【連載25】“保育をハック”し技術で社会貢献する、ユニファCTO赤沼氏が目指す保育×DXとは

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こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、ミイダス株式会社CTO大谷 祐司さんにインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第25弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

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“今気になるヒト”大谷さんからのバトンを受け取ったのは、ユニファ株式会社取締役CTO赤沼 寛明さん。 

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赤沼 寛明 Hiroaki Akanuma/ユニファ株式会社 取締役CTO 
エムスリーやNubee Tokyoでの開発業務を経て、2015年にユニファ東京オフィスの立ち上げ時に入社。ユニファの開発体制を構築し、様々な新規サービスの立ち上げにも関与。
現在は同社取締役CTOとして、機械学習・深層学習をメインとした研究開発チームを含むシステム開発チームを統括。

 

――ご紹介いただいた大谷さんから『プロダクトや組織への熱い思いを持っており、技術にも明るい。とても尊敬しているCTOです』と推薦のお言葉を頂いております。現在の赤沼様を形作る原体験からお聞かせいただけますでしょうか。

赤沼氏:技術に対する興味の芽生えは高校生の頃だと思いますが、その前から自宅には父のパソコンがありました。私が小さい頃は、父が本を買ってゲームなどを作っていて、それを隣でみていました。

高校卒業してから、家にあったパソコンを使ってプログラミングというほどではありませんが、自分たちが活動していた劇団やダンスチームのサイトを作っていました。当時はあまり作れる人がいなかったので、私が試しに作ったという流れでした。当時は今のようにフロントエンドが複雑ではなかったので、HTMLを1枚書けば動くという世界。黎明期のWebサイトなのでとてもシンプルな内容でしたね。パソコンときちんと向き合ったのはそれが最初だったと思います。

高校卒業後はコンピューターサイエンスについて専門的に学ぶということはしておらず、芝居の専門学校や養成所に通っていました。23歳頃まではずっと芝居をしていましたが、“やっぱり就職しよう”となり、何をやるかを考えると、昔からパソコンが好きだったので何となくコンピューターを使える仕事がいいだろうと、未経験でも入れる会社を探して応募しました。その頃は、開発が何かもまったく分かっていませんでしたね。

最初に入ったのはSESのような会社だったので、開発というよりは運用や保守をメインに行っていました。最初に配属されたのは、当時のJ-PHONEのメールシステムの保守を24時間体制で行うチーム。入社後は最低限の研修を受けただけで現場に行きました。アラートが出ると保守に連絡が入るので、一次調査をして、調査が必要なものであれば開発の人にエスカレーションするという仕事でした。

大した知識もありませんでしたが、目の前のお客さんのことを考えて必死にやっていました。技術的なこともそうですし、コミュニケーションの取り方についても経験があったわけではないので、どうやって仕事をしていくのかも含めて必死に取り組み、何とか食らいついていきました。

入社した頃は何もわからなかったので、ただコンピューターの仕事ができればいいなと考えていましたが、いざ現場に入ってみると「保守」の中でも開発ができるか、または運用保守のみかによって将来性が違ってくることもわかり、“開発の方に行かなければ食べていけなくなる”という危機感を募らせていきました。そして開発者になるために、独学でJavaなどの勉強をはじめました。その後会社のサポートもあり、開発寄りの案件にもアサインしてもらうようになりました。

 

――入口としては入りやすい会社でしたが、自分が勉強をしていく中で成長するには小さく、拡大していかなければならないという感覚になったということですね。

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赤沼氏:そうですね。1社目は、未経験でも運よく入れたという感じですが、2社目以降は、しっかりキャリアを積めるところに行かなければと考えました。最終的に自社サービスを持ち、しっかりとした開発組織があること、技術力の高い人たちと仕事ができるという軸で選び、エムスリーに入社しました。今思えば大したバックグラウンドがあるわけでもなかったのによく入れたなという感じですが、後から聞いた話によると、どうやら資格を取得していることなど自分できちんと勉強をしてキャッチアップしている点を評価してもらったようです。

