こんにちは!TECH Street編集部です。
前回、TECH Streetメンバーが気になるヒト、合同会社DMM.com CTO松本氏にインタビューをしましたが、今回は連載企画「ストリートインタビュー」の第10弾をお届けします。
「ストリートインタビュー」とは
TECH Streetメンバーが“今、気になるヒト”をリレー形式でつなぐインタビュー企画です。
企画ルール:
・インタビュー対象は必ず次のインタビュー対象を指定していただきます。
・指定するインタビュー対象は以下の2つの条件のうちどちらかを満たしている方です。
▼前回インタビュー記事はこちら
【連載#9】0点から大企業CTOへ、DMM.com CTO松本氏の技術でコミットし続ける力とは
“今気になるヒト”松本氏からのバトンを受け取ったのは、株式会社クレディセゾン常務執行役員 CTO小野和俊氏。
小野和俊 Kazutoshi Ono/株式会社クレディセゾン 常務執行役員CTO
慶應義塾大学卒業後、サン・マイクロシステムズ株式会社に入社。2000年に株式会社アプレッソを起業しDataSpiderを開発する。2013年にセゾン情報システムズに参画し2019年に株式会社クレディセゾンへ入社。2020年3月より現職。
※2020年8月12日取材時点の情報です
――松本様から『尊敬するCTOの一人で事業にも向き合い技術力も高く、商売人気質もある、そしてアート性をもっている。常に背中を追いかけながら色々、勉強させてもらっています』とお聞きしました。どのようなご経験を重ねてきたことで、力を身につけられたのでしょうか。
小野氏:松本さんからそんな風に言っていただいて嬉しく思います。というのも、事業と向き合うことと技術力を高く保つこととは、CTOとしてもひとりの技術者としても、ともにとても重要なことだと考えているからです。
アート性という部分は、先日私が「その仕事、全部やめてみよう」(ダイヤモンド社)という本を出版した時に、松本さんを含めて各社のCTOを中心にたくさんの方が書評を書いてくれたのですが、ほとんどの方が書評の中で私の本やブログでの言葉の選び方に言及してくださっていました。そのあたりのことを言っていただいているのかもしれません。
大学は、慶應大学の環境情報学部に行きましたが、実は当初の第一志望は文学部だったんです。文章を書くのが好き、小説を読むのが好きという事は、経営者や技術者とは全く関係ないようにも思えますが、元々文章や本を読むことが好きだったことが、後に大切なことになりました。
先ほどの本やブログでの言葉の選び方の話もそうなのですが、それだけではありません。プログラミングは今の時代リーダビリティ=読みやすさが大事なのです。昔はコンピューターがとても高価なものだったので、貴重なコンピューター様を“使わせていただく”という時代がありました。
ところがどんどんコンピューターの価格が下がり、相対的にコンピューターより人間の時間の方が貴重になり、コンピューターに無駄なく早く実行させるより、人間が無駄なくスムーズに読めることが大切になりました。
その時に、昔文章を読んだり書いたりすることが好きだったことが、プログラマーとしての強みとして生きてきたのです。いわば、点と点がつながったのです。
能力のレーダーチャートを考えたとき、どれも5点満点中3点という人はCTOにはあまりいません。どこかがへこんでいてどこかが出ている、というような形の整っていないレーダーチャートの方が多いのです。そのレーダーチャートの中でユニークさを形作る物は、役立つとわかっていて時間をかけていたという事よりも、どちらかというと寄り道に近い部分に時間を使っていたことによって生み出されているように感じます。
もっというとプログラミングそのものがそうだったのかもしれません。私の小さい頃はプログラミングをしている人はあまりいませんでしたし、今のように義務教育でプログラミングを学ぶという事はありませんでした。
当時、周囲から見ると、プログラミングをしていることは無駄な時間に見えていたと思います。ですが、役に立たないかもしれないけれど、心惹かれてやまない事が大切だと思っています。私にとってのプログラミングや文章を書くことがそうでした。そういうものがあとでつながっていって、経営者や技術者としての今の自分があるなと思います。
