【連載16】“いいものを作り続ける環境づくり”を体現、マクアケCTO生内氏のモノづくりのフレームワークとは

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こんにちは!TECH Street編集部です。
前回、TECH Streetメンバーが気になるヒト、株式会社サイカCTOの是澤太志氏にインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第16弾をお届けします。
※今回の取材はオンラインで実施しました。

「ストリートインタビュー」とは

TECH Streetメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。

企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。

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“今気になるヒト”是澤氏からのバトンを受け取ったのは、株式会社マクアケ取締役CTOの生内洋平氏。

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生内 洋平 Yohei Ikunai/株式会社マクアケ 取締役 CTO
大学在学中から通算7年のインディーズミュージシャン・デザイナー・エンジニアの3足のわらじ生活を経て独立創業。以後、国内外、大手・スタートアップ問わずプロダクトチームへの参加を経て株式会社Socketを創業、CTOとしてWEB接客ツールFlipdeskの立ち上げ~グロースまでを指揮。2015年にKDDIグループSyn.HDに参画し、その後Supership株式会社にジョイン。2017年12月、株式会社マクアケ執行役員CTOに就任。2020年12月より現職。
※2021年1月28日取材時点の情報です

 

――ご紹介頂いた是澤さんから、『今まで僕が出会ってきたCTOの中で、最もビジネスとプロダクトの幅広いテクノロジーを活用できる方だと思います。そしてさまざまな苦労を乗り越えながら時代の変化に合わせて成長してきたタイプの方です。』とお聞きしております。どのような経験を重ねてきたのでしょうか。

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生内氏:生まれ育った家が北海道の片田舎で、少し特殊なものを売っていました。最もユニークなのは、オリジナルの石附盆栽。私の祖父が、高山植物や小さい割には風格ある松などを石(火山灰の大きなもの)に植え、かなり立派な中国の断崖絶壁のミニチュアのようなものを作っていました。

小学生だった私はずっとゲームばかりをして過ごしていたのですが、物心ついてくる頃、時折、その石附盆栽作りを手伝ったりしていました。石を買ってきて、盆栽を植える穴をあける過程で欠損率が8割ぐらいあって、2割ぐらいが残るというものですが、それを売りにいくと500万円ぐらいになるのです。“500万円の石附盆栽を買う人の気持ちと、スーパーで100円くらいのお菓子を僕が買うときの気持ちは、同じ「買う」という行為でも、全然違うのだろう”ということは、子どもながら当時、うっすらと感じていましたね。

高校生まではゲームに熱中する日々を過ごしていましたが、大学に入ってバンドをやり始めてからは、ゲームをぱたっとやらなくなりました。今度は、大学もろくに行かずにバンドに熱中する日々。これが24歳ぐらいまで続きますが、のどや指から血が出るほど練習して、ライブでどう歌うか、どう動くか、など、いちいちなど頭であれこれ考えなくて済むぐらい、練習して、年間50〜200本ほどのライブを行っていました。

音楽活動に伴ってバンドのホームページをかっこよくしたくなったり、オリジナルのノベルティグッズを作って、販売するようになったり、さらにガラケーでライブの予約ができるようなシステムを作ったりもしました。そこがいわゆる、僕の原点というか、デザインとテクノロジー、そして事業との出会いだったのかもしれません。

特にバンドの予約システムの構築は、僕の人生の中でイノベーティブな出来事となりました。僕が予約を取らなくてもどんどん予約が入ってくるという話で、これまではメッセージやメールを受けて、紙にメモをとっていたわけですが、予約システムを作ったことで、それらの作業が不要になりました。

そういうシステムがあるよとフライヤーなどに書くと、思いもよらない人がそれを見て興味を持って、それをきっかけにライブにきてくれる。そうすると別の角度で見る人が現れて、自分たちがやっていることが立体的に見えてきます。

そうすると、単に音楽をやっているだけではなく、テクノロジーという媒体を介して、これまで音楽に接点のなかった人が音楽やライブに出会うという、その体験自体を作っている感覚になってきます。さらにノベルティとして売っているTシャツを着たりして、僕らのことを思い出してもらいつつ、またライブを見に来るというサイクルができあがっていくことを体感しました。

