【連載29】ドローン開発の最前線、PRODRONE橋本氏が語る開発現場の裏側

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こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、株式会社SkyDrive取締役 CTO岸信夫さんにインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第29弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象には必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

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“今気になるヒト”岸さんからのバトンを受け取ったのは、 株式会社プロドローン(PRODRONE)橋本寛之さん。

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橋本 寛之 Hiroyuki Hashimoto /  株式会社プロドローン 製品部 部長
2002年京都大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻修了。三菱重工業にて、ミサイル防衛システムの開発などに17年間従事。その間ジョージア工科大学にてM.S. in Aerospace Engineering 取得。2019年6月にPRODRONEに入社。2022年1月から現職。

 

――ご紹介をいただいた岸さんから『私と同じく三菱重工出身でもあり、同じように苦悩しながら頑張っていらっしゃる。大企業と小さな企業の違いや、良いところ、悪いところなど、リアルなお話を聞けるのではないでしょうか』と推薦の言葉を頂いております。まずは、現在の橋本さんを形作る原体験をお聞かせください。

橋本氏:本格的に無人機やドローンの世界に興味を持ったのは、大学院への進学を決めたときです。大学では、ぼんやりとした憧れを持って航空宇宙工学の勉強をしていましたが、研究室に配属されるタイミングで、制御系、すなわちモノを動かすことの面白さに気づきました。その研究室は、従来人が無線操縦し農薬を散布しているヘリコプターを自動で制御するための研究をテーマにしていて、自分が考えた制御のロジックで無人機が動くことが面白そうだと感じたのです。ちょうど私が研究室に配属された時期に企業と共同で火山の噴火の観測を行ったりしていて、研究が研究室の中だけで終わらないことも魅力的でした。

私が当時興味を持って取り組んだのは人工知能の分野でした。現在では主流のディープラーニングという手法が広く用いられるようになる10年以上前になりますが、ニューラルネットワークをテーマに、まるで人が考えているかのように、“無人機自体が自分で考えて飛ぶ”ことを研究していました。

無人機であっても、落下せずに飛んで欲しいので、例えば急に風が強くなっても、自分で制御を変えていくような適応制御と呼ばれる分野を研究していたのですが、単に机上で検討するというよりは、自分が設計したプログラムが自分の手を離れて、自らの意志で環境に適合しながら動いていく点に魅了されました。とはいえ、当時はもちろん、今でも実用化できたものはなく、研究題材としては良くても、製品として組み込むのはやはり難しい、そんな技術でもありました。

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研究テーマがすぐに製品に結びつくのは難しいとわかってはいましたが、引き続きその道に進んでいきたいとは思っていました。そこで大学院卒業後に三菱重工に入社。愛知県の小牧にある事業所に配属になり、退社するまでの17年間、大半の期間でミサイル開発に携わることになります。

ミサイルと聞いても、すぐに“無人機”というイメージに繋がらないかもしれませんが、実はミサイルは自らを制御しながら飛んでいきます。私が担当したのはミサイル防衛といわれる、“ミサイルを落とすミサイル”ですが、飛んでくるミサイルを、そのミサイル自身が見つけて迎撃。人が遠隔で操縦するものや決められたとおりに飛んでいくものとは大きく違います。

防衛のための新しいミサイルを開発するプロジェクトに参加する中で、実際には全体のプロジェクト管理やマネジメントを担当することになります。お客様と仕様調整をする、技術営業のような立ち位置で“システム”全体の設計をするという役割を担っていました。ひとつの例ではありますが、地上から発射するミサイルシステムの場合は、まず地上のセンサーが相手を見つけて、情報をもらったミサイルが飛び、今度はミサイルが自ら相手を見つけます。

この “システム”とは、地上の装置やミサイルそのもの、ミサイルの中の相手を見つける部分など様々な要素から構成されるもので、その要素間の性能や機能を配分し、それぞれを担当するスペシャリストの方が力を発揮しやすくするために全体をマネジメントする必要があります。いわば、本当に突き詰めて深いところを開発していくエンジニアと、どういうことができるのかが明確になっていないお客様の間に立って、そこを取り持つような役割でした。

