【連載34】反対を押し切り大企業のクラウド化を推進したネクストモード里見氏が挑戦する地方創生

こんにちは!TECH Street編集部です。
連載企画「ストリートインタビュー」の第34弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。


“今気になるヒト”山口さんからのバトンを受け取ったのは、ネクストモード株式会社 代表取締役社長の里見 宗律さん。
早速お話を伺いたいと思います!

――ご紹介いただいた山口様より「ネクストモードはクラウドで働き方を変えようとする会社で、里見さんもずっとワーケーションをしていて、北海道新聞に「ワーケーションの達人」として紹介されていました。とてもユニークなお話が聞けると思います。」とご推薦のお言葉をいただいております。よろしくお願いいたします。まずは、現在の里見様を形作る原体験をお聞かせください。

里見:私は日本大学芸術学部の演劇学科出身で、当時はアートで生計を立てていこうと考えていました。なぜ演劇学科を専攻したのかというと、「演劇で世の中を変えよう」という人達に感化されたからです。今までそんなことを思いもしませんでした。ただ、実際はそのような生き方は難しく、強烈な挫折感を覚えました。先輩の中には卒業後も経済的な困窮に耐えながら、己の信じた道を歩き続ける人もいましたが、私は”その生き方は無理だ”と感じていました。

大学院の進学先として選んだのは東工大です。大学院でも演劇の勉強は続けていたのですが、学生時代はお金があまりなかったので、出版社に出入りし、アルバイトで雑誌に記事を書いていました。そこで編集者が、私が自分でパソコンを作っていることを知り、「自作パソコンの本を書かないか」と声をかけてくれました。本当は演劇やアートに関する本を自分で出したいと考えていましたが、なぜか自作パソコンの本を最初に出版することになったのです。

――自作パソコンって、誰からも教わることなく作れてしまうものなのですか?

里見:まだインターネットが普及していない時代だったので、秋葉原に通ったり、人から聞いて勉強していました。専門教育は一切、受けていません。リクルートさんが発祥のフレームワーク「Will Can Must」でいうと、私のWillはアートで世の中を変えることでした。しかし、Canはコンピューターだったということです。
大学院を卒業してからは“アートに理解がありそうな会社”と思っていたNTT東日本に入社しました。

――NTT東日本といえば通信会社のイメージが強いですが「アートに理解のある」と感じたのはどのような取り組みをされていたからでしょうか。

里見:学生のときにNTTインターコミュニケーション・センター(略称:ICC)が設立されました。私はその創立イベントの頃からの熱烈なファンでした。「メディアアート」という分野でしたが、世界的にも珍しい美術館で、ずいぶんと通い詰めたものでした。またインターコミュニケーションという雑誌も発行していて、それも私の愛読書。なので、NTT東日本に入社すれば、ICCファンがたくさんいて、アートの話もできると思っていました。笑

もちろん、アートだけで選んだわけではありません。先ほど説明したように、ICCを持っていたという点がWillで、コンピューターが得意という点がCanにあたります。当時はISDNからADSL、最終的には光に移行することが見えていた時代で、“コンピューターの世界に行くためには、通信の世界に行くのがど真ん中ではないか”と考えました。後から振り返ると入社してからもずっと周囲に「コンピューターの勉強がしたい」と言い続けていました。

新人研修で飛び込み営業をしていた時に私は全国の同期の中で2番目の成績を残しました。コンピューターの知識があったので、お客様のところに行って、まずは自分を売り込むためにPC設定のお手伝いなどもしていました。すると、飛ぶように売れていきました。

飛び込み研修期間中に、当時の支店長からは「営業をやらないか」と声をかけていただきましたが、そこでもWillとCanのズレが生じていました。そこそこコンピューターの技術を持っているのでCanとして営業はできるけれども、若いうちに技術をさらに身に付けたいと考えていました。コンピューターの勉強は今まで独学でやっていましたが、NTT東日本に入社したことで、きちんと学べると期待していました。そこで当時の私は支店長に「私が支店の中で営業成績1位になったらコンピューターの勉強をさせてほしい」と交渉して、成績1位をおさめたときに支店長はその通りにしてくれたのです。

――若い頃に上司と配属先について交渉するのは中々できないことだと思いますのですごいですね!

