【連載24】エンジニアの限界に挑戦し、自ら切り拓く。ミイダスCTO大谷氏の0→1の開拓力とは

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こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、ブレインズテクノロジー株式会社 取締役榎並利晃さんにインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第24弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

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“今気になるヒト”榎並さんからのバトンを受け取ったのは、ミイダス株式会社CTO大谷 祐司さん。

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大谷 祐司 Yuji Otani/ミイダス株式会社CTO
サイバーエージェントのネット広告部門で開発組織を立ち上げたのち、2013年にインテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。マーケティング部門のDXを推進したのち、新規事業としてスタートしたミイダスの立ち上げに参画。その後2017年よりスタートアップ2社でCTOを経験したのち、2020年に再びミイダスにジョイン。 

 

――ご紹介いただいた榎並さんから『一貫したエンジニア組織の作り方や、プロダクトの展開方法をいつも参考にさせていただいており、面白いお話が聞けるのではないでしょうか。』と推薦のお言葉を頂いております。現在の大谷さんを形作る原体験からお聞かせいただけますでしょうか。

大谷氏:大学時代にバンド活動をしていたのですが、当時は、まだブログもなかった時代で、個人的にホームページを作り、バンドのライブ情報やメンバー紹介などを発信。曲もアップロードして聴けるようにしていました。そこではじめて、コンピューターやインターネットに触れることになりましたが、とはいえ、ものすごくのめり込んだわけではありません。

就職活動の時にも、特別、テクノロジーにこだわったわけでなく、様々な業種の会社を受けました。就職氷河期だったこともあり、最終的に受かったのは、SIerのエンジニア職とハンバーガーショップの店長職、そしてパチンコ店の店長の3つ。そこで親に相談したところ「これからはコンピューターだ」と言われたので、なんとなくSIerを選んだという流れです。

そこは未経験でも3カ月の研修でエンジニアになれるという、教育と仕事を同時に進めことができる会社でした。研修中も自分に適性があるとは決して思わず、正直、“面白くないな”と思っていました。担当していたのは、大企業のシステムを作る業務でしたが、まったく興味がわかないまま手だけを動かしていたように記憶しています。

ところが、気がついたら15人の同期の中でも、“仕事ができる”方のグループに入っていました。評価ポイントのひとつはスピードです。人よりも早く仕事が終わるので、空いた時間を活用して、自分の好きなプログラムを作ったりしていました。

空き時間を活用して作ったプログラムが、その後のエンジニア人生を大きく変えていきます。当時、知人が話していたSEOの話から着想を得て、検索結果のランキングを様々なキーワードで見ていくプログラムを作り、mixiでシステムを公開。するとサイバーエージェントから「このシステムを使いたい」と連絡がきました。もちろん快諾したのですが、これが自分で作ったシステムを自分で売るという経験の第一歩になりました。

単純に面白いからつくっただけで、最初から売ろうなんて考えていませんでしたし、ましてや企業に使ってもらえるとも思っていませんでした。それが偶然にも売れたので、本当にラッキーだったと思います。ただ、当時は、自分で作ったプログラムを公開すること自体が珍しかったのと、Webマーケティングについて把握している人も少なかったので、それで注目されたのだと思います。

それまでのプログラムやシステムに対するイメージは、“依頼されて作って納品する”というものでしたが、 “自分で作って価値を提供できるものだ”と思うようになりました。そして、コンピューターやITを使って、自分でビジネスを作れると感じましたね。当時、“エンジニアの限界”だと思っていた部分を越えることができました。

 

――エンジニアの限界とはどういったことだったのでしょうか。

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大谷氏:発注者がいて、発注者が要件定義をして仕様を決めて、それを作るのがエンジニアだという意味合いが強かったですね。当時のエンジニアは、企画者が作ったものをしっかりと作るということが大前提としてあり、そこに限界を感じていました。

次に選んだのがリクルートエージェントで、新規事業チームの事業開発部門のメンバーとして新規事業作りに従事することになりました。

転職理由を正直に言うと、大企業への憧れがありました。超就職氷河期で、就職活動時に大企業に入れなかったというコンプレックスがあったのですよね。また、リクルートのような企業において、ITではなくビジネスパーソンとして自分はどこまで通用するのかを試してみたいとも思いました。

最終的に、私が携わった新規事業はしっかり事業化しました。リクルートに入って良かったと思うのは、大きな企業はどのような力学で組織を動かしているのか、組織を動かすためには何が必要なのか、政治的なものも含めて理解できたのはとても大きかったですね。それまでは稟議や決裁という仕組みすら知りませんでしたし、そもそも使えるお金の感覚も違います。

新規事業を事業化した後は、そのリーダーとして毎月の売上目標を達成するという役割を担っていましたが、私はやはりテクノロジーを使って仕組みを構築していく方が性に合っていると感じ、今度はサイバーエージェントに移ることにしました。

