【連載17】テクノロジーを軸にやれることを増やす、メルカリVP of Backend田中氏のキャリア戦略

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こんにちは!TECH Street編集部です。

前回、TECH Streetコミュニティメンバーが気になるヒト、
株式会社マクアケ 取締役 CTO生内洋平氏にインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー 」の第17弾をお届けします。

※本取材はオンラインで実施しました

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

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“今気になるヒト”生内氏からのバトンを受け取ったのは、株式会社メルカリ執行役員
VP of Backend田中慎司氏。

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田中 慎司 Shinji Tanaka/株式会社メルカリ執行役員 VP of Backend
京都大学卒業後、NTT研究所を経て、2006年株式会社はてなに参画。2010年よりCTOとして技術全般を統括、並行して事業責任者等も兼務。2016年9月より執行役員としてメルカリに参画。メルカリUKにて開発チーム立ち上げ後、メルカリJPにてSREのEMofEMsに着任。2018年からは、VP of Backendを務める。



――ご紹介いただいたマクアケ生内さんから、『技術潮流の変遷を乗り越えてビジネス的にも様々なチャレンジをされてこられており、言葉に含蓄があります。人生の参考にしている方のひとりです』とのコメントをいただいております。ちなみに生内さんとはどのようなご関係なのでしょうか。

田中氏:生内さんは株式会社サイカ執行役員CTOの是澤太志さんに紹介していただいて、コロナ前には飲みにも行かせていただきました。直接仕事をしたことはないのですが、技術的な責任者の仲間として様々な話をさせていただいています。人生的には私なんかよりも生内さんの方がよほど波瀾万丈かと思いますけれども(笑)。

 

――そんな生内さんが人生の参考にしているという田中さんの半生ストーリーもお聞きかせください。早速ですが、エンジニアとしてのキャリアを追っていきたいと思いますので、まずはテクノロジーに対する興味の芽生えあたりからお話をいただけますか?

田中氏:初めてコンピューターに触ったのは小学校2年生の時ですね。子どもなので中身のことはわからないまま、簡単なゲームを作ったりしていました。その頃はまだWindowsなどは存在せず、Basicの時代です。家のコンピューターを私の兄が触っていたのを真似してはじめたという感じですね。誰から教わったというわけではありませんが、ゲーム作りの入門書を参考にして、既存のプログラムを改造したりしていました。まあ、そのほとんどは完成に至らなかったのですが(笑)。

要するに、モノの構造を知るのが好きでしたね。機械があったら分解しちゃうような子どもでした。電子パーツなどを売っている愛知の秋葉原みたいなところがあるのですが、適当に部品を買ってきて自分で組み立てたりもしていました。

何をつくっていたかというと…記憶が曖昧ですが、覚えているのは、学研の電子ブロック。トランジスタや抵抗を組み込んだブロックを組み合わせて電気実験をするキットですが、そういうのを好んで遊んでいました。

今でもそうですが、自分が使う道具を便利にするのが好きなのですね。中高生ぐらいの頃には、ゲームのセーブデータを分析し、リバースエンジニアリングしたうえでセーブデータを書き換え、パラメーターを勝手に強くしたりしていました。当時はオフラインゲームしかなかったので、チート行為も問題とはなりませんでした。このように、中身を知って自分にとって使いやすくすることが好きで、さらにそれによって人に喜んでもらえるともっと嬉しい、みたいな。そんな感覚は当時からあったのかもしれません。

その流れでコンピューターの中身に興味を持ち、CPUについて書かれている分厚い本を中学や高校の時に読んだりしていました。そのまま趣味が高じて情報系のコンピューターサイエンスをやっている学校に進学し、そのまま修士まで進みました。

 

――そういう嗜好がある方は、社会に出るときに、“何屋になろう”と思うものなのですか。

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田中氏:大学では研究室に入り、研究の入り口に立って新しいことをやるので、それはそれで面白かったですね。なので、社会にでても研究を続けていきたいと思いました。京都にいたということもあって、今でいうところのインターネット業界は選択肢に入らず、コンピューターに関する研究をやりたいと思って、規模も大きく、しっかり取り組んでいたNTTを選びました。

 

――NTT研究所では、どのような研究をされていたのですか。

田中氏:IP電話のサーバー周りを見ていました。昔から電話網は専用のネットワークで制御されていたのですが、インターネットが世界的に普及してきたことで、インターネットのプロトコルを使いたいといった需要が生まれていた時期でした。それまで専用機でやっていたものから、インターネットの技術を利用したものに転換していくための技術を見ていましたね。

NTTの研究所もいくつかありまして、僕が配属されたところはどちらかというと応用に近いものを見ているところでした。半分開発みたいな感じで、開発するものを先端の技術を使ってさらによくしていくという役割を担っていました。研究と実用化の間ぐらいでものづくりをしていたということですね。僕自身は大きなチームの下っ端だったので、末端って感じでしたけどね(笑)。