里見:やはりWill(アート)とCan(コンピューター)がズレていて、自分がやりたいことをやっていないという自覚があったので、それならばせめてCanを伸ばしたいと思いました。本来やりたいことを諦めてCanに来ているので、それならばCanを磨こうという想いや覚悟があったということです。

配属されたNTT研究所には優秀な先輩たちがいました。中でも直属の上司である大高さん(現:NTT-AT)が非常に優秀な方で、その方にたくさんのことを教えていただき、エンジニアの基礎を身につけました。NTTの研究所なので、ネットワークの知識を身に付けなければなりません。私が持っていたタスクはOLT・ONUなどと言いますが、光回線の局側にある終端装置と家庭側にある終端装置の開発です。もともとは古い通信方式が全盛でしたが、私はそれをイーサネット(Ethernet)に変えていくという考え方を持つチームにいました。研究所内には、ATMという通信方式を推すチームもいたので、毎日のように議論をしていましたね。

新人研修で売上1位になることはできても、研究所内で1位になるのは到底無理で、まずは自分の上司を超えようと考えましたが、まったく敵いませんでした。研究所で働き始めてしばらくしてから“誰もやっていない技術領域にいけば1番になれるのではないか”と考えるようになりました。

そこで、注目したのが「映像配信」の分野です。当時、光ファイバーを使って大容量のデータを流していくことに関してはNTT全体として取り組み始めていましたが、まだ映像配信に取り組んでいる人はいませんでした。他の人がやっていないところ、小さい分野でもいいので、その組織内で1番になれないかと考え、それ以降十数年、映像のジャンルを追い求めました。それによって、目の前が晴れていくのを感じました。

――“1番になる”を目指すことが里見さんのモチベーションに繋がったということですね。

里見:はい。「アートで生きていきたい」ができていないので、充実感を求めた結果、“1番になる”にたどり着いたのだと思います。“誰もやっていない領域なら勝てる”という発想が生まれたのは単純に、「大容量の通信」という会社として求めているところと、自分がやりたいことの折り合いをつけたという感覚です。単に突飛なことをやろうとしていたわけではありません。

NTT研究所には3年間在籍し、その後はNTT東日本の研究開発センターに異動しました。合わせて10年くらいですね。NTTの研究所もNTT東日本の研究開発センターも同じ部長でしたが、その部長が私の希望通り、映像配信など新しい技術に関わらせてくれました。常にアメリカや世界で何が流行しているかをキャッチし、それらをNTTの事業として取り入れられないかを考える仕事に従事しました。とにかく最先端のテクノロジーを常に追いかけていましたね。とても勉強になりましたし、本当に楽しかったです。

仕事の中身は面白かったですが、エンジニアという点で見ると、世の中のエンジニアに比べて自分で手を動かすことは少なかったです。当時は開発をするよりも社内手続き等が多かったので、希望していたテクノロジー分野には関われるけれども、自分で手が動かせないという不満は抱えていました。

――そこから里見さんはどのような行動を起こしたのでしょうか。

里見:実は研究開発センターでの最後の3年間は辞める準備をしていました。お世話になった部長も人事異動することがわかっていましたし、年間数億円の予算を使って研究開発をしていましたが、自身の担当していた研究開発の予算は年々減っていました。そんな時期に“違うことをやろう”と考えました。そして何を思ったか30代半ばから働きながら司法試験を目指して勉強を始めたのです。士業の中でも、どうせなら高みを目指そうと。目の前に難しい課題があるとやりたくなる性格なのです。

私は最新のテクノロジーを組み合わせるのは得意ですが、反対に、1人のエンジニアとしてプロダクトを作るということは得意ではないので、それならば違うことをやった方がいいと思いました。法律や制度などはどちらかと言えば苦手でしたが、なぜ苦手なのかを考えていたら、司法試験を目指していました。でも、結局、それも難しかった。アーティストにはなれない。エンジニアとして一番にもなれない。法律家にもなれないという3つの挫折を経験しました。

