【連載23】ブレインズテクノロジー取締役・榎並流キャリア選択の極意とは

f:id:pcads_media:20210908184631j:plain

こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、株式会社ソラコム執行役員プリンシパルソフトウェアエンジニア片山さんにインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第23弾をお届けします。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetコミュニティメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

f:id:pcads_media:20210708155824p:plain

“今気になるヒト”片山さんからのバトンを受け取ったのは、ブレインズテクノロジー株式会社CPO榎並利晃さん。

f:id:pcads_media:20210908185811j:plain

榎並 利晃 Toshiaki Enami /ブレインズテクノロジー株式会社 取締役/業務執行責任者(CPO)
1996年日本電信電話株式会社入社後、ソニー株式会社でサービス提供側で幅広いシステムの開発・運用を経験。アマゾンウェブサービスジャパン株式会社においては、IoT・AI分野におけるソリューションアーキテクト、事業開発やアライアンスにより、日本のクラウド展開に貢献。2019年ブレインズテクノロジー取締役に就任。持ち前の行動力を武器に、事業開発やアライアンスの領域で、事業拡大・グローバル展開を担う。


――ご紹介いただいた片山様から『通信会社や大手メーカーを経て、クラウド、AIを提供する企業へ転身されており、キャリアの選択についていろいろとお話が伺えると思います。』とご推薦のお言葉をいただいております。まずは、いまの榎並様を形作るまでのキャリア変遷からお聞かせください。

榎並氏:これまでのキャリアの中で一貫しているのは、サービス開発に携わってきたことです。技術を活用して、いかにその目的を実現するか?という目線を持ちながらキャリアを重ねてきました。

社会人のスタートはNTTでした。当時のNTTはISDNをはじめとするマルチメディアに取り組んでいて、そこに入社すれば面白いことができるのではないかと学生ながらに感じていました。しかし、それほど甘くはありませんでした。

当時、同期社員が3000人もいるような大きな会社なので、自分のキャリアを自分自身でマネージできるはずがありません。サービス開発に従事したいのに、SEのような仕事ばかりを任され、日々悶々としていましたね。やがて「Lモード( iモードの固定電話版)」の開発プロジェクトに携わることになったのですが、私が担当する領域はほんの一部。また、どうしてもインフラの部分に寄ってしまい自分が描いていたサービス開発とは、離れていることにも気づいていました。

“自分の作ったサービスを世の中に出していきたい”と考えていたのに、このままではそれが叶わないと思いました。NTTに身を置いて5~6年が経過していたでしょうか。そこで、違うキャリアを歩もうと考え、転職した先が、当時、デバイスもコンテンツ事業も手がけていたソニーでした。

 

――ソニーではどのような業務を担当されたのでしょうか。

f:id:pcads_media:20210908184825j:plain

榎並氏:電子マネー「Edy」を担当しました。開発から運用まで携わるポジションで採用。結局、ソニーには10年間在籍しましたが、その半分以上は電子マネー関連。ここではじめて、サービス運用の醍醐味を経験しました。

Edyは電子マネーの初期のサービスです。当時は海外規格の電子マネーもあったと思いますが、一部の海外規格のものを使い実験を始めた頃でした。そんな中、国内企業で初めて非接触型電子マネーのサービスを提供したのがこのEdy。電子マネーというサービスをビジネスにするためにシステムを改修しながら、運用までを担当していきました。

当時の私の役割は、決済端末、決済端末に内包するセキュリティモジュール、インフラからセキュリティ周り。サーバーインフラから、それまで経験のなかった組み込みモジュール開発を担当しました。NTT時代にはプロジェクトマネジメントしかしてこなかったので、初めての連続。人間、追い込まれるとなんでもできますね(笑)。いろいろな意味で鍛えられたと思います。障害が発生したら自分で対処しなければなりませんし、それなりの人数がいたのでプロジェクトマネジメントも必要です。組み込みもしなければならなかったので、いろいろなチャンスを与えてもらい、経験を積めて楽しかったです。

そこで得たものは、サービス運用の経験です。いかにサービスを運用、運営していくかの難しさを学びました。エンジニアサイドとビジネスの両輪でしたが、ビジネスを維持継続していくためのシステムの運用のあり方や、サービスのあり方を学んだのも大きかったです。今の自分を形作るもっとも重要なことだったなと振り返ります。

Edyを離れたあとは、クラウドビジネスを担当することになりました。家電が繋がるクラウドのプロジェクトにジョインしたのですが、そこで初めてAWSに出会い、衝撃を受けました。

Edyの開発時にはまだクラウドがありませんでした。例えば、何らかのプロジェクトにおいて要件定義のときに、どのようなシステムが必要なのかを考えた時点でインフラを発注しておかなければ、スケジュールに間に合いません。なのでベテランの経験則で発注する必要があり、場合によっては無駄な投資になります。ところがクラウドは可変性のあるインフラなので、柔軟に、そして無駄なく開発を進めることができます。そこからプロジェクトの推進は大きく変わりました。相当インパクトのあるイノベーションでしたね。