――プログラミングはいつ頃からされていたのでしょうか。
小野氏:小学4年生からです。きっかけは、近所に住む二つ年上の先輩の家に遊びに行って、そこでパソコンに触れたことです。
その先輩はN88-BASICというプログラム言語を使って画面に線を引いたり、その色を変えたりと自由自在にコンピューターの画面を操っていました。そういう彼の姿をみて、テレビを操っている魔法使いのようにみえて興味がわきました。
パソコンを買ってもらってマイコンBASICマガジン(電波新聞社刊、通称「ベーマガ」)という雑誌を見ながら独学でやっているうちに、もっとすごい上級魔法使いがいる事に気が付いたわけですね。
最初はベーマガの読者投稿欄のプログラムを写経して少し変えてみて、今度は見よう見まねで自分でも作ってみる、そんなことを繰り返していました。私は小さいころから今もなおゲームが大好きなのですが、ゲームや簡単なワープロソフトをつくりながらプログラミングを習得していきました。
高校の時は陸上競技に没頭して、これ以上練習できないんじゃないかと思えるくらい練習して400メートル走で東京都の決勝に出るくらいのレベルまでは行ったのですが、後にそれも仕事に役立ちました。400メートルは全力で走り切れないので、どこかで力を抜く必要があります。この陸上競技の原体験が、のちに「仕事も人生もペース配分が大切」という考えにつながりました。
大学時代には、慶應大学の弁論部の部長を務めていました。ディベートばかりやっていて、この時に「自分と異なる考え方についても、なぜそう考えるのかを徹底的に突き詰めていくと、ほとんどの場合には心から納得できる」ことを知りました。このことも後の仕事でとても役立っていると感じています。
――社会人としてのスタートはどのようなものだったのでしょうか。
小野氏:今もそうかもしれませんが、当時のITの世界では、「シリコンバレーが5年進んでいる」みたいなことが言われていました。そんな風に言われていたら、単純に行ってみたいと思いますよね。
だから、サン・マイクロシステムズというシリコンバレーに本社のある会社に入社しました。「アメリカに行きたい」「シリコンバレーに行きたい」と言葉に出すことで、応援してくれる人もいて、新人研修の後に念願が叶い、サン・マイクロシステムズの本社で、数カ月仕事をすることになりました。
99年から2000年にかけての頃でしたね。当時は、すでに今日のシリコンバレーの基礎は形づけられていましたが、私の周りでは日本人で働いている人はまだそれほどいませんでした。
――当時の小野さんは、その後のキャリアに対して、どのようなイメージをお持ちだったのでしょうか。
小野氏:周囲に起業している人はたくさんいたようですが、私自身は一切起業しようとは考えていませんでした。起業する人はバイタリティーのある、熱くて、違う人種の人だと思っていました。
私は技術者として生きていきたくて、上級魔法使いのいるシリコンバレーでやっていきたいと思っていました。現地のボスには出向ではなく、転籍したいと伝えていましたね。
しかし、そのボスが起業することになり、その会社にCTOとして来てほしいと言われました。その当時、私はとても生意気だったので、「他の人の10倍のパフォーマンスが出せるので2足の草鞋でやっても5倍のパフォーマンス」などと言って、サン・マイクロシステムズ本社とボスの立ち上げる新しいシリコンバレーの会社のCTO両方を掛け持って技術者としてキャリアアップをしたいと思っていました。
ですが、そのボスとのやり取りの最中に、日本の投資家から声がかかり、「社長として事業をゼロから立ち上げてみないか」と誘われました。
そして投資家の方から紹介されて会ったベンチャーのCTOの方が、「約束された道でのキャリアアップなんかより、自分はリスクを取ることが楽しいんだ」と話していたんですね。その話がとても印象的で、私もゼロから事業を立ち上げることにチャレンジすることにしました。これがアプレッソを起業したきっかけですね。
――起業してから、セゾン情報システムズのCTOになられたということですが、どういう手を打って、セゾン情報のエンジニアを良い具合にドライブさせていこうと考え実行されたのでしょうか?
