかりと行っています。会社的にも個人的にも、せっかく縁があって関わってくれたチームメンバーについて、これから先のキャリアもそうですし、ご本人の生活も良くしたいと思っています。それは単純に優しくするということではなく、気持ちよく働いて気持ちよく人生を楽しんでもらうために、厳しい面も含めてやっていきたいと思っています。

――今後のビジョンをお聞かせください。

濱野:IT業界だけでなく、私が関わっている飲食や小売りの業界でもコロナの影響は大きかったのですが、それを経て、「サービスをすぐに使いたい」「サービスをすぐに立ち上げたい」といった要望が多くなったと感じています。今までのように、自分でまず企画をしてしっかりと作り込んで出すというよりも、スピード感をもって、まずやってみるということを求められているので、それは社会的なニーズの変化だと捉えています。そのような声にこたえるために「こういうことをやりたい」という声に対してすぐに「あるよ」と応えられるようにしていきたいです。そしてそれだけでなく、例えば後でカスタマイズできますといった提案も一緒にするような提供形態を目指していきたいですね。

プリズマティクスに関しても、APIや基盤があると言っても最終的な使い方はなかなか伝わりません。なので、例えば「ポイントカードを発行する仕組みが2カ月でできる」というのがまずあり、さらに「設定を追加したり追加で開発をすればお客様とのコミュニケーションが取れる」という形にしていきたいと思っています。まずは基盤ありきではなく、ニーズに沿ったものがあるという方向に持っていきたいですし、それをアドバイザーやコンサルティングと一緒になって展開していきたいですね。

――ありがとうございます。最後に読者に向けて、これからの時代エンジニアとしてどのように立ち回れば良いのかなど、メッセージをいただけますか。

濱野:30代のエンジニアはそろそろ自分が何をできるのかについて理解をし始めているけれども、40代以降のキャリアを迷っている頃だと思います。しかし40歳を迎えるころにはある程度決めなければいけないと思うので、もし大幅なジョブチェンジをしたいのであれば30代のうちに考えた方がいいですね。しかし一方で、そこまでジョブチェンジを考えていないのであれば、今の自分の強みを活かしながら、いかに横に広げていくかを考えるのが良いでしょう。

今の時代は単一のスキルでやっていこうとしても、周りと協力しなければいけないことが多いので、他の人と協力するときの自分の役割や、自分の特徴などは自分でも認識しなければなりません。反対に、自分ができないところは他人の力を引き出して頼るというのは、40代くらいになると必要になってくると思うので、その点も考えてほしいですね。

40代になるとリーダー以上の役割を求められると思いますが、人によって“やりたい”“やりたくない”というのはあると思います。なのでメンバーでいるのか、リーダーになるのかは自分の意思で決めていいと思います。しかしマネジメントスキルや、アーキテクトとして振舞うことの自信など、何か強みがなければ、「あなたは何ができますか」と声をかけられたときに答えられません。自分の強みや特徴、自分の行きたい方向、海外のエンジニアと比較したときの自分の強みなどをきちんと把握して欲しいと思います。少しでも外に目を向けて考えることが大切です。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

良品計画 執行役員の久保田竜弥さんをご紹介します。ストリートインタビューの過去記事の傾向として、サービス提供側の人が多かったので、事業会社側の方がタイミング的にも良いのではないかと思いました。久保田さんは、ZOZOでECを経験しながら、なぜ良品計画のような小売りに転職されたのかという理由も含めてお話をうかがうととても面白いのではないでしょうか。


以上が第37回プリズマティクス代表取締役 濱野幸介さんのインタビューです。
ありがとうございました!
今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)

 

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