当時のサイバーエージェントは、例の私が作ったシステムも活用しながら、ネット広告事業を伸ばしている時期でした。そこでネット広告部門でシステムチームを作るという構想があがり、ジョインしないかと声がかかったのです。広告代理店部門の人たちがテクノロジーを使って事業伸ばしていくということをゼロベースで考えたいという話だったので、興味がわきジョインすることにしました。

サイバーエージェントでは、基幹システムを作ったり、広告を効果的にまわす商品を作ったり、広告運用をまわすオペレーションの基盤システムを作ったりしました。私が身を置いていたチームには、私がジョインして1年半ほどの間、エンジニアが1人しかいない状態が続きました。なので、デザインやネットワーク構築など、なんでもやりました。無茶な要求も多かったですが、「エンジニアなのでここは分からない」「ここをしっかりと決めてくれないと動けない」などと言ってしまうと仕事がなくなるので、どんなにアバウトな要求でも基本的には要求通り、またはプラスαで返していきました。“仕組みを作る側に回りたい”と思ったことが実現できたと感じています。

正直、厳しい環境ではありましたが、目に見える成果を出せるのがとても楽しかったですね。例えば、7人で2週間かけてやるような作業を、システムを作って10分で終わらせるようにしたりして、数千時間や数万時間というレベルの業務削減をしました。

その後ゲーム業界を経て転職したのがインテリジェンス(現パーソルキャリア)です。サイバーエージェントと同様4,000人ほどの社員がいて、エンジニアは1人もいない状態でした。マーケティング部門のエンジニアということで入社したのですが、マーケティング部門に新規事業系の部署がついていて、そこでエンジニアリングを中心にサービスを立ち上げたいという話になっていました。

現在、私が所属しているミイダスは、実はインテリジェンスの新規事業コンテストで立ち上げたサービスだったのですが、私は企画の相談にも乗りましたし、実際に手を動かして作ったりもしました。そこで、エンジニアが1人でもいると大きな変革が起こるということがインテリジェンス内で認識され、以降、エンジニアも一緒になって新規事業を作っていくという文化に変わっていきました。

 

――大谷さんは、何もないところに入って切り拓いていくのがお好きなのですね。

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大谷氏:好きかどうかは分かりませんが(笑)、それができる、もしくはニーズに合っているのだと思います。私は例えば経営会議で、“なぜこれがダメなのか”をロジカルに説明をして、切り拓いていきます。例えば、使えるツールやプログラミング言語などに制約がありましたが、「なぜJavaでなければいけないのか。中にエンジニアがいて、自分たちで技術を使っていくことができるならそれで良いのではないか」ということを、遠慮なく、忖度なく伝えます。

また、プライベートでも、経営者のかたと話すことが増えていました。会社の仕組みとセキュリティや、会社でどのようにITを活用していくかということを聞く機会も増えていたので、「会社はこのような力学でITと向き合っている、技術選定をしている」ということを理解した上でコミュニケーションがとれていたということがありますね。

その後、ベンチャー企業2社でのCTOを経て、再びミイダスにジョインしています。私が退職したあともミイダスは順調に成長しエンジニアも増えていきましたが、組織づくりに課題を抱えていました。そこで課題解決のためにVPoEという形で入ってほしいという声をいただきました。前職のベンチャーにおける取締役任期終了のタイミングでもあったので、再び古巣に戻った次第です。

 

――ミイダスが実現する“テクノロジー×HRの領域”のなかで、大谷さんはどのようなスタンスで向かい、どのような価値を提供しようとお考えでしょうか。

大谷氏:企業における採用活動のハードルを下げたいと考えています。ミイダスが強いのは、地方の中小企業です。大きな媒体は、基本的には一定以上の規模の企業や予算を持っている企業を相手にしていますが、ミイダスはあらゆる企業に対して、町の求人誌に出す感覚で活用してほしいと考えています。

低価格だから、ミイダスの機能は低いのかと言えば、全くそうではありません。安く使えますが効果が高い求人媒体を、テクノロジーを使って実現させようとしています。なぜ、ミイダスではそれが実現できるかという話ですが、ひとつはインサイドセールスチームの活躍です。従来の媒体はアポイントを取り取材をするという、“人と人が会うこと”が前提となっていて、かつ何度も打合せを重ねます。しかしミイダスは町の求人誌に出す感覚で出してもらえるので、オンラインでの商談が可能です。大手が各地域に支社を持って活動している中で、ミイダスは本社のみで動いています。

それを支えるのがテクノロジーの力で、例えば、UIを使いやすくしています。従来ではインタビューをしなければ魅力が伝わらなかったものが、質問に答えたり、データを入力したりするだけで、簡単に求人票ができるようになっています。そして条件を設定しておけば自動的にスカウトが飛ぶので、定期的にログインする必要がありません。

 

――VPoEから最近CTOに就任されたとのことですが、役割の違いなどを教えてください。また、CTOとして今後ミイダスの中でどのような展望を持たれているのでしょうか。