小野氏:異文化間のコミュニケーションにおいては、相手を論破することより相手を知ることが大切です。
相手がいて自分がいて対峙して向き合い、どちらが相手を打ち負かすかではなく、お互い同じ方向を見るように、“どうしてそう思ったのか”を一緒に理解することが大事ですよね。
私は大学の時にディベートをやっていて、ディベートをやっていたというとよく「相手を言葉で打ち負かすのが好きな人」と誤解されやすいのですが、実はディベートの根底にある弁証法的な発想は、テーゼとアンチテーゼのように極端に意見をぶつけあうとジンテーゼがみえてくる、というものです。相手の意見をテーゼ、自分の意見をアンチテーゼと考えて客観視していくと、相手の気持ちに寄り添うことができます。
セゾン情報システムズの日本の企業の伝統的なやり方と、ベンチャーのやり方とは全然違うのだけれども、このように相手の気持ちに寄り添って客観視していくと、「なるほど」と思えることばかりなんですね。
事故を起こすことが絶対に許されない領域の仕事では、「ワンストライクアウト」と言われたりすることもある。そしたらどうしたって慎重になるわけです。
けれども、その慎重さから生まれる安定性という強みもある。だから、自分がベンチャーが長かったからと言って、慎重な姿勢で時間をかけてやっていくやり方を安易に否定してはダメで、むしろ自分と違うやり方の良さの方にこそ着目する必要がある。
そしてセゾン情報システムズの主力商品のHULFT(ハルフト)も、そんな強みがあったからこそ生まれ、支持されてきた製品でした。HULFTは、バグがない、安定していることが圧倒的な強みです。何故そのプロダクトが生まれたのかを探っていくと、やはり組織の性質が製品の強みへとつながっている。それを古くて遅くて硬くて、とか言ってしまってはいけないのです。
今までのものを否定するのではなくて、その中のエッセンシャルな良さがどこにあるのかを理解して、解像度を高くしてそれを要素分解して、ここは良さの根本だから今の時代にも使えるというところを見つけていき、それを現代的なものにうまく融合させていく。関係する人たちにも敬意を払いながら協調的に進めていく。
そういうようなアプローチでやっていったら、既存の変わらないといけないと思っていた事業体の中に、これまでの強みを生かしながら、ちゃんとベンチャー的な強さをインストールできた。会社をエンジニアリングするという感覚でやっていました。
――なるほど。セゾン情報システムズで成果を出して、それでここに至るわけですね。
小野氏:セゾン情報システムズは短期間で変わりました。
2018年日本で初めてAmazon Alexaのスキルアワードという大会が開かれて、400社くらいエントリーがある中、セゾン情報システムズは法人部門優勝、特別賞受賞のダブル受賞を果たしました。なぜかというと、ちゃんと課題解決につながる技術を提案できたので評価されたわけですね。
あとはクラウド向け、IoT向けのHULFTを作って、2015年のAWS re:InventでThink Bigアワードを受賞するなど、皆さんがびっくりするような成果がでましたね。
セゾン情報システムズの変革の歯車が回り始めた時に、クレディセゾンも変えていかないといけない、Fintechの話もあるから来てくれないかと言われていました。
当時は、セゾン情報システムズの改革の真最中であったため、一旦お断りしたのですが、その後、事業会社のデジタル化の必要性がますます重要になっていく中で、去年の3月にこちらにきてCTOに就任しました。
――これまでの小野さんのキャリアとして、ご自身で選んでいる部分もあるし、どちらかというと人から声がかかってそこに乗っかっていく、そういうパターンもあると思います。もともと職業、職場の選択など自分は、どういう風に生きていくというのをどういう風にお考えだったのでしょうか。
小野氏:基本的に私は、“それをやったらキャリアパス的に良さそうだ”という事は一切考えていないです。
役立つと思っていること、役立つということが証明されていることにばかり時間を使っている人は非効率だと思いますね。なぜならそこはレッドオーシャンだし、効率的なものばかり追い求めるとどうしても能力のレーダーチャートが没個性的になっていくからです。