 

――そのお仕事は、ご自身が思い描いていたものと合致していましたか?それとも、少し違うなっていう感覚でしたか。

田中氏:半々ですかね。割と開発に近いところだったので、もう少し研究をやりたいという側面はありました。結局NTTには6年ほど在籍していたのですが、当然、相当大きい組織が大規模開発を進めるという動きなので、様々調整しながら物事を進めるスピード感に物足りなさを感じて、“もういいかな”と思って転職を意識するようになりましたね。

 

――転職を意識したあと、次のキャリアでは何をされたのでしょうか。

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田中氏:次は株式会社はてなに移ったのですが、そこは大学のクラブの同期が創業した会社でした。当時インターネットが普及しはじめ、スタートアップが身近な存在になりつつあったので興味がわき始めていたのは確かですね。

同時に、海外に行きたいという興味もありました。NTTの時も海外出張は時々ありましたが、なかなか赴任は難しく、配属された部署的にも可能性が低かったですね。当時、はてながアメリカに進出するということもあって、そこに乗っかりました。

はてなには、ソフトウェアエンジニアとしてジョインしました。開発プロセスは当然違いますが、扱うものが同じコンピューターなので、技術的な基礎は変わらず、それほどギャップはありませんでした。ただ、振り返ってみるとサービスを作る感覚をつかむのは難しかったかなと思いますね。NTTでの開発はある程度の仕様がすでにあって、細部をつめていくという感じでした。

今でこそ、色々なサービス開発の手法が確立されていますが、当時はまだ業界的にも手探りで、どういう企画を立てて、どういう機能を作ってやっていくかというプロセスが明確になっていませんでした。当然、私自身も手探りになります。インターネットはアメリカが先行していたので、アメリカのサービスはもちろん参考にしました。先行しているサービスを見ながら、ある程度我流で考えるのが基本だった時代だと思います。

はてなでは、最終的にCTOになりましたが、10年間在籍したうちの最初の4年は、ソフトウェアエンジニアからマネージャーになって、執行役員になってという一通りの流れを経験しました。また、ブログなどのサービスを運営する会社だったので、サービスを安定的に動かすことや、効率良く動かすための技術的な施策をメインで担当しました。

そのノウハウをブログに書いたりして、自分の記事が読まれたり読まれなかったりすることで、何を書けばバズるのかという経験の蓄積にもなりました。その時期に書籍をまとめることができたのも、良い経験になりましたね。

 

――CTOとなると、マネジメントの要素が入ってくると思います。はてな社が大きくなる過程において運営や組織作りに参画されたと思うのですが、そういったステップをご経験されて何を感じられましたか。

田中氏:当時、エンジニアは数十人ぐらいだったと思います。採用は継続的に続けていたので毎年少しずつ、急成長はさせずに一回りずつ大きくしていっていました。私のミッションは、エンジニアリング組織をうまく運営して、今でいうところのプロダクトマネジメント的なチームがあったので、そことうまく連携しながらサービスを作り上げ、発展させていくことでしたね。

会社にとっても大事な時期ではありました。はてなブログなどのサービスもある程度世の中に浸透していたので、会社の軸となるサービスは存在してはいました。そこから発展した様々な新しいサービスを立ち上げていっていたので、“いかに柱を増やしていくのか”ということが課題になっていました。

 

――はてなのCTOとして過ごした6年間を振り返ったときに、そこでどのような経験値を得ましたか。

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田中氏:技術的な組織を一通り見られたのもよかったのですが、他にも色々な仕事を経験しました。例えば総務部長や法務部長、ユーザーサポート部の統括もしていました。はてな時代の最後の3~4年は新規事業を一つ立ち上げて、その時にファイナンス以外はなんでもやりましたね。プロダクトオーナーも営業もサポートもやって、その新規事業を軌道にのせるところまでできたのは非常にいい経験となりました。

その新規事業は、社内の新規事業アイデアコンテストに応募していたものが“いいんじゃないか”という話になり、言い出しっぺの私が担当することになったものです。こういった業界なので、新しいビジネスを立ち上げて、それが急成長するというストーリーはたくさんありますし、そういった経験ができたら面白いよねという気持ちはありました。

元々、はてなで自分を成長させていく過程で必要なことはいろいろ手を出してきたので、“技術的な部分以外はやりたくない”とは考えていなかったですね。むしろ、色々なことができて楽しかったですね。

 