当時から、学び続けることは大切だと思っていました。なぜなら私はスタートが遅く劣等感があったためです。自分よりも長くコンピューターに携わってきた人たちの中に異業種から飛び込んでいったので、どんどんキャッチアップしていかなければ、それこそ食べていけなくなると思っていました。もちろん面白いからという理由で熱中している部分もありましたが、どちらかというと、劣等感やコンプレックスで追い立てられていた部分が大きかったかもしれません。

エムスリーに入ってからは、とにかく能動的に、そして主体的に動くことを意識し、どこに重点を置くのか、どうすればミスが起きないのかというのは常に考えました。新しいサービスを開発する中で、社内に何でも聞ける人がいるわけではなかったので、自分で責任を持ち、障害が起きても自分で何とかしなければなりませんでした。プレッシャーでもありましたが、技術力という意味では、とても身に付いた環境だったと思います。

その後、ソーシャルゲームを開発する会社へエンジニアとして転職。エムスリーを選んだ理由は、技術力を磨ける点、医療に関係しているということで社会貢献性が高いという点にも惹かれていました。しかし、ユーザーから直接フィードバックをもらえるわけではなかったので、自分が作ったものが現場でどのように役に立っているのかが分かりませんでした。そこで直接的にエンドユーザーから反応が得られる世界に行こうと考えました。

ここではじめてマネジメントめいた仕事を経験することになります。あるゲームでは私がサーバサイドエンジニアのリーダーを担当することになり、マネジメントするというほどではありませんでしたが、他のメンバーを主導して開発を進めていました。

業界的にも、技術だけではなく、開発プロセスも重視されるようになっていました。そうすると、良いプロダクトを提供するためには単純に技術だけではなく、どのようなプロセスで進めていくのか、どのようなチームで行うのかという点もフォーカスされるようになります。私も本を読んで勉強しながら現場での試行錯誤を繰り返していました。技術力に対してそこまで自信がなかったので、もちろん技術を追いかけつつもマネジメントに近いことをやっていかなければ、勝負できないと考えていました。

繰り返すようですが、学び続けなければ置いていかれる、という意識をずっと持ち続けていました。今は開発現場から離れてしまっていますが、自分で開発をしていた頃は一旦離れてしまうと追いつかなくなるので、ずっと技術に触れていなければならないという危機感からマネジメント専門という立場になるのには抵抗がありましたね。

 

――では、その後、ユニファへ転職したきっかけはどのようなものだったのでしょう。

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赤沼氏:ソーシャルゲームでは高い技術力を要求されてとても勉強になりましたが、やはりサービスの性質上、“いかに課金してもらえるか”を考えなければなりませんでした。そうではなく、自分は人の役に立っている実感を得られるほうが意義を感じられるタイプなのだと自覚していきました。

これまでの経験から、キャリア的にもある程度自分がリードできる現場が良いだろうと考えていました。マネジメント専任のポジションを求めているわけではありませんが、自分が主体的に引っ張っていける現場を希望していました。

ユニファは当時最初のサービスをユーザーに提供していて、まだ正社員のエンジニアが1人もいない状況でした。代表が直接、コワーキングスペースに出向き、フリーのエンジニアに声をかけて立ち上げたこともあって、開発組織としては全く整っていない状態でした。会社としてもこれからきちんとした組織を作らなければならないというフェーズで、正社員のエンジニアを必要としていたのです。

また、将来的にはCTO候補として、プロダクトを作りつつチームの立ち上げもしてほしいという話もありました。事業も社会貢献性が高いですし、会社のフェーズも立ち上げに関わるので裁量が大きな仕事ができそうだと思い、チャレンジをしたいと思い入社を決めました。

 