逆に言うと、自分が没頭していたことが後に世の中で必要とされるようになったり、ある日仕事と重要な形で結びついたりすると、とてもユニークな強さを手に入れられると思います。
心が動いて、心惹かれてやまないものというのは苦にならないですよね。好きでやっているわけですから、どこまででも突き抜けていけるわけです。そういう心が動いたものにブレーキを掛けないで、その代わり“やらなきゃいけない”とされているけれども心が向かないものは、極力0にしていけば、それぞれの人に自分のレーダーチャートができてくると思います。
この人は5点満点中5を超えているみたいな、突き抜けたレーダーチャートを心赴くままに形成していけば、小説とプログラミング、経営など一見、結びつかないようなものでも、後でどこかで結びついていくことがあります。
レーダーチャートを平均的な形に整えていくよりは、ガタガタに崩れているほうが良い。ここは好きでたまらないという事に注力したほうが、色々なところから色々なことで声がかかり、機会がやってくることにつながると思います。
皆が役に立つと認識している事ばかり頑張っていても、どうやっても普通の人にしかならない。そうではなく、役立つことでは無いかもしれない、周囲から見たら無駄だと言われてしまうかもしれないけれど、好きでやまないことに積極的に躊躇なく時間を使うことが、のちにその人のユニークさを形作るのではないかと思います。
このようにお話すると、好き勝手やっているように聞こえるかもしれません。ですが、むしろ好き勝手やっていくことこそが秘訣なのかもしれません。そうでなければ、やらなきゃいけないことに埋め尽くされた状態になります。
例えば、義務教育で12年間、宿題を必ず終わらせなければならない、遅刻はダメ、こういう“やらなきゃいけないこと”に埋め尽くされている人生を送るのってどうなんでしょう。
よく、なぜクレディセゾンに来たのかと聞かれることがあるのですが、実はこれも私が一番やりたいと思っていることだからなんです。
ダイヤモンド社が平成という時代を総括する特集を組んだことがあったのですが、そこで平成最初の年と、平成最後の年と、時価総額世界ランキング50位の比較がありました。
平成元年は日本企業が強く50位中半数以上は日本企業でした。ところが、平成30年には35位にトヨタしか残っていない。
私は少しアメリカで仕事をしたときにあらためて思ったのですが、やっぱり日本が暮らしやすいと感じるし、好きなんですね。その好きな日本のインフラを形作ってきてくれた日本企業が、このままでは通用しないというようなことを言われているわけです。
そんな状況は嫌だし、自分でできることがあれば何とかできないかと思った。そこで、一番変えるのが難しそうな大手の金融に、ちゃんとデジタルの力が短期間で取り込めることが証明できれば、今まで良いものをたくさん提供してきてくれた日本の企業が、再び強くなれることの証明になる。そういうことがしたいと思い、今ここに居るわけです。それも含めて、全部やりたいことをしているということです。
――今後のキャリア展望など、小野さん個人の働き方についてお考えになられていることをお聞かせください。
小野氏:意外かもしれませんが、今後のキャリアについては特に展望を持っていません。私が小学校の頃にプログラミングを始めた時に、高校で陸上、大学に行ってディベートをやりたいなんて想像していませんでした。
そういう心惹かれるものは、予期せぬ形で登場します。そういうものが現れたら、そっちに全力で取り組むかもしれないし、現れなかったらやらない、すなわち計画はできないのです。だから、キャリアパスは特にないのですね。
日本の金融業界で短期間に変われた事例を作りたいと思ったのは、セゾン情報システムズで仕事をしていた時ですし、何年後に何をしていたいというのはあまりないです。
それに計画してしまうと硬直的になるから、発想の柔軟性が失われます。ある程度、戦略的無計画でいるほうが良いと思いますね。計画していたら、心が惹かれるものが現れたときに計画を崩すことになります。計画を前提として予定を立てていた人に迷惑をかけてしまうので、やはり無計画でいるのが一番ですね。
――「with コロナ時代」という言葉を最近よく耳にしますが、これからの時代、エンジニアはどういうスタンスで働いていくべきか、ご提言ください。