後でわかったことですが、僕は音楽をやりたかったわけではなかった。実は人が喜んでくれればなんでもよかった、エンターテイメント自体がやりたかったんだな、という話に帰結します。ノベルティを作る、石附盆栽を作るなど、手段はなんでもよかったんです。音楽に打ち込んでいるときは音楽好きな人しか喜ばせられないですし、石附盆栽なんてもっと狭い。庭木が好きで、広い庭を持ち、高いものを買える道楽人しか喜ばせられません。

じゃあ僕が喜ばせたことがない人を喜ばせるにはどうすればいいのか、という考えに至ります。それがテクノロジーの力で可能になるのだと理解したということですね。

 

――ほとんど知識がない中、おひとりで予約システムを構築できるのって、相当すごいですね。

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生内氏:どうしてできたんでしょうね(笑)。知識がない中でも作り上げることができたのは、それが絶対に必要だし、面白いと思ったからですよね。1万人や2万人相手にすると話が別ですけど、当時対象としていたのはせいぜい数十人、数百人の規模。プラモデルを組み立てることができればできるぐらいの感覚でした。

音楽を聴いてもらうと「いい曲ですね」って褒めてもらえるじゃないですか。それと同じ感覚で「すごい!携帯電話からも予約できるんですね」と褒めてほしかったんでしょう。モチベーションと言えば、それだけのことです。そういう意味では、音楽作るのも予約システム作るのも、話はそれほど変わらなかったですね。「人に喜んでもらいたい、そのために創作しよう」という意味では一緒です。感覚としては、“創ることの進化”という言い方でいいのかなと思います。

もともと創る対象は音楽でしたが、そこからノベルティや予約システムが欲しくなって、デザインを創るというクリエイティビティやシステムの構築に目覚めていったということですね。

やがて音楽活動が大学卒業とともにひと段落し、デザイナーとして就職。創作活動のメインはデザインにシフトしていきました。当時のデザイン業界はアナログ媒体からデジタル媒体へのシフトが始まったくらいの時期でしたから、仕事をしていると自然とデジタル媒体を意識したデザインが必要となり、どんどん創作範囲が広がっていきます。そして組み合わせる面白さを知ります。これまでは音楽活動を中心にデザイン、予約システムと広がっていきましたが、今度はクリエイティブデザインを中心とした組み合わせに意識が向いたのでした。

例えば、施設の中のkiosk端末を空間に合わせてデザインして、どんなBGMを流し、効果音はどのようなものを流すと気持ちいいかなど、グラフィックと合わせて人の体験価値を創っていくような提案、昔の言葉で言うといわゆるマルチメディアクリエイターのような動きをしていました。

とはいえ、あくまで僕が属していたのは老舗と呼ばれるようなデザイン会社。それこそかつて有名雑誌を手がけていた大物アートディレクターや、こだわりが強すぎるベテランの中に混じって仕事している中で、“デザインを含む創作活動でいつも最初にやることは、真っ白で何もない紙に最初の点を打つこと。そうやって最初の基準を生み出すことから始まる。誰も杭を打ったことがないところに杭を打って、それを頼りに構築し始めるものだ”という気概をたたき込まれました。

そんなデザインの基本を叩き込まれつつ、怖いもの知らずでテクノロジー的な目線を持ち込める若いやつ、ということで、仲間内でも、社会的にもそこそこ重宝されていたという自覚はありましたね。そうして仕事は自然とデジタルも含むアートディレクションへと昇華していきます。

 

――会社に帰属していながらも、アートディレクターとして個が立っている状態で活動されてきたように思います。当時、今後のキャリアをどうしていこう、どうやって生きていこうという展望はありましたか。

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生内氏:実は当時、詳しい理由は置いといて、突然借金ができたんですよ。その頃は月数十万円ぐらい稼ぐごく普通のワーカーだったのですが、借金ができた翌月から月数百万円ぐらい返済をする必要が生じたのですね。その時思ったのは「あ、この先、今と同じ生き方をしていても意味ないんだな。生き方をガラッと変えないといけない」でした。

そしてそのことを誰かに相談したわけではなかったし、僕のそういう覚悟や態度の変化をかぎ取ったのか分かりませんが、奇しくもそのタイミングで当時の社長が「老舗の看板で仕事するのは飽きたんだろ、自分の看板でやってみたらどうか」というようなことを言い出したのです。