その後、研究所からビジネス開発本部に異動することになるのですが、その間、3年間は支店で勤務していました。その3年の間に技術は大きく変わっていて、“これからはクラウドだ”と思った途端に、クラウドのテクノロジーがとても面白く感じ、初めてパソコンを手にしたときと同じような“これは未来を変える”という感動がありました。
会社の経費で出張行くことができなかったため、年に一度ラスベガスで開かれるクラウドのイベントに自費で40万円ほどかけて海外出張しました。そして「これからはAWSだ。クラウドの世界に突き進もう」と思い、ひたすらにやってきて今があります。

その後は、NTT東日本ではじめて、AWSを使ったサービスを開発しました。今でこそみんなAWSを使っていますが、最初は「なぜクラウドを使うのか」と反対されたものです。しかしコミュニティに参加してAWSの素晴らしさを知り、これを使わなければNTTのためにもならない、絶対に使うべきだと信じて突き進みましたね。

――クラウドに対して「初めてパソコンを手にしたときと同じような感動」と仰っていましたが、具体的にどんな所がすごいと思われたのでしょう?

里見:自作パソコンを作ったときに思ったのは、普通であれば大企業が作ったものは高価で中々買えませんが14万円ほどの予算で自ら作ったことで、一個人が大企業に勝った感覚になりました。お金を持っていなければコンピューターを持てないという現実に対して、自分が勝利したという感覚です。さらに自分用にカスタマイズしたものが作れるので、大きな力に勝てたという感覚になりました。

そしてクラウドの面白いところは、それまでのシステム作りは大勢のチームが必要でしたが、クラウドなら1人でも作れるところです。データセンターを借りてそこにサーバーを置いて回線を引くとなると資金が必要になりますが、クラウドであればそんなことをしなくても、ネット上に好きなようにシステムを作ることが可能です。まさに自分がスーパーマンになったような感覚になり、クラウドを使えば大きな力に対して1人でも戦っていける世の中になると思いました。1人1人のエンジニアの力がより発揮できる世界になると確信し、とても興奮したものです。

当時は私のチームは3~4名ほどでしたが、少人数で世界と戦うためにはクラウドを武器にしなければ無理だと思いました。私は0→1が得意で誰もやったことのないことばかりを挑戦してきましたが、活動を続けるうちにようやく会社の中でもクラウドが普及してきて1→2、2→3のフェーズに入っていました。そうすると会社の中における私の役割が無くなってきたので、再び“そろそろ辞めようかな”と考え始めた時期でもありました。

――そのご経験がネクストモード社の設立につながっていくのですね。

はい。一度初心に返ろうと、再び自費でラスベガスまで出張したのですが、ツアーで一緒になった韓国の方と話をしていても、同じようにAWSに対して可能性を感じていることが分かりました。私はずっと“NTT東日本ももっとクラウドを活用すればいいのに”と思っていたので、それならば自分で会社を作るしかないと考えるようになりました。

そして、帰国後、すぐ会社に直談判をしました。それまでは上層部の方が会社を作っていたケースが多かったのですが、私は当時、部長職で「会社を作りたい!」とボトムアップしたのは珍しかったと思います。そのタイミングで司法試験への挑戦は諦め、会社を作るための準備をはじめました。司法試験の挑戦は諦めましたが、法律や制度を勉強をしていたおかげで、登記の手続きはすべて自分で進めることができました。

――いったい何が、そこまで里見さんの心を突き動かしたのでしょうか。

里見:それまではNTTをはじめとする大企業の大半はオンプレミス環境を持っていたので、クラウド化のニーズが日本全国にたくさん眠っていると考えました。

また、結果的には良かったのですが、やはりオンプレミスからクラウド化を進めるのは非常に苦労したので、そこで蓄積した「大企業の中でどのようにクラウド化していくか」というノウハウは他の企業にも求められると思いました。実際にその経験が活きているので頑張った甲斐があったと、今は思っています。大企業にいなければ経験ができない手続きや壁がありますが、それはNTT東日本だけではないということを、ネクストモードを設立してから感じました。私はそれを会社内で経験できたことが大きいですね。