 

――ミサイル開発に必要な技術要素というのは非常に多岐にわたっているような気がします。橋本さんのお立場では、どのような知見が必要だったのでしょうか。

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橋本氏:どちらかというと、広く浅い知識が必要になると思っています。“広く見る”ことが私の中では一番大事で、その代わりに浅くしてもいいところと、やはり深くしないといけないところを、メリハリつけて把握する必要があります。深い知識が必要であれば、やはり専門家に聞けばよくて、自分で全部を理解しなくても、大事なエッセンスだけを引っ張って、全体を見られるようにするのが重要だという感覚がありますね。周りの専門家を信頼する、私にはできないことができる人たちを信じなければ、全体を見ることはできないと思います。

 

――17年間も在籍された会社からの転職をされましたが、かなり勇気がいるかと思います。そのきっかけはどのようなものだったのでしょう。

橋本氏:三菱重工に在籍していた時に、2年間ジョージア工科大学に留学。そこで無人機の研究をする機会をもらいました。外の世界に触れたことはとても新鮮でしたし、大きな刺激を受けました。

先ほど、私の仕事は“深く掘り下げずに全体を見ること”と説明しましたが、やはり長年、興味深く追い続けてきた制御という領域を掘り下げていきたいという気持ちがあったのは確かです。そしてジョージア工科大学の留学を経験し、その思いを再認識しました。帰国後、以前と同じような仕事を継続しつつ、留学経験を生かす機会をもらうことになったのですが、それがドローンの研究開発で、そこで知り合ったのが現在のPRODRONEの副社長でした。

私が留学した2009年当時のドローンといえば、防衛産業や軍事産業、航空宇宙産業が中心ではあったものの、少しずつホビーでも使われるようになっていました。現在では主流になっている4枚羽根のマルチローターが広まり始めたのもその時期ではないでしょうか。それをきっかけに敷居が低くなり、一般の方が触れる機会も増えてきていました。

また、留学中だった2011年に東日本大震災が発生。当時、私が所属していた研究室の教授が、「研究室の無人のヘリコプターを持っていって被災地周辺を調べたりできるのではないか。自分の技術が使えるのだったらすぐにでも協力したい」と話していたのが印象に残っています。

実際に調査に持っていくことはなかったのですが、その時に私は、ドローンの可能性を感じました。帰国後、会社からドローン開発だけでなく、ビジネスモデルを考えるミッションを与えられたときに、警備や災害対応という場面で、人が入っていけないような危険な場所でドローンが使われるような、社会貢献度の高い事業に発展させたいという想いが湧いてきたのです。

その後、東京の本社に異動になり、無人機を活用した事業アイデアを練っていたのですが、そこでまた様々な大学や外部のメーカー、ベンチャー企業の話を聞くという刺激的な機会をもらいます。3年間でその部署から再び小牧の部署に戻り新しいプロジェクトの立ち上げに携わることになるのですが、このような分野で新たな事業となると開発開始から完了まで10年、15年という期間を要します。

留学期間を含めた大学での研究や東京での経験などを思い起こしたときに、本職ではないにせよ、これまでずっと携わってきたドローンをメインの職業にしてみたい…という思いがふつふつと沸き上がりました。保守的な私にしてはかなり思い切った判断だったのですが、そこでPRODORNEの門をたたいたのでした。ドローン自体、ビジネス的にもどこまでいけるのかは未知数ではありましたが、どこかで“何とかなるかな”みたいな楽観的なところもありましたね。

 

――御社は、ドローンという技術を使って、どのような価値を、世の中ないし地域に提供していきたいとお考えなのでしょうか。

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ドローンがわかると未来が見える「PRODRONE.tv」第5回|https://www.youtube.com/watch?v=hSgxl7enZGE

橋本氏:2021年3月31日に弊社のビジョンが「地域から一番信頼されるドローンカンパニーになる」にかわりました。これは、もっと身近なところに目を向けて着実に、一歩ずつ事業を進めていくということで、まずはこの地域の中で、“あってよかった”と思われるような会社でありたい。その“地域”というのは、この会社の周辺や、名古屋や愛知県というレベルから、日本やアジアという広がりを見せて最終的には世界に広がっていく、そんな形で会社が発展していければという思いが込められていると理解しています。

また、ドローンといえばこれまで、“ドローンは何ができるのだろう?”という可能性を探りながら実証実験を繰り返してきたイメージがありましたが、徐々にではありますが、今は物資輸送や災害時対応など、本当に“人々が困っているときに役に立つもの”という役割が確立しつつあります。そういった“社会貢献性の高い企業が地元にある”と、誇りに思ってもらえるような会社になりたいという思いもあります。

 

――製品部長としての役割はどういうものなのでしょうか。その仕事を全うするためにどういった工夫をしているのか教えてください。

橋本氏:製品部は2022年1月にできたばかりの部署です。去年までは、基本的には当社のエンジニアのほぼ全員が開発部に所属し、ドローンの開発を行っていました。しかし会社の成長フェーズが変わり、プロトタイプの開発や実験を繰り返す段階から、量産を目指す段階へと移行しています。そのためには決して尖ったものではなく、同じ品質のものを安定して作る必要が生じており、その量産化に向けた土壌を作るのが、私たち製品部の役割と自覚しています。

まずはこの1年ほどかけて、社内の体制作りを進めています。プロセスも含めてドキュメントや書類を残し、根拠をデータ化して行う、何かを変更する際にも、変更するためのプロセスを経るなど、地道で地味な取り組みです。

しかし、それは非常に重要なことでもあります。品質を担保するのは人ではなく、体制や組織なのだといえるような形にしなければなりません。そして、会社の文化となりうる生産体制や品質管理体制を構築する必要があります。そのためには、ドローンの開発そのものを行うエンジニアだけでなく、全体のマネジメントを行うプロジェクト管理や営業部門、調達部門、さらには経理部門・総務部門なども含めいわゆる「裏方」の重要性も全員が認識したうえで全社が一体となった取り組みが必要です。しっかり地固めをしなければ、次のフェーズに進めることはできないのではないかと考えています。

体制を作っていく道筋は企業や組織によって様々あるとは思いますが、私たちはまず、理想のあるべき姿は何か?を考えるところからはじめています。ただ、当然、理想論だけを述べても、人がついてこられないのであれば意味がありません。そういう難しさもあるので、理想はありながらも、“今のこの会社に合った形は何だろう?”というものを模索しながら考え、実行し続けているという感覚です。三菱重工時代に、多くの専門家をまとめる仕事をしてきた経験が、ここで活かされているように感じています。

 

――貴社にはどのような技術者がいて、どのような開発をしているのでしょうか。また、どのような点に仕事の面白みを感じているのか教えていただけますか。

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橋本氏:まずはハードの設計をするハードウェアエンジニアがいますが、大きく機構の設計をするメンバーと、電装品・電子機器の電子装置設計の担当者とに分かれます。もちろんソフトウェアエンジニアもいます。さらに実際にドローンを組み立てる製作メンバーや、実際にドローンを飛ばせるスキルを持つメンバーもいます。

ハード、ソフト、製作、そしてフライトなど各分野の専門家が在籍しているのですから、かなり恵まれていると思っています。ドローン本体も作って、ソフトも自前で開発するという会社は、日本ではあまり見かけません。そこが三菱重工時代の私から見て、かなり魅力的な部分でもあったと、今更ながら感じています。

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――ハードもソフトも一貫して開発できることの強みはどこにあるのでしょう。それはどのような影響があるのでしょうか。

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「過疎地域に冷蔵食料品3kgをドローン配送」https://www.prodrone.com/jp/release/7972/

橋本氏:やはり、スピード感が違います。私自身、元々ソフト側の人間だったのですが、どれだけソフト開発を頑張っても、ハードを開発する人がいなくては実験もできません。飛ばせる人がいなければ、飛行確認もできません。開発中であれば失敗する可能性があるので、操縦士も何か危険な場面に遭遇した時に回避できるようなスキルを持っていないと安心して実験もできません。そのスピード感は専門家同士の一体感の中から生まれますが、さらに実験の中で、それぞれの専門分野で気付いたことや問題点のフィードバックも早くなるという点も影響していると考えられます。

とにかくメンバーの技術レベルも高いですし、思い切りもいいですね。“とりあえずやってみよう”という空気があります。そして皆、経験が豊富ですね。この会社に来て思ったのは、やはりドローンが好きで、本当にいいものを作りたいという思いを持っている人が集まっているということ。それが“強さ”なのだと思います。

ドローンは、決して完成された製品ではありません。まだまだ技術的な開発改善や発展の余地も当然ありますが、今後は、どんな状況にあっても本当に安心して使えるレベルに引き上げていくことが重要になります。激しい雨風があっても、災害救助用として使えなければ意味がないのですから。また今年は、有人地帯での目視外飛行(レベル4)が解禁されるという話もありますが、それほど簡単なことではありません。

現在のレベル3というのは、基本的には、下が無人地帯の上空を指します。すなわち、万が一の際にも落ちても下には誰もいないから、“安全に落ちる”ことが許容されていると言えます。それがレベル4、すなわち“落としてはいけない”という世界に変わるのですから、そこは相当大きな変化が必要となります。

同じ品質のものを量産しなくてはなりませんし、これまでやってきたことを大きく変えなくてはなりません。それは製品の話だけでなく、先ほど説明したように会社としての体制やプロセスも根こそぎ変えていかなければ、レベル4の世界観については行けないということです。徹底的に変えていかなければ、国が作っている規制に適合できないのではないかと、今は非常に高いハードルを感じています。

 

――単純に、“テストを何百回もしたから大丈夫ですよね”で済む世界ではないということですね。

橋本氏:例えば「4000回飛ばして大丈夫でした」というのは、それはそれで一つの大事なクリアすべきポイントなのですが、それがたまたまではなく、会社として必ず担保できる体制になっていることを、きちんと示していかなければなりません。しかし、往々にして弊社のようなベンチャーだったり、開発好きな人たちが集まっている会社にとっては、正直苦手な世界だったります。そこを私がカバーしながら、量産化、実用化を進めていければと思います。

先ほども説明したように、これまで実験的な要素が強かったドローンを実用化、しかもホビーではなくて、誰もが仕事の一部やサービスの一部として活用していく、そんな世界を目指しています。その第一歩としてやはり、私にとって最初のモチベーションにもなった災害地や危険な場所、人の命を救う場面で活躍できるようにしたいという思いがあります。それは、ドローンでなければできない仕事です。“ドローンがあって助かった”と思われるような世界にしていきたいですね。

 

――ありがとうございます。最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

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橋本氏:私自身、すごく高い目標をずっと持ち続けるのはあまり得意ではないのですが、ただ、例えば“ドローンで何か人の役に立てるようなことをしていきたい”というような、一つの大きな目標は持つべきだと思います。

しかし、私の場合、ずっと上を見続けていると、“何をやったらいいのか?”とわからなくなることが結構多いので、その目標のために大きな道筋を考えつつも、毎日は、日々の仕事を地道にやっていくよう心がけています。コツコツ続けているうちに結果として、どこか高いところに行っていた、地道に一歩ずつ進んでいたら、結果的にうまくいっていた、みたいなことでいいのかなと思います。ただ足元だけを見続けていると、どこに向かっているかわからなくなりがちなので、何か大きなゴールは、常に意識しておいた方が良いかもしれません。

 

――それでは、次回の取材対象者を教えてください。

橋本氏:KDDIスマートドローン株式会社で、社長に就任されたばかりの博野雅文さんをご紹介します。今はまさに、ドローンが事業や社会に受け入れられるフェーズに来ている、非常に大事な時期だと私も感じています。スマートドローン株式会社は、KDDIのスピンオフ的な会社といえますが、それをこの時期に立ち上げ、ドローンが社会に受け入れてもらうための最前線で活躍される方です。私はどちらかというと技術側から、前面で社会とのインターフェースを取る方を支えているつもりですが、その最たる場所で活動されていく博野さんに、色々なお話を伺っていただきたいと思います。

以上が第29回のインタビューです。橋本さんありがとうございました!

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)