そのまま会社に所属しながら個人としての暖簾を出すことを許していただいた、というより、なかば強制的に「個として前面に立ってやってみなさいよ」と背中を押してくれました。そこで今後は、これまで自分が思っていたレベルを超越し、より多くの人が喜んでくれるような活動をしていかなければならないと固く決心したわけですね。…と、決心と書けば聞こえはいいのですが、等身大の気持ちを言うと、そういう桁の違うゲームが始まったんだな、という感覚でした。

当時くらいの僕の感覚だとそういう解釈をする他なく、どこかでゲームオーバーになるのか、ドラマチックな展開を経て最後までクリアできるのか、わからないけどひとまずやってみよう、と。ある意味では子供の頃培ったゲーム脳が功を奏したな、と今では思います。

テクノロジーの本当の価値に気づいたのはこの頃かもしれません。影響を与える規模もさることながら、お客さんが困っているところに対してテクノロジーだからこそできる解決方法を提供すると、ぐっと価値が高まることに気がつきました。予算があり、その予算に応じて必要なモノを創る受託系の仕事ではありましたが、相手が言うとおりのモノだけを用意するのではなく、さらにソリッドな解決策を遠慮なくお客さんに提案するようになっていました。

その結果、予算の規模が大きく変わっていきました。こちらとしては同じような規模のものを作っている感覚なのですが、それで何を解決するのかをお客さんの代わりに描き、お客さんとどう共通認識を持つかによって、相手が払ってくれる対価も変わるし、実際納品した後の効果も変わるんですよね。それに気づいてからは、また一段仕事が面白くなりました。

例えば予約システム一つとっても、僕が最初に作ったのは単純なバンド向けの予約システムですが、それって仕組みだけを観察すれば非常にシンプルで、さらに抽象的に考えれば、色々なものに適用できるはずじゃないですか。ライブだけじゃなく他のイベントなど適用の幅を広げるだけで価値が変わってくるという話ですね。

 

――非常に本質的な話ですね。良いものを作ったよということだけでなくて、きちんと当てはめる先を読む力が必要ということですね。その“読む力”って、どうしたら身につくのでしょう。

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生内氏:大切なのは、具体と抽象を何往復も行き来することですかね。言い過ぎではなく、人生の中で触れるあらゆる事例・案件の中で何万回も往復して考え、行動し続けるという取組みが大切です。というか、それしかない。

ライブの予約のための予約システムを具体の例とします。では、抽象的にいうところの予約システムは何だろうという話で、これを何回も行き来するんですね。予約システムを何回も色々な用途に向けて作って、“この作り方だとここには適用できなかった”“この作り方だと広く適用できるようになった”と分析します。すなわち具体を作ってみて、共通点は何だろうと考える。共通点はつまり抽象的なところにある“プラットフォーム的な何か”なので、そういうものをひたすら見いだす努力をするというようなことです。

共通点を見出だすのって、実は相当面白いじゃないですか。共通点を見つける話はその後の「共通してみんな使いそうなものならば、プラットフォームとして提供しよう!」といった事業化話につながっていったりしますよね。ひとつの具体を良くしようと突き詰めていき、その後、優れた具体同士の共通点を見つけて事業化していくというのは非常に楽しいです。

それを体感したのが、創業CTOとして参加したSocketという会社です。僕が初めて体験した事業会社ですが、会社に所属しながら立ち上げた会社で、ようやく借金も返し終わったというタイミングでした。

 

――生内さんはずっと表現者でいらっしゃって、表現者は事業ではなく表現の世界で生きがちですが、なぜ事業だったのですか。どこに事業の面白みを感じ取ったのでしょう。

生内氏:僕にとっては事業も創作であり、表現です。表現者としての事業家といえばいいのか、そこに境目はありません。これまでやってきた音楽やデザインという媒体が事業になっただけという感覚です。デザインは作った、音楽は作った、エンジニアリングを通じたテクニカルなソリューションも実現した、じゃあ、次は事業を創ってみるかという感覚ですね。

そうして始めた事業創作がとても面白くて、そこでチームという概念の面白さに触れました。“僕が作った面白いもの”から“僕らが作った面白いもの”になったということで、これは一人ではできなかったことです。一人ではどうしても求めるタイミングで作れる規模の限界があり、作り始めたとしてもリリースする前に腐ってしまうリードタイムがあると考えると、結局一人の限界を超えたスピードでモノを生み出すチームが必要だと話になります。そうしてチームの必要性を実感したんです。