エンジニアのミッションは、新しい技術で世の中を良くしていくことです。そのミッションを考えると、私たちは新しい会社を作ることを通じて、技術で世の中全体に貢献できるという信念がありました。自作パソコンを作っていた頃は、“自分が良ければいい。自分のできることが社会に出ればお金になる”と考えていました。完全にCanしかありませんでしたね。

しかしクラウドビジネスを始めた頃、コミュニティの力もあったとは思いますが、それが世の中のためになるという使命感とともにクラウドが好きになりました。会社を作るときも、“これを日本に広めなければ日本が沈没してしまう”という思いがありました。社会貢献とリンクしてできる仕事であることが、人生をかけてやっていけることと繋がったのだと思います。

若いときによく言われたような「今、目の前にあることが辛くても、頑張っていればいつかは役に立つ」といったキャリア論がありますが、結果的に学生の頃に学んだ芸術論や哲学が、今のピープルマネジメントに役立っていたり、司法試験の勉強が経営に結びついているということはありますね。

――様々な苦労や経験を経て設立したネクストモード社ですが、どのような事業を展開されているのでしょうか。直近の取り組みなどもお聞かせください。

里見:我々は「クラウドで新しい働き方を」というビジョンを掲げています。クラウドが導入されていない企業は今も紙ベースだったり印鑑が必要だったりと、非常に非効率な働き方をしています。クラウドを導入することで、今までの事務処理など“仕事のための仕事”を無くしていきたいと思っています。

会社設立からの2年間で200社以上のお客様と契約していますが、それらはすべて、こちらから「クラウドどうですか」と押し売りしたのではなく、うれしいことにお客様からご依頼をいただいています。自動化できることはどんどん自動化し、もっとクリエイティブな作業に時間が割ける世の中にしていきたいですね。

また、私自身“ワーケーションの達人”と呼ばれ、日本全国様々な地域を巡っています。昨日も奄美大島から帰ってきたばかりですが、明日から青森に行きます。そのように各地を巡っていると地方の課題を強く感じます。最初は東京と同じやり方を地方にも導入すれば効率的になると考えていましたが、課題感のレベルが全く違っていて、東京のやり方をそのままインストールするという方法ではダメだということに気付きました。

――北海道阿寒郡鶴居村にて「クラウドを活用した働き方改革の推進」に取り組まれていますが、そこから得るものが大きかったのですね。

はい。最初は地方の方々に”中々クラウドが受け入れられない””理解してもらえない”と思っていましたが、決してそうではなく、地方ではリアルなコミュニケーションや物々交換など、GDPに反映されない特有のコミュニティ活動があり、それはクラウドが入らないほうがむしろ良い場合もあります。私はワーケーションで地方を巡っていて、自分の考えが間違っていたと気付きました。

北海道鶴居村での取り組みは利益が出ていませんが、地方の良さを活かしながら“どのようにしたら地方にクラウドが入れられるのか”に挑戦しています。
コンピューターの長い歴史の中で、仮にクラウドの到達点が10番目だとすると、我々は8番目あたりにいるお客様を10番目まで引き上げる仕事をしています。しかし地方のお客様などは2番目あたりにいる方が多いように思います。よってクラウドまでのステップがたくさんある状態で、必ずしも10番目まで引き上げなくても、現状が良くなることはたくさんあります。すべてを底上げするということではありません。経済合理性的にもクラウドを入れずにそのまま人がやった方が良い仕事もあるので、それを見極めなければなりません。

鶴居村の皆さんも、プライベートではQR決済など様々なイノベーションを享受しています。しかし働き方になると古い形のままでいるので、そこに気付いていただき、できるだけ良い世界観を見せることで、抵抗感がないように導入していければと思っています。

――ネクストモード社の今後の目標をおしえてください。

里見:クラウド(AWS)に関する設計や構築運用を中心とした事業を行ってきましたが、最近はそれだけでなく、SaaSの分野も盛り上げていきたいと考えています。我々にはSaaSだけで構築した社内システムがあります。コロナ禍ということもあり、我々が作ったシステムを使いたいというお客様からたくさんのご依頼を受けました。当初の事業計画の20倍にまで売上が膨れ上がりました。次年度もさらに売上を伸ばし、SaaSでビジネスを展開した方が良いと思えるまでに成長しました。
コロナ禍で、急いでリモート環境を整えた会社が、本格的にクラウド化をしようとなった時に、コストを抑えながら利便性を上げるためにはSaaSの選択肢が有効です。そのため、SaaS分野でもお客様にもっと良い働き方を提供していきたいと思っています。