偶然にも、もともと一緒にEdyの開発に携わっていた同僚がAWSに転職したので、話を聞く機会がありました。Amazonのカルチャーの話などを聞くと、AWSというプロダクト自体の魅力もさることながら、組織やグローバルに展開している能力にも興味が沸きました。
また、どのようにビジネス展開をしていくかという観点において、Amazonのオペレーションはとても興味がありましたね。

NTTからソニー、ソニーからAWSもそうですが、その次の自分のキャリアを考える時に、そのときの自分に足りないものを埋めたいのか、それとも伸ばしたいのかで決めています。

AWSに行くときは、これまでにない部分を埋めるためのキャリアでした。それまでは自分がプロジェクトマネジメントをしながらシステムを構築してサービスを展開する立場だったのですが、AWS Japanは、AWSを日本国内市場に展開するという役割がメインであるため、今までのキャリアと比べると、正反対の立場にある会社です。そういう意味では私のキャリアには存在しなかったものなので、ミッシングパーツだったところにチャレンジしようという思いがありました。

 

――AWSでは、どのような経験を重ねたのでしょうか。

f:id:pcads_media:20210908184945j:plain

榎並氏:AWSにいた5年間でも多くの経験をさせてもらいました。最初はAWSから見て、エンドユーザー側に在籍していた経験を活かし、主にパートナー向けの技術者として、クラウドの良さを語る仕事に従事しました。そして、ソニーで経験したIoTの素地があったので、IoTのビジネスが立ち上がるときに手を挙げて、事業開発へと社内異動をしました。

事業開発は初めてだったので、失敗だらけだったと思います。事業開発において求められることはたくさんありますが、当時の私はあまり上手くできなかったと思います。事業開発におけるスキルセットは、サービスや技術の成熟度によって変わると考えています。例えば、今となってはクラウドが当たり前になっている中で、それを展開していく事業開発というのは、どちらかというとマーケティング要素に近い能力が求められると思います。一方で、IoTのようにまず市場を作らなければならない技術もあります。そのバランスで何に力点を置いて展開しなければならないのかは、ある程度経験をしたあとで理解できたことです。

また、IoT事業を展開する上で求められる伴走型のプロトタイプ支援をヨーロッパに続き、2番目に日本でプロトタイプチームを作ることを主導しました。AWSの中で人を巻き込みながらチームを作るのは大変でした。必ずしも同じベクトルを向いているわけではないので、個々人に合った声掛けをしていました。大きな組織のベクトルは変えられませんが、個々人が成し遂げたいものもありますよね。なのでその点を意識しながら、各々に合った役割を与え、組織のベクトルに合うようにしましたね。

 

――事業の方向性と個人のキャリアを合わせていったのですね。では、どういった経緯からAWSからブレインズテクノロジーに転職することになったのでしょうか。

榎並氏:ブレインズテクノロジーは、AWSのパートナーのひとつでした。私がIoTの事業を立ち上げた時に、そもそもマーケット自体がありませんでした。マーケットを作るためには、お客様にインパクトのある形でプラスαの価値提供をしなくてはなりません。そのために意味のあるものがセットされる必要があり、当時の私が見ていたパートナーの中で、IoTの軸で見て意味のある技術を提供している会社はブレインズテクノロジーしかない!くらいに思っていました。

そして、そこからCTOの中澤さんと一緒に仕事をするようになりました。そこで中澤さんから誘われたことが、ブレインズテクノロジーに入社したきっかけとなります。

私はAmazonが大好きでしたし、辞めるつもりはまったくありませんでした。しかし技術力も高くお客様からも支持を集めている中澤さんから「ぜひ来てほしい」と言われて大きく心が動きました。そして、このブレインズテクノロジーの技術の可能性を感じ、それをより広めていきたいという思いが強く生まれました。自分たちで作り、お客様の信頼を得て、そのソフトウェアをビジネスとしているので、自分のキャリア的にも事業展開という立場で入れば、これまでのサービス開発の経験を活かせるのではないかと考えました。

>>次のページへ


 

――会社から求められているミッションについて教えてください。また、個人的にどのような価値発揮をしたいと考えていますか。

f:id:pcads_media:20210908185017j:plain

榎並氏:私は現在CPOとして、事業展開をすることが大きな役割です。ブレインズテクノロジーの製品認知度を高めてグローバルに広げていくところは会社からも求められていて、今までのキャリアの総集編だと思っています。まだまだ認知度の低いサービスですが、このサービスを利用することによってお客様の事業に大きく貢献できることは分かっているので、どのように展開していくのかを考え、実行していくのが私のミッションです。