そこから事業会社を立ち上げて約1年半の間に、約10個の事業を立ち上げました。とにかく並行で走らせるだけ走らせて、だめなものはどんどん切り捨てていくという「撤退を恐れない」というゆるいコンセプトで、途中まで作ったモノでも他の人がほしいと言っていて、僕ら自身がその欲しいと言ってくれている人以上にこの先その事業に愛を注げそうにないと感じたものは躊躇せず事業譲渡し、僕らが作れる一番面白い事業はなんだろうという純粋なチャレンジを積み重ねていました。

結果的に当時のチームでの最後の事業になったのが、Web接客ツールのFlipdeskですね。これはイケるねと見込みが立ち、チームを増員し、お客さんも大幅に増えました。そして事業拡大のための投資を受けてから10か月前後という短期間で、より事業が拡大するシナジーが期待できる引受先が見つかり、会社ごと譲渡することになります。事業というのは勢いがつくとやはりすごい勢いで展開していくのだなということを感じました。

その後KDDIグループにジョイン。CTO室であるチームを任され、組織の取りまとめや新しい文化を創るということ、さらに製品戦略を見るというミッションを与えられました。ある程度の成果を上げたタイミングで、“次は何をしよう”と考えました。

フリーランスの立場で、勢いのあるスタートアップや大手企業の課題解決をサポートする仕事に従事していたのですが、そんな折りにたまたまシリコンバレーに行く機会がありました。最初は知人に会いに行っただけだったのですが、その後足繁く何度か通うようになり、Googleで一瞬働いてみたり、DiscordのCTOの話を聞いたりしながら、向こうでビジネスをしている人の話を聞き、気概を肌で触れ、吸収できるものは吸収しようとしながら過ごしていましたね。

そんな中で感銘を受けたのが、NASAの中にあるシンギュラリティ大学の学長の話です。僕は「シリコンバレーという土地がなぜ世の中に価値のあるものを提供し続けられているかわかりますか」という彼からの問いに対し、僕は「ここが困りごとにあふれた未開な土地だからですか?」と返したのですね。

当然その言葉はあまり的を得ていなくて、彼から返ってきた答えの中で一番しっくりきたのは、「僕らが価値のあるものを出し続けられるのは、価値のあるものはなんであるかを考え続けられているからであります。その“考える方法”を編み出しているのです」という言葉でした。

そうした我々の歴史の中から『デザインシンキング』や『ビジネスモデルキャンバス』など、様々な考え方としてのヒット作が世の中に出ていくわけですが、もちろんその陰には駄作というか、イケていなかった考え方のかけらだって200、300もあるわけです。それも含めて、考え方自体を編み出すのが好きな土地だから、ずっとイノベーティブなものを生み出し続けられる底力があると、そう言うのですね。

その話を聞いたときに、「地域丸ごと」というスケールでは難しいかもしれないけれど、組織のカルチャーとしてそうした考え方をしっかり根付かせるということも僕の人生のテーマとして悪くないなと思うようになりました。要するに、“いいものを作る”ということがゴールというよりは、“いいものを作り続けられる環境づくり”ですね。そういうものを体現することに興味が出たというか。

そんなことを考えているときに、タイミング良くMakuakeから声がかかりました。ご存じの通りMakuakeは応援購入サービスとして、チャレンジャーのために開かれたプラットフォームですし、チャレンジャーがチャレンジしやすいエコシステムを創ろうとしている会社です。そこに私の考えがマッチしてジョインを決めました。

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――CTOとしてお声がかかったということだと思います。当時のMakuakeさんが生内さんに求めていたのは、どのようなミッションだったのでしょう。

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生内氏:そもそもMakuakeには当時、CTOが存在しておらず、CEOが開発組織を見ている状態でした。「そもそもCTOを探し続けていたが、なにより私たちの考え方を理解してくれてともに歩んでくれる方を見つけた」というのが、当時会社から僕に対して頂いた非常に嬉しい言葉の一つでした。ついてきてくれているエンジニアはいるが、それに対する十分なチーム作りや組織作り、技術的なリーディングができていないと。そこの柱になってほしいという話をもらい、ジョインすることになりました。