――未知な部分も多く、未経験な職務でもあったかと思います。とても思い切ったチャレンジングになったのではないでしょうか。 

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赤沼氏:そうですね。ただ、ベンチャー企業に対する抵抗感はまったくなく、むしろ小さい会社の方が良いと思っていました。ユニファで特に惹かれたのは、現場で自分の裁量でできるという点と事業の2軸です。

2015年2月に入社をして、2016年にCTOに就任しましたが、とくに自分の中で変化はありませんでした。CTOは役員ですし、経営陣の1人ではあるものの、メンバーから“偉い人”だと思われたくなかったので、CTOになっても今まで通りやっていこうと伝えていました。

今考えると、求められていることとは違っていたと思いますが、当時は経営についての勉強もしていませんでしたし、CTOの人脈もなかったので、CTOに求められるものが分かっていませんでした。開発をリードする延長線上でしか考えていませんでしたね。

ところがメンバーが増えてくると、開発以外でミーティングなどのタスクが増え、私自身がボトルネックになってしまうこともありました。メンバーからは「赤沼さんはそろそろ、コードを書かない方がいいのではないか」と、批判ではなく、役割としてそうした方がいいという進言がありました。私としてはずっと技術に触れていたいという思いもありましたが、全体最適を考えてマネジメントやチーム運営にシフトした方がいいと思い、割り切ることにしました。

当時はまだプロダクトマネージャーもいなかったので、新しいプロダクトを作っていくときに要件定義をする人も明確ではありませんでした。最初のプロダクトは代表の強い思いのもと進めてきたので、開発の部分にも代表が入っていましたが、ずっと代表が入っているわけにもいかないので、2つ目のプロダクトでは私がマネージャーのような役割を担いました。

 

――肩書に自分をはめていくのではなく、赤沼さんは現場で求められていることを実際にやって、気づいたらそういう肩書になっていたという感覚ですね。

赤沼氏:現場主義だと言われればそうだと思います。そもそもCTOの役割は会社によって違いますし、共通のイメージもないと思います。最近は様々な場面でCTOについて語られるようになってきたので、大分イメージができるようになったかもしれませんが、私がCTOになった当時はまだよく分かりませんでした。技術力が求められるのか、経営力が求められるのかがよく分からなかったので、CTOの繋がりを作ろうと積極的に集まりに参加をすることにしましたが、ずっと模索していたという感覚ですね。

今となっては、CTOは経営を理解する必要があると自覚しています。技術力があるのは当然ですが、社内の誰よりもできる必要はありません。しかし、経営陣の誰よりも技術を分かっている必要があり、いかに経営の視点で技術を判断していくか、数字なども理解しなくてはなりません。その上で事業計画を考慮して、どのような技術を使うのか、どのような組織にしていくのかを考える役割です。まだまだそれについては勉強中の身分ではありますが(笑)。

 

――現在取り組まれているテクノロジー×子育て、テクノロジー×保育の領域において、どのようなスタンスで、どのような価値を提供しようとお考えでしょうか。

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赤沼氏:弊社は、“家族の幸せを生み出すあたらしい社会インフラを世界中で創り出す”というPurpose(存在意義)を実現するために設立された企業です。中でも、保育に重点を置いているのは、乳幼児がいる家庭にとって、保育施設が果たす役割がとても大きくなっているからです。しかし同時に、そういった施設は多くの課題を抱えています。今は保育施設を利用される方が増えているにもかかわらず、保育者の数は足りていません。保育施設は働く人にとっては無くてはならない社会インフラになっていると思うので、その課題をどのようにして解決するのかというところに繋がっています。

当然のことながら、保育者の方が力を入れたいのは子どもたちの保育です。そこで我々のプロダクトを活用して、効率化をはかってもらう。それによって捻出できた時間で子どもたちと対面する、本質的な業務に注力していただける環境を整えることで、全体的な保育の質を上げていけると考えています。