小野氏:チームの皆でゴールに対して直線的に行動するのではなく、力を抜いて、良いものが来たらそこに向かっていくというような柔軟性を持つ姿勢が大事だと思っています。よりプラクティカルにいうと、雑談をたくさんしたほうが良いということです。
コロナ禍になってから、顕著にそうしたのですが、私たちのチームは定例会議の半分を雑談にするルールがあります。
報告、共有する連絡事項など、一般的なものに時間をかけることは勿体ないですね。半分雑談している中で、「今度マグロを釣りに行く」「どうしてマグロ釣り?」といった対話の中で、その人の人となりがわかります。
リモートになった事で、今まで隣に座っていたらわかっていたようなこともわからない、そんな温度感も見えなくなりがちです。画面の向こう側から雑談を通してわかることも多く、雑談から事業を良くするための柔軟なアイデアも生まれてきます。マグロの話からは特に何もなかったのですが、雑談しながらの方が、その人の心惹かれてやまない何かを見つけることにつながります。
雑談は一見無駄な事ですが、私が小さい頃やっていたプログラミングも当時は無駄なことに見えていたと思います。公園で元気よく遊んでいた方がはつらつとした子供だと喜ばれたことでしょう。役に立たないと思えることの方が実は役に立つことがあります。
雑談もそうです。役立つ事に時間を使って近道しようとしている人の方が実は遠回りで、役立たなそうなことが実は他にないユニークさを形作るというのは、組織も個人もそうです。見たこともない事にみんな喜びと驚きを感じます。
クレディセゾンの経営理念にサービス先端企業という言葉があります。見たこともないような新しいサービスを、先端的なものを生み出していく企業ということですね。
私は雑談的なアプローチの方が新しいサービスが生まれやすいと思っています。イノベーションというと硬い感じがしますが、つながらないと思ったもの同士がつながった時はイノベーションが生まれる典型的なパターンのひとつです。
きちっとした作戦会議よりも雑談をしていると意外と何かにつながって面白い案が生まれたりします。一見、無駄に見えるルートの方が近道であることが往々にしてあると思います。
エンジニアに対してのメッセージに立ち戻ると、“役立ちそう”という考えは一回忘れて、全部リセットして、何もかもゼロから考えた時に上司や同僚や友達と雑談したりして、本当に何がやりたいのか考えていくのがキャリア形成にとって一番大事なのではないかと思います。
――最後に、次回の取材対象者をご指名ください。
小野氏:VOYAGE GROUPの小賀昌法さんを推薦します。
この間、本を出版されましたね。まさに現場エンジニアリングの冒険談というか、きれいごとではない、何もない中で0から立ち上げる時に、どういう苦労があって、どういう嵐に巻き込まれて、帆が折れたけれど、どうやって帆を直したか、という生々しく赤裸々な内容になっています。
それってキラキラしたベンチャーのスタートアップでも起きていることなのだと、色々なエンジニアを勇気づけさせることを一冊にまとめています。
本当に道のない未開地を進む人は、後で出来上がった地図を見ると不器用に見えるかもしれないけれども、その時の最善を尽くすしかないわけです。地図のない航海を率いる船長としての小賀さんが、今のエンジニアの方に届けたい言葉にはきっと価値があると思います。
以上が第10回のストリートインタビューです。
クレディセゾン社のオフィスにお邪魔しての撮影でしたが、実は後ろに写っていたのはすべてクレディセゾンのカードなんです! すごい!
終始笑顔でお話いただきましたが、最後も小野さん満面の笑みをどうぞ。ご協力いただきありがとうございました♪
次回は、株式会社VOYAGE GROUP CTO小賀昌法氏にバトンタッチ。今後のストリートインタビューもお楽しみに。
▼ご紹介いただいたDMM.com CTO松本さんの記事はこちら
【連載#9】0点から大企業CTOへ、DMM.com CTO松本氏の技術でコミットし続ける力とは
▼過去のストリートインタビュー一覧はこちら
www.tech-street.jp
(取材:伊藤秋廣(エーアイプロダクション) / 撮影:古宮こうき / 編集:TECH Street編集部)