当時のMakuakeは、ビジネスとして伸びかけてきていたのですが、プロダクト開発が追い付いていない状態にありました。まずは「このままでは顧客に価値を届ける前にプロダクトが壊れるよ」ということを、エンジニア、そして事業経営者に対しても“その時の状態と未来に起こりうること”を伝えるのが最初の仕事となりました。

こういったことはCTO不在で事業を立ち上げている会社によくあるケースで、過去に自分自身もそれに苦しんだ経験がありました。そうなる前のぎりぎりのタイミングでしたね。例えばトラフィックに耐えられない、あるいは複雑すぎて誰も触れなくなるという観点から、そのように進言しました。

当時一つ救いだったのは、創業当初からシステムを見てくれている支柱となるエンジニアがいてくれたことです。彼がいたことで、ひとりで全体掌握ができる状況ではあり、それでぎりぎり保っていたんですね。ただ、このままでは人数を増やしたとしてもエンジニアリングも分業がしにくいし、仮に人を増やしたとしても各自が「このプロダクト怖くて触れません」という話になります。それでもガッツある人は頑張りますが、生産性は非常に悪くなるので、そういった体制にきちんとメスを入れたということです。

 

――これまでも多様な働き方をご経験されてきた生内さんですが、働き方に対する基本的な考え方があったら教えてください。

生内氏:これまで話してきたように、やはり軸は創作活動、クリエイションですね。音楽、デザイン、事業、そして今は組織を創っています。さっきも申し上げたとおり、これも具体と抽象をひたすら行き来して、結局、“僕は何をしたかったんだろう”という話に立ち返り続けてる。あっと驚くのでもいいし、じわじわ効いてくるのでもいい、「そこになかったものをそこに置いただけで解決する何かを作る」、これが僕の創作活動の基本です。色々なジャンルに創作というアプローチでチャレンジし続けたいんですよね。

エンジニア達が愛している思考法のひとつに「ロジカルシンキング」というのがあります。これは論理的な観点で様々な課題を本質的に見る力で、エンジニアリングに携わると自然と身につく力でもありますし、エンジニアリングを正しく行うために必要不可欠な思考法です。

この力は今でも僕の創作アプローチの中でもポテンシャルが高い武器のひとつになっています。ロジカルシンキングの魅力は、課題の構造化と解決策の樹立のフローに深い関連映画あって、見出した課題を解決する価値の大きさに気づいたら、同時にそのために何をやるべきなのかが明確になっていることです。新しいサービスを作る際に適用してもいいと思うし、僕が今やっているような組織を作るみたいなアプローチへの適用でもいいと思います。

そしてこれもよくみんなに聞かれることですが、課題抽出まではエンジニアであるかそうでないかによっての大きな差はありません。しかし、それをどう解決するか、というアプローチはみんなが想像している何倍も自由度が高い。そしてエンジニアはその自由に対してできることのポテンシャルが大きい職業です。テクノロジーというのはそういう強力な魅力を持っている。だからそういう生き方を目一杯楽しんでいくべきです。

 

――生内さん自身は今後、何を作っていく人になるのでしょうか。

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生内氏:控えめに言いますが、新しい常識を作りたいんですよね。今まで事業を作ってきて、組織を作ってきて、次は業界を作っていくチャレンジをする!という話になるでしょう。最終的に何になるかとなると、一番パワフルなものは“常識”というものなんだろうなと思います。例えば僕が子供の頃にあった当時の常識の中で、その後僕が生きている間に変わったものがいくつかあります。

もう10年近く前の話になりますが、僕の妹はオンラインゲームで出会った男性と結婚したんですよ。ある日「実際には会ったことないけど、ボイチャとかで話してる感じ、いい人だから、結婚するんだ」って。もう意味が分からなくて。笑

結婚って、それまでは「その人のことをよく知っているから」とか「一緒に暮らしてみて、相性も確かめてみて」とか、僕の中には常識という既成概念があったわけです。
この常識は少なくとも僕が子供の頃はそんなに根本から変わるとは想像もできませんでしたが、実際に時間を経て変わったわけです。

皆が当たり前だと思っていたことが変わったということは非常にパワフルだったと思います。常識が変わることで、それを取り巻くいろいろな価値観にも変化があります。そこに対して人間の考え方もどんどん変わっていく、そうすると「次受け入れられるもの」がどんどん変わっていくんです。これはめちゃくちゃ面白い。
なので、こういう流れのメインストリームにいたい、作った一員であるという実感が欲しいですね。

 