大谷氏:VPoEとして入った1年間は、社内の仕組みづくりや組織作りに携わっていました。評価制度を作ったり、定期的にミーティングをしてリーダーからメンバーに情報発信をする機会を増やしたりしましたね。それが最低限回るようになってきたので、より攻めた価値のあるプロダクトにしていく、メンバーにやりがいのあるミッションを作っていくということも含めて、さらに踏み込んで事業やビジネスを進める役割として、CTOになりました。

優秀な人材が集まっているので、みんながやりがいのあるミッションを楽しくこなせるような会社にしていきたいと思っています。実はいまミイダスで新規事業を作っていて、事業責任者のような立場を担っています。私が事業プランを起案したのですが、エンジニア発信で自分たちがサービスを作っているというカルチャーを作りたいという思いからです。そこでは、事業企画書や設計書などを自ら書いています。

目指しているのは、みんなにチャレンジする機会があり、それを手を挙げた人に任せる組織です。やりがいのあるミッションを組織に作り出すこと、これも私が取り組んでいることです。

立ち上げはとてもパワーがいりますし、いろいろなことを整理して順序立てて進めなければならないので、なかなか大変です。なので、一旦、私がレールを敷こうということでやっています。

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――それは大谷さんが0から根を生やすことからやってきたのでできることであり、それをみんなに背中を見せることで、やり方や面白さを伝えたいという感覚ですね。

大谷氏:そうですね。全員にそれをやって欲しいとは思いませんが、そういうことができる人がいる組織というのは強いと思っています。もちろんエンジニアリングに特化した人もいていいですし、特定技術にフォーカスする人もいていいと思います。ビジネスに興味を持ち、何をすればサービスやビジネスが伸びるのか、生み出せるのかを考えられてかつ技術の分かる人間がいる組織を理想とします。

 

――それが両方できる人は、組織に対してどのような影響を与えるのでしょうか。

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大谷氏:サービスの改善がどんどん回っていきます。事業の立ち上げをするというのはハードルが高いと思いますし、それができる人材が一気に生まれるとは考えていません。しかし、サービスの改善ポイントに気づいて、自分で提案できるようになっていけるといいなとは思っています。

ミイダスにはスポットオファーというものがあり、短期業務委託を企業が依頼することができます。私はそれに自分から積極的に応募していて、改善提案をたくさんしています。これまで社内には「ミイダスをユーザーとして使う」事例はあまり聞きませんでしたが、私は実際にユーザーとして使うようになっていろいろなことが見えてきました。

 

――では、大谷さんが考える、職場の選びの基準を教えてください。

大谷氏:今までの職場選びの共通項は、それまでの自分の能力を活かせることに加えて、新しいインプットや新しいチャレンジができることです。私はこれまでの経験を通じて、会社に全てを求めないように意識しています。個人でも開発をしていますし、サービス運用もしています。会社に全てを求めてしまうとバランスを崩してしまったり、やりたいことが出来ずに悶々とすることが過去にあったので、会社に全てを求めないようになりました。

前職では、取締役をやりながら社内システムの開発やITサポートをしていたこともあるので、キャパ的な限界はかなり大きくなりました。サイバーエージェントに自分でシステムを売ったこともそうですし、会社以外で成長の機会を見つけてきた人間なので、私自身、副業している人に対して“副業するな”という気持ちはありません。しかし単純にお金を稼ぐためであったり、時間を切り売りしたりと、成長機会ではない副業はあまりオススメしたくありませんね。そして、副業で自分の力になったことを会社にフィードバックすればいいと思います。

 

――ありがとうございます。最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、メッセージをいただけますか。

大谷氏:エンジニアが活躍できるフィールドは、これからどんどん広がっていくと思います。
WebエンジニアだからWebしかできないのではなく、例えばテスラのモニターにもWebの技術が使われています。Webエンジニアの活躍できるフィールドはどんどん広がっていく一方で、死んでいく技術もあると思います。なので、新しい技術をたくさん吸収するということはやってほしいですし、“自分の専門はこれ”“自分はこれだけをやっていく”というものを決めない方が、未来の可能性が広がっていくと思います。

 

――ありがとうございます。では、次回の取材対象者をご推薦ください。

大谷氏:ユニファの赤沼さんを推薦します。赤沼さんとはCTOの合同合宿で知り合い、プロダクトや組織作りの相談に乗ってもらいました。プロダクトや組織への熱い思いを持っており、技術にも明るい。すごく尊敬しているCTOです。

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以上が第24回のインタビューとなります。大谷さん、ありがとうございました!最近の趣味の話題では、ガンプラ作りにハマっているとのことで実際に作品を見せていただいたりと楽しい時間でした^^

次回は、ユニファ株式会社CTO赤沼寛明さんにバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいたブレインズテクノロジー 取締役榎並利晃さんの記事はこちら
【連載23】ブレインズテクノロジー取締役・榎並流キャリア選択の極意とは
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(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)