ルクミーというサービスは、保育に関する様々な業務をDXしていくものですが、単純に業務を効率化するだけにとどまらず、付加価値の提供を意識した設計になっています。

例えば「ルクミー午睡チェック」というプロダクトがあります。保育者の業務にお昼寝(午睡)中の見守り業務がありまして、保育全体に言えることですが、アナログに業務が行われていて、保育者が5分おきに子供の身体の向きを確認してチェックシートに書き込み、もしうつぶせ寝になっていた場合は仰向けに直します。

そこで我々のプロダクトと専用デバイスを使っていただくと、センサーで身体の向きを検知し、チェックシートが専用アプリによって自動で作られます。もし途中でうつぶせ寝になってしまった場合は専用アプリによってアラートが鳴るので、その時点で保育者の方に気づいてもらえるようになっています。今までのアナログのやり方に比べると業務効率が上がりますし、それだけでなく、目視とICTでダブルチェックができることで、保育者の方の精神的な負担を軽減させることができます。

また、プロダクト単体の付加価値もありますし、データを連携していくとさらにサービス全体で付加価値を高めていくことができると思っています。

たとえば、ルクミーフォトを連絡帳に連携させるとその日の様子が分かるドキュメンテーションをつくることができます。ドキュメンテーション自体はデジタルである必要はありませんが、最近の保育業界のトレンドとして、子どもたち1人1人に合わせた発達発育のサポートが求められるようになっています。

今までは保育者の方が写真を切り張りしてストーリー仕立てにして、手書きで子供の情報を書き加えたものを保育者同士や保護者と共有していましたが、それもICT化することで効率化できます。ルクミーフォトの中で撮られた写真の中に、発達発育を示すような写真があったりするので、それをシステムから保育者の方に提案できれば、より保育の効率を上げることができます。将来的にはそのようなことも考えています。

最終的にはスマート保育園やスマート幼稚園なようなものができると思っていて、それによって社会課題にも貢献できると考えています。

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――このビジネスはかなり高い技術力が必要だと思います。貴社に所属するエンジニアの現状と、開発を進めるためにはどのようなスキルを持ったエンジニアが必要なのか教えてください。

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赤沼氏:業界自体がこれまでアナログな体質だったので、システムを提供してもすんなり受け入れてもらえるわけではありません。抵抗感を持っている領域に、いかにプロダクトを提供できるかということが大切なので、今までよりも手がかかってはいけません。手間を減らすことが理想ですし、最終的には自動化をして、保育者の方が何もしなくてもデータが蓄積されるということが理想です。そこにいかに技術で貢献できるかというのは、技術的な面白味でもあります。

そこにはIoTやAIなど、新しい技術を活用できる余地がありますし、それこそが大きな枠での面白味だと思います。そして、まだまだデータが不足している領域なので、データを蓄積していくことで、今後も発展が期待できるという期待があります。

弊社には、現在、50名ほどの開発メンバーがいて、サーバサイドエンジニアやモバイルエンジニア、QAエンジニア、プロダクトマネージャー、デザイナーなど様々な職種があります。職種が様々なので、1つの職種に対する人数は多くないですが、今はプロダクトの数が増えてきているので、複数のプロダクトを兼務しながら並行して開発しているという状況です。

我々はスタートアップなので、良くも悪くもカオスな状況です。誰がどこまでやるのかなど、きっちりと決まっているわけではないので、主体的に動ける方でなければやっていけません。関係する人を自分でどんどん巻き込んでいくこと、自分の領域の中でも改善するところがあれば、それに向けて動いていける方々が集まっています。

開発組織としては、数年前と比べると、プロダクト数やユーザー数、組織の規模などもかなり大きくなってきています。人数的には50人ほどなので、世間と比べると少ないかもしれませんが、連携も多く、いろいろなプロダクトを並行して開発しているので、いかにスムーズに開発ができる組織にしていくか、がポイントとなります。そのためにも1人1人が積極的に課題解決することにフォーカスし、熱量を持って取り組んでくれれば、スタートアップらしく開発ができる組織になると思っています。