――生内流ともいえる、新しく価値あるモノを創るセオリーみたいなのがあったら教えてください。

生内氏:こういうと身も蓋もないんですが、セオリーさえもない、まったくもって自由だと僕は思っていますね。事業をどういう考えで作ったっていいし、音楽をどういう考えで作ったっていいじゃないという話です。特に音楽なんて、“それが音楽なの?”と懐疑的に思われるものが転がっているような世界観じゃないですか。同様のことが、事業でも組織でもあっていいと思います。

自分の中の目的と考え方のどこに価値があったかなんて実は分からない。分からないからこそ自由です。その考え方に則れば、作ることは、やはり「まっさらなキャンバスのどこにどういう石を置きましょうか」という話でしかない。

事業であれば社会のどこにどんな人材や機能・役割を置きましょうかという話ですし、デザインであれば真っ白の紙のどこにこのマークとこの文言をおきましょうかという話だと思います。何が自由かというと、「社会や見えているものをどう解釈するのかということ自体がそもそも決まりはなく自由だ」という話です。解釈は自分自身のもの。つまり、あえていうならセオリーは常に自分の中にあるわけです。

自分が解釈して十分興味が持てる分野において、“こういう石を置いたらいいのではないか”を考え抜く!というのが僕にとってのフレームワークです。

 

――最後に、これからの時代、エンジニアとしてどういう生き方をしたらよいのか、ご提言いただけますか。

生内氏:今まで自分がやってきたことは自分を絶対に裏切らないので、まずは自分が今までやってきたことは何かを理解した方がいいですね。それは自分しか持ってないファクトですから。

特にエンジニアやマーケターはファクトを何より愛していると思うんですね。そういうファクトは「自分もオリジナルなものを持っている」ことを理解して、身近なところに対して、そのオリジナリティあふれるファクトを持っている人間として、どういうアプローチで解決策を考えるとよりよい解決策になるのかという話ですね。これは考えて考えて、考え抜く癖をつけるといいと思っています。

それが自分の物事の解釈を磨きあげる第一歩だと思います。専門性の枠を飛び越えたテーマの解決チームに参加してみるのも面白いと思います。自分が日常当たり前に考えていたことが、いかに専門性というマイナーカルチャーに端を発していることかが実感でき、それをどう活かすか、という発想につながってきますから。

クリエイターの中でもエンジニアが実現できることって、その気になれば良いことから悪いことまで無限大にあるんですね。それをどう使うかということは結構大事だと思うのです。エンジニアは特に自分が持っている「解決する力」が大きいです。そこを見くびることなく、どういう風に使ったらいいかということをひたすら考えるということは、明日からもできると思います。

 

――生内さんに「可能性は無限大だ」と言われるとMakuakeのエンジニアの皆さんも、その言葉に痺れちゃいそうな気がしますけれども(笑)。

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生内氏:僕はこうして抽象度高いことを言いがちで、最初ポカンとされがちなので(笑)、一生懸命説明するようにしています。

今でこそみんな僕のキャラ自体をわかってくれていますが、それを理解してもらうためにも言い続けることは大切ですね。Makuakeに来てからやったことのひとつに、組織図を逆三角形に書いたって話があります(※下記図参照)。

リーダーやマネージャーっていうのがメンバーを引っ張りあげて取りまとめているのではなく、みんなが才能を発揮しやすいような土台を作る仕事ですという話ですね。なので事業をやっている主役はメンバーです、という話をまず言い続けて擦り込みました。こうした抽象度の高い話ってけっこう重要ですし、それによって組織が目指すところを観念的かつ直感的にキャッチできると思います。 

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――ありがとうございました。それでは、次回の取材対象者を教えてください。

生内氏:メルカリの田中慎司さんを推薦します。2000年代の初頭から技術潮流の変遷を乗り越えてビジネス的にも様々なチャレンジを経てきている方なので、言葉に含蓄があり、人生の中でアドバイスを参考にさせていただいている方の1人です。

以上が第16回のストリートインタビューです。
生内さん、ありがとうございました!

次回は株式会社メルカリの田中慎司氏にバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。

▼ご紹介いただいた株式会社サイカ執行役員CTO是澤太志さんの記事はこちら
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【連載15】“組織の枠を超えるExecutionを実現させる”、サイカCTO是澤氏が語るマネジメントの極意とは

(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)