基本的にソフトウェアの売上がビジネスモデルになっているので、それをいかに上げるかということが重要です。なのでそれぞれの製品の特性を活かして、事業展開を進めています。例えば、異常検知ソリューション「Impulse(インパルス)」でいえば、私がAWSにいた頃はブルーオーシャンでした。しかし最近は製造業もAIを導入しているので、レッドオーシャンになりつつあります。いかに新しい軸で差別化を図りながら、新しい技術を突破口としていくかというところと、レッドオーシャンでの戦い方も私にとっては大きなチャレンジです。

グローバル展開については、まだ国内のお客様が海外工場に展開していくという流れの一環でしか提供できていません。新規はこれからなので、0からの戦いです。まずは市場を見定めることから始めて、そこからどのように展開していくかを考えている段階です。

現在はコロナの影響により、中国に置いていた工場も原点回帰でアメリカに戻っています。なので、そこに勝機があるのではないかと考えています。しかし、日本でのソフトウェアの売り方とは違うので、その点も学ばなければなりません。本当に0からなので、0→1の楽しさがありますね。

 

――ブレインズテクノロジーのサービスが普及していくと、どのような世界観が実現されるのでしょうか。

榎並氏:「Impulse(インパルス)」という製品は、工場で多く利用されています。製造業において、これまで属人的な生産活動が、AIを導入することで業務改善ができます。例えば、外観検査で言えば、未だに人の目でじっと見て検査している工場はたくさんありますが、AIを活用することで、人が人らしい仕事をできるよう最適配置ができます。製造業は日本を支えるインダストリーですから、そこに貢献していきたいという思いがあります。

 

――AIのジャンルはハードルが高いように感じますが、榎並さんが求めるエンジニア像はどのようなものでしょうか。 

f:id:pcads_media:20210908185746j:plain

榎並氏:私の立場からすると、エンジニアにはお客様の声をいかにシステム技術に落とし込むかという努力が求められていると思っています。AIはツールでしかありません。今はたくさんのオープンソースがあるので、ある程度の知識があればAIを使うことは可能です。

重要なことは、その技術によってお客様の課題をどう解決するのかを考えることです。それはお客様が今、認識している課題だけではなく、真の課題を理解する“お客様が真に求めるニーズを把握する”力が必要だと思います。そして、それをマッピングする能力も必要です。今ある技術でそれを解決できるかということも判断する必要がありますし、新しい技術に対する知識も必要です。

その努力の源泉は、探求心や好奇心といったベーシックなものです。そういったマインドをもったエンジニアが在籍している企業であれば、よりビジネスが広がっていくのではないかなと思います。

 

――ありがとうございます。最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたら良いのか、ご提言いただけますか。

榎並氏:好奇心とチャレンジを大事にしてほしいです。新しいことに興味を持って、そこに飛び込みチャレンジをするということが、エンジニアにとっては必要だと思います。もちろん、興味だけではままならないこともあります。私自身の経験からすれば、その時代のフェーズに併せて、軸となるものを柔軟に変えながら経験とキャリアを重ねてきたような気がします。

20代はひたすら技術習得に注力してきました。NTTではプロジェクトマネジメントが中心でしたが経験不足を技術でカバーしようと考えていました。30代の軸はサービス運営です。ソニーに転職したのもその頃ですね。そして意味のあるサービスを作りたいと思っていました。40代になってAWSにジョイン、グローバルでの知識を学びながら展開していくことを考えていました。そして50代という未来に向けていくつかのビジョンを描いています。

私は今、ブレインズテクノロジーでスタートアップのオペレーションを経験しています。おそらく同じように技術を使ってどのようにビジネスを展開するのかを悩んでいるベンチャー企業はたくさんあると思うので、そこに対して自分の経験を活かしながら貢献できるのではないかと考えています。ベンチャー企業はいろいろな軸で悩みがありますし、少し改善するだけで大きく変わることもあるので、本当に面白いですね。

 

――最初に技術ベースがあり、その上にビジネスベースが乗り、さらに展開する力が身についているので、50代になってからもそれを活かしつつ、周りにも貢献していきたいという感じですね。ありがとうございました。とても勉強になりました!それでは、次回の取材対象者を教えてください。

榎並氏:ミイダスのCTOである大谷祐司さんをご紹介します。私がAWSに在籍していたときに、ベンチャー企業のCTOをされていて、そこで知り合いました。

大谷さんのキャリアも大変ユニークです。スカイディスクを辞めた後も、サーキュレーションに勤め、その後にミイダスのCTOに就任しました。彼の中で一貫したエンジニア組織の作り方や、プロダクトの展開方法をいつも参考にさせていただいており、面白いお話が聞けるのではないでしょうか。

f:id:pcads_media:20210909114526j:plain

以上が第23回のストリートインタビューです。榎並さん、ありがとうございました!
次回は、ミイダス株式会社の大谷祐司さんにバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいた株式会社ソラコム片山 暁雄さんの記事はこちら
【連載22】ビジネス創出の鍵は“IoTの民主化”、ソラコム片山氏の目指すIoTの未来とは
f:id:pcads_media:20210820122835j:plain

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)