――ありがとうございます。これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

里見:エンジニアは少なくとも、非エンジニアに比べれば技術的なアドバンテージを持っています。決まっている要件しかできないエンジニアにはならないようにしましょう。その上でさらに求めるのは、目の前にいるお客様に今のテクノロジーをどのように当てはめていけばベストなのかということを、お客様の気持ちになって考えることです。私も地方に行き始めた頃はそれができてはいませんでした。その場所での課題に対してフィットさせる柔軟性が重要です。

アメリカでは技術だけでなく、経営も含めてその技術をどのように使っていくのかまで考えられる人が一流のエンジニアと呼ばれます。技術の活かし方も含めて考えられるようになると、エンジニアとして一皮むけると思います。私にとってのワーケーションも、クラウドという技術をどう活かしていくかという考えの幅を広げさせてくれたという意味では、とても良い出会いがありました。

頭の良い人は実際にワーケーションなどに行かなくても、新聞等を読むだけで分かるのだと思います。しかし私はずっと東京に住んでいたこともあり、地方の現状が分かりませんでした。私は新しい技術にばかり興味があり、地方の現実まで想像力が及ばなかったのですね。ワーケーションの良いところは、その現実が目の前にあることです。地方では極めてローテクなことが行われているので、そこに対して私たちのような、少しでも技術を持っている人間ができることはたくさんあります。

私も若いころは自分の技術を上げることで手一杯でした。司法試験に挑戦しているときも、自分に技術を身に付けたいと思っていました。若いころはとにかく自分の力をつけようと思って勉強してきましたが、若いエンジニアは社内の事務処理に追われずに、技術を深掘りしたり、持っている技術をボランティアに活かしたりなど、そういうことができればいいと思います。私たちがクラウドを推進することにより、エンジニアたちがもっとポジティブに前向きに世の中に貢献できるようになると信じています。

私がエンジニアの皆さんに伝えたいことは2つあります。
1つ目は、若いころにおかしいなと思ったことは、やはりおかしいのです。例えば印鑑をたくさん押すことや、大量に紙を使うことなどですね。大企業では、スタンプラリーのようにたくさんの人の決裁を仰ぐ必要がありますが、ネクストモードでは1つで済む仕組みを作りました。そのように、若いころにおかしいと感じたことを、エンジニアであれば是非テクノロジーを使って変えていってほしいですね。

反対におかしいと感じたことでも、よく勉強してみるとそうでなかったこともあります。しかしそれに気付けたのは、最初におかしいと感じて、それがなぜおかしいのかを考えたからです。気になったことはずっと持ち続けて、それを技術で変えて欲しいと思います。

2つ目は、萎縮している人が多いと感じています。本当にやりたいことがあれば、「会社が認めてくれないからできない」ではなく、自分で行動してみましょう。
「ワーケーションが会社で認められないからできない」と聞きますが、その旨が就業規則に書いてある会社はほとんどありません。書いてないことは上司の許可を取ればよいというのが運用上のルールですが、多くの人が「書いていないからダメ」という方向に持っていきます。しかしそうではないので、もっとチャレンジすれば良いと思います。常識だと思っている壁は意外と常識でないこともあるので、どんどん突破してほしいですね。

――貴重なお話をありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

クラスメソッドの横田聡社長をご紹介します。会社を設立してから10年くらいの間、さまざまなご経験と苦労をされてきた方です。その経験話はとても面白いですし、本人もエンジニア出身で、バリバリ、コードを書いていた人です。エンジニアが経営をするという視点でのお話をぜひ聞いてみたいですね。

以上が第34回ネクストモード株式会社 代表取締役社長の里見 宗律さんのインタビューです。ありがとうございました!

今後のストリートインタビューもお楽しみに。

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)

▼ストリートインタビューのバックナンバーはこちら