――では、現在のメルカリ社にはどのような経緯でジョインされたのでしょうか。

田中氏:また機会があれば海外へのチャレンジはしたいと思っていて、そのチャンスがあったからです。いまはイギリスでのサービスは一旦クローズしていますが、当時メルカリはアメリカに進出していて、「次はヨーロッパだ」という話を聞いていました。はてなに10年在籍していたタイミングで一区切りついたというのと、新規事業も軌道に乗るのが見えていたこともあり、後任に任せて海外に行くチャンスを掴みにいきました。

海外にこだわっている理由は、人生のテーマとして、「やれることを増やしたい」という思いがあります。そして、「自分が住みたいところに住めるようになる」というのが人生の一つの目標としてあって、海外経験を積まないと本当に自分が住みたいところに住めないと思っていました。
とはいえ、もちろん会社には会社の期待値があります。個人としてやりたいことと、会社から期待されることの“and”がマッチする機会を探していたということですね。

知り合いを介して株式会社メルカリに入社して、イギリス現地のエンジニアリング組織の立ち上げに参画しました。日本発で海外となると、まずアメリカが出てきて、その次にアジアとなるのが一般的で、ヨーロッパというのはあまり選択肢にないと思いますが、行ってみると面白い場所でした。

具体的なプロジェクトは、まずはメルカリのプロダクトを現地に持って行ってローカライズする仕事でした。何人かのエンジニアと一緒に行き、そこから現地のエンジニアをさらに採用してチームを作っていきました。最初はローカライズから始めましたが、リリース後はプロダクトマーケットフィットを目指してデザインを変えたり、様々な機能開発をしました。

はてな時代もアメリカにいっていましたが、現地採用はしていませんでした。現地採用でチームを作り、プロダクトを開発するという経験ははじめてですし、なかなかできないことなので非常に良い経験だったと思っています。

 

――当時、田中さんとしては、テクノロジー×フリーマーケットというお取り組みを通して、どのような価値を世の中に提供していきたいとお考えだったのですか。

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田中氏:メルカリの事業はC2Cのフリーマーケットです。ある人にとって不要になったものが、まだ他の人では使えるものになるということで、リユースリサイクルの流れを構築しています。これは、社会としてサステイナブルになるためには必要な機能だと思います。そこでテクノロジーに何をできるかというと、いらないと思っている人とほしいと思っている人をつなげるマッチングのところに価値を提供できると思います。

単純なマッチングであったら、ここまでの広がりにならなかったかもしれませんが、安心・安全というキーワードには支持が集まるポイントの一つだったと思います。色々な人が使うので悪意ある使い方をする人は0にはできず、いかにそういった人を抽出してマーケットプレイスとしての健全性を保つかということは大事です。平たく言えば、色々な人に使っていただくためには、嫌な体験に対する恐れをいかになくすかが重要だということです。当然、これを人力のみで実現するのはボリューム的に難しいので、技術でいかに効率をあげられるか、ということが重要となってきます。

 

――田中さんは、これまでに3社経験されていらっしゃいますが、職種選びの基準はどのようなものでしょうか。

田中氏:「やれることを増やしたい」というのがテーマにあります。先ほど説明した海外にこだわる理由と同じです。ベースとなる軸はテクノロジーであり、エンジニアリングです。その上ではてなでは、スタートアップの中で、という大企業ではないサバイバル力を得たいと思っていました。メルカリは、海外とダイバーシティですね。

メルカリは日本国内でも、ダイバーシティが高い環境になりつつあります。そこは大きな魅力の一つですね。組織的にどういうカルチャーを作っていくかという議論はありますが、そこに携われているのは非常に面白いと思います。ダイバーシティももはや特別なことではなく、海外に行くと本当に色々な人がいる状態が普通なので、最終的にはどこでもそれが自然になるのかなと思います。

特にエンジニアとして海外に行くと、ほぼ間違いなく多国籍な環境になるので、そこで何の問題もなく自然に仕事ができるような人間になりたいですね。

自分としては、これまでも10年単位でキャリアを変えていっていると思っていて、20代は大企業で研究をやって、30代はスタートアップを経験。そして40代はダイバーシティなキャリアを構築しつつあります。今後、ダイバーシティな環境で、様々な役割を果たすことが求められるようになると思うので、それが体感できる環境で働けるのは、非常に良いと思います。

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――ダイバーシティの中で生き抜くために重要なことって何でしょうか。

田中氏:色々な人がいることを知ることですかね。その一方で、“みんな同じ人間だな”とは思うので、「色々な人」の幅を知ることが大事になるかと思います。この幅を知ることで、一緒に仕事をするときの連携や依頼の仕方などが理解できると思います。

 

――現在のお仕事の役割とそれを進める上で工夫されていることがあったら教えてください。

田中氏:今、メルカリには2人のエンジニアリング系VPがいて、1人がプロダクト側をみていて、私がバックエンド、すなわちプラットホーム側を見るという役割分担になっています。エンジニアリングは、「神は細部に宿る」的な要素があると思います。全体を把握しつつも細部が大事なので、細部の感覚を持ち続けることがポイントかなとは思います。自分のマネジメントスタイルでもありますが、チームメンバーの信頼を得るためには細部の知識がないとだめだと考えていますね。

 

――スキルもそうですがマインドセットも含めて、田中さんが求めるエンジニアってどんな方々ですか。

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田中氏:メルカリも大きくなってきて、いちエンジニアが全体を見ることができるような規模ではなくなってきています。どうしてもある程度細分化された領域を担当してもらう感じになってしまいます。しかし、言われたことだけをやるのではなく、深掘りできる人がいいのではないかと思うのですね。深堀りして、技術的に、あるいはサービス的に“こうあるべきだ”ということを考えて実行できる人ですね。

全体のサービスの方向性をつかみつつ、自分の領域は深めないといけないという、大きな目線と細部の目線が必要です。

 

――大きな組織で自分のやるべき領域が明確になっていると、領域と領域の間に隙間のようなものができてしまいがちです。そのような隙間のエラーをなくす工夫などあれば教えてください。

田中氏:その問題はとても難しく、正解はないと思っています。メルカリの評価システムでは、グレードと呼んでいるのですが、グレードが高くなると、より広い組織のことを考えないといけないという設計になっていて、チーム間でこぼれ球が出るのを防ぐのは、そのグレードの高い人の仕事になっています。

全体的にメルカリとしてほしい人材、できる人材の定義のひとつに「深さと幅」というものがあります。OKRなど評価の仕組みは全社共通で組織を跨いでいます。基本的な考え方については統一されていますね。その上で各チームの実情に合わせて、チームのリーダーやマネージャーが個別の判断をしています。

 

――田中さん個人としての、今後のビジョンを教えてください。

田中氏:ダイバーシティという軸は今後も変わらず重要だと思います。いかにそこでサバイブできるようになっていくべきか考えていきたいですね。スタートアップ業界でサバイブできるのは組織に依存せずに生きることと同義です。組織はとても大事なのですが、組織は組織の都合があるので、必ずしも個人がやりたいことができる環境を、少なくとも全員に提供できるわけではありません。個人としてやりたいことがあるのではあれば、組織に対して依存しないことは大事だと思いますし、そのためには力が必要です。

 

――生き残る力というのは技術力だけではないということですよね。

田中氏:そうですね。組織に対してべったりしていると、不満もたまってしまうのではないかと思います。一定の距離感を置くというか、組織を利用するという考えを持った方が楽になれます。

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最近は、現場を離れて長いので、もう少し現場力をリハビリした方がいいのではと思ったりもします。引退したら趣味でプログラマーとして過ごそうと思っていて、現場に戻るつもりです。まあ、まだ先の話だとは思いますが(笑)。

VPや経営分野でいつまで一線をはるのかという点については、まだ答えが出ていません。10年単位でキャリアを考えるという話をしましたが、40代があと数年で終わるので、50代に何やるか、色々考えを巡らせている段階ですね。今はまだ模索中です。

メルカリに移るときも何年も前から考えていたわけではなく、はてなで区切りつくのが見えたタイミングでチャンスがきて、半年や1年弱で動いた感じだったので…。50代に突入するまでにまだ数年あるので、今決めなくていいかなと思っています。

 

――最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたらよいのか、ご提言いただけますか。

田中氏:キャリアの初期段階において、軸のようなものを作った方がいいと思います。どんなジャンルでもいいのですが一つ軸を作り、その軸をベースに幅を広げていく活動ができるといいですね。最初の軸を作っている間に自分の価値観をある程度確立できるとなおいいですね。

 

――田中さんは最初の軸は何と認識されていて、どのような価値観を固められたのですか。

田中氏:若いころは研究をやりたいなということと、色々な所に住みたいなという二つの軸がありました。研究の方では大成できなさそうではあったものの基礎力はついたので、自由に住めるところを選ぶことをより重視した感じですね。

 

――自由に住めるところを選ぶということ=それができる仕事を選べる力ということですね。どこでも働けて、どこでも生きていける自分になるという考え方を持っていることが重要だということですね。最後に、次回の取材対象者を教えてください。

田中氏:山崎大輔さんを推薦します。インターネット業界の歴戦の勇者で、これまで酸いも甘いも経験されてきた方で、私も様々相談に乗ってもらっています。

以上が第17回インタビューです。田中さん、ありがとうございました!

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笑顔ショットで締めくくり!

次回は山崎大輔氏にバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいた株式会社マクアケ取締役CTO生内洋平さんの記事はこちら
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【連載16】“いいものを作り続ける環境づくり”を体現、マクアケCTO生内氏のモノづくりのフレームワークとは

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)