 

――では今後の展望を教えてください。

赤沼氏: 開発チームでは「保育をハックする」と言っていますが、ハッカーマインドを持って開発していきたいです。そのためには開発組織だけではなく、営業などのビジネスメンバーやコーポレートメンバーと一緒になり、ユーザーの課題解決をして事業に貢献できなければなりません。開発側としても開発の役割をしっかりと果たし、かつ、他部署のメンバーとも共に同じ船に乗って事業を伸ばしていくというマインドを作らなければならないと考えています。

理想の組織というのは事業軸にするのか、または機能軸にするのかだけでも大きく変わってきますし、事業の規模や会社のフェーズによっても変わってきます。100%の正解はないので、我々も今、悩みながら進めているという感じですね。

私のキャリアも大きく変わりました。この会社では特に、組織が大きくなるにつれて求められる役割も変化してきました。スタートアップなので、半年前、半年後で状況が全く変わってきます。私ももともとマネジメント専任でやりたいとは思っておらず、ずっと開発をしていたいと思っていましたが、やはり求められるものが変わってきたので、それに対応していこうと自然に変わっていきました。

この先どうするのかというのは、私もまだ見えていません。一応、今はCTOとしてマネジメント専任でやっていますが、例えばCTOが次にどのようなキャリアを踏んでいるのかというのは、デファクトスタンダードがあまりありません。我々も今後大きくなっていくと思うので、それに合わせたマネジメントや開発をしていければと思います。

 

――求められることに全力で応える点がすごいですね。それができたのは、赤沼さんにどのような力があったからだと分析しますか。

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赤沼氏:“何とかしなけれならない”という気持ちがあったからだと思います。精神的にも追い詰められることがあるので、それを何とかやり切るということだと思います。もっと要領よくできる人はいると思いますが、私は要領が悪いのでこのスタイルになってしまいました。この“何が何でもなんとかする”という気持ちはエンジニアとしては必要不可欠だと思っています。

 

――ありがとうございます。最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

赤沼氏:私が最初にWeb開発を勉強したときに比べると技術の幅が大きく広がっているので、今私が勉強を始めるとなると…とても大変だと思います。技術がとても幅広いので、全てをキャッチアップするのは不可能です。エンジニアと一言で言っても、様々な領域のエンジニアがいます。私が主にやっているWebサービスや自社サービスのスタンスで言うと、事業に対してどのようにして技術を活かせるかという視点はとても重要だと思います。

最近のようにスタートアップがたくさん出ている中でチャレンジするためには、ただ技術力が高いだけではなく、事業に対してどのように活かせるかという視点が必要になってきます。それがなければ違う方向に進んでしまい、結局は事業が失敗し、チームが上手くいかなくなってしまいます。そういった目線は、以前よりもエンジニアに求められていると感じます。そしてやはり「なんとかする力」が必要です。なんとかやり切る意思は必要だと思いますね。

 

――ありがとうございました。とても勉強になりました!それでは、次回の取材対象者を教えてください。

赤沼氏:SmartHRの芹澤さんをご紹介します。SmartHRは事業を始めてからの年数は我々とあまり変わりません。芹澤さんは結構早い段階で入られているのでが、我々とは比較にならないほど会社を伸ばしている印象です。開発組織をしっかりとマネジメントしていて、文化を作られています。プロダクトがすごいだけではなく、開発組織としてアウトプットがされています。それを会社全体としてできているのはCTOとしての力があるからだと思います。ぜひお話を聞ければと思います。

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以上が第25回のインタビューとなります。赤沼さん、ありがとうございました!
次回はSmartHR 取締役CTO芹澤雅人さんにバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいたミイダスCTO大谷祐司さんの記事はこちら
【連載24】エンジニアの限界に挑戦し、自ら切り拓く。ミイダスCTO大谷氏の0→1の開拓